クォーテルの亡骸に祈りを捧げていたファイラスの眼前に、いきなり抜き身の剣が現れた。見事な柄飾りの施された漆黒の長剣である。その剣の持ち主は、暗黒の大魔導、カヤリだった。
「これは?」
「受け取れ」
半ば強制的にその剣を持たされたファイラスは、胃のあたりがねじりあげられるような不快感を覚え、思わずよろめいた。
「すぐ慣れる」
「おいおい、大丈夫なのかよ」
イレムが心配そうな声を上げるが、イレムはイレムで身動きがとれないほど疲弊していた。その状態でカヤリを止めるなどできるはずもない。イレムは珍しくも潔く諦めていた。
「この剣は……」
「魔神ウルテラ。契約により剣になってもらった」
「ちょ、ちょっと待て」
ファイラスは思わずその鞘のない剣を取り落とすところだった。
「これがあの魔神ウルテラ? どういうことなんだ」
「この魔剣を聖騎士に託す」
カヤリはぶっきらぼうに言った。だがファイラスは首を振る。
「俺はまだ聖騎士なんかじゃない。クォーテル聖司祭が亡くなってしまっては、叙任できる人もいない」
「そんなこと」
カヤリは鼻で笑う。
「そんなことはどうだっていい。実に、どうでもいい」
カヤリはそう言って、じっとファイラスを見つめた。そしてしばらくしてからイレムに視線を移す。
「神帝の騎士はどう思う」
「俺は反対はしねぇよ。今となっちゃ。ファイラスが決めればいい」
「そう言うと思った」
カヤリは棒読み口調でそう言うと、ファイラスが呆然と手にしている長剣を見た。
「ファイラス、この剣はあなたを助ける。私はあなたに契約者の権利を委譲する」
「……さっぱり状況が読めないんだが?」
ファイラスはイレムに視線を巡らせて助けを求める。イレムは気怠げに「しょうがねぇなぁ」と肩を竦めてファイラスとカヤリの間に立った。
「ファイラス、お前が魔神ウルテラの主人になったってこと。バレスからこの――」
「カヤリ」
「そうそう、カヤリ。カヤリに契約者が代わって、その権利がお前に移ったってこと。で、多分、魔神ウルテラはお前が人を殺すのを待っているってことだ」
「百万だかの生贄でもあきたらなかった魔神が、一振りの剣になったところで飢えは満たせないだろ」
「構わぬとウルテラは言った」
カヤリが口を挟む。
「魔神ウルテラは再封印を回避するために、消耗の少ない、その剣の形となることを選んだ。つまり、聖騎士。あなたが人を殺そうと殺すまいと、魔神ウルテラには些末な問題というわけ。どうせ私が死ねば契約は破棄される。その時に何が起こるか、魔神ウルテラが何をするかはわからないけど、そんなことは私には関係ない。あなたにもきっと」
「だけど、魔神のことだ」
イレムが言う。
「少しでも生贄を求めるべく、ファイラス、お前に働きかけるだろうぜ」
「そう、それは確か。魔神の干渉、誘惑に負ければ、あなたは殺人鬼になる」
「なっ……」
「心配しないで、聖騎士。その時は私があなたを殺す。バレスをそうしたように」
カヤリは目を物理的に輝かせてそう言うと、「用事は済んだ」と言わんばかりにふわりと姿を消した。
ファイラスは漆黒の刃に、吸い寄せられるように視線を落とす。その刀身は、まるで磨き抜かれた鏡のようだった。
「魅入られんなよ、ファイラス」
「わかってる。わかっているんだが、イレム。抜き身の剣を持ち歩くわけにはいかんし」
「鞘はゼドレカおばちゃんを頼るか。多分普通のやつじゃだめだろう」
思わぬ問題に直面して沈黙する二人だったが、その沈黙は「きゃーっ」という悲鳴で破られた。その場にそぐわない声に、ファイラスもイレムも、飛び上がらんばかりに驚いた。
天井付近から放り出されるようにして落ちてきたのは、ケーナだった。
「ケ、ケーナ!?」
「ファイラス様ぁっ!」
ケーナはファイラスに抱きついた。ファイラスは長剣を慌てて背中に回しながら、左腕でケーナを受け止める。
「どういうことなんだ? 君は魔神に……」
夢でも見ているのかとファイラスは目を瞬かせる。ファイラスの腕の中でケーナが小さく笑う。
「私、再び魔剣の鞘になることになりました」
「は?」
「へ?」
ファイラスとイレムの素っ頓狂な声が重なった。
「それ、貸してください」
ケーナはファイラスから漆黒の剣を半ば奪うようにして取った。そしてその刃が触れるのもお構いなしに、胸に抱きしめる。見ている間に漆黒の剣は光となって消えた。
「できた! よし!」
「……剣は?」
まだ状況が理解できていないファイラスに、ケーナは「えっとですね」と天井を見上げた。
「ファイラス様が願えば、私はいつでも剣になります」
「つまり、ケーナ。えーと、あー……んー……」
ファイラスは右の拳をこめかみに当てつつ、唸る。
「君が魔神ウルテラだっていうことか?」
「違いますけど、そうとも言うかも?」
ケーナの反応を見る限り、ケーナ自身よくわかっていないに違いない――ファイラスは思わず嘆息する。
「ま、いいんじゃね?」
イレムがケーナとファイラスの肩を抱きながら、あっさりとした口調でそう言った。ファイラスは「いいのかな?」と引きつった笑みを見せ、ケーナは「いいんじゃね?」とイレムの口調を真似した。
イレムはケーナの肩をぽんぽんと叩き、二人から少し距離を取った。
「さてと、聖騎士ファイラス殿」
「俺は聖騎士じゃないぞ」
「まぁ、どうでもいいんだけどさ」
イレムは心底関心がないと言わんばかりの表情を見せてから、「そうだな、じゃぁ」と少し思案する。
「治癒師と魔剣殿」
「治癒師なら文句ないですよね、ファイラス様。私なんて魔剣殿なんですから」
「ま、まぁ、な?」
微妙な表情のファイラスに向けて、イレムは笑う。
「これからしばらく、大変だと思うぜ、ファイラス」
「……不安しかない」
「私にどーんと任せておけってことですよ」
「……不安だ」
暗い表情のファイラスを見て、ケーナとイレムは豪快に笑った。ひとしきり笑った後、イレムはドアを開けて、ファイラスたちを振り返る。
「ま、主人公ってのは、いつだって大変なもんだって決まってるもんだ」
そしてドアが閉まる――。
――治癒師と魔剣・完――
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