#02-05: 狂った精霊

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 翌日の夕方、まもなく夜になろうかという頃になって、俺たちは大きな街に入った。この都市の真ん中に、ガナートとその父の――即ちベラルド子爵の邸宅がある。

「なぁ、ガナート」

 すっかり観念しているガナートは、もう自由にしてやった。ただし、俺とウェラが馬車の中で監視している。ちなみにタナさんは、ガナートの馬を悠然と駆っている。なお、あの最初の町を出てからの付き合いになっている馬は、ウェラに妙になついており、今も馬車の後ろにピタリと付けてウェラを見つめていた。

「あんたは何でそこまで魔女を嫌うんだ」
「魔女は……」

 ガナートは首を振る。

「俺は、五年前に妻と娘を死なせてしまった」
「疫病か?」

 確かその時期に強烈な風邪が蔓延していた記憶がある。ガナートは苦い表情で頷く。ウェラは俺の隣で神妙な顔をしていた。

 俺は腕を組んだ。

「だから、それが魔女の仕業だと?」
「それ以外ないだろう。この国だけで何万人死んだと思っている」

 確かに、あの時期はひどかった。だが、あまりに状況が酷すぎて、魔女狩りの起きる余地もなかった。どこの領地も、それ以上の混乱は避けたかったのだ。

「それがよしんば魔女の仕業だったとしてもさ、悪事を為したわけでもない人間を裁こうってのは間違えてると思うぞ」
「誰かが死んでからでは遅いだろう」
「だからといって誰かを殺していいわけでもない」

 俺は溜息をいた。互いの正義がぶつかりあった結果としての刃傷沙汰ならばともかくとして、ガナートがやっていたことは単なる弱者いじめだ。俺に言わせてみれば臆病で卑怯なやり方だ。

「異端審問官の裁きがある。俺は何も、女達を皆殺しにしようとしているわけではない」
「異端審問官ねぇ。あいつらの判断が絶対に正しいと?」
「それは……だが、彼らは魔女に関しては――」
「どうだか」

 俺は異端審問官を何人も知っている――俺が知っている異端審問官は皆、もうこの世にはいないが。だが、彼らが正しいと思ったことなど一度とてないのだ、俺は。

 百人、あるいは千人の無実の女を拷問して殺す過程で、たまたま一人二人、本物の魔女がいる。つまり奴らは「女を狩るお墨付き」をもらっただけの頭でっかちに過ぎない。二十年前から最近までほとんど動きはなかったのだが、カルヴィン伯爵領で大規模な魔女狩りが始まってからというもの、息を吹き返しつつあるのだ。異端審問官といえば、王都でも幅をきかせている教会の一大勢力であり、王家や貴族連中とも懇意の超エリート集団であるとも思われている。

「……お前はそれで満足なのか、ガナート」
「どういう意味だ?」
「お前は妻子を疫病で失った。だが、お前が拉致した女達にも、夫や親、あるいは子どもがいたかもしれない。それについてはどう釈明するんだ」
「それは――」
「魔女だったら何倍もの悲劇が生まれるから、とか言い出すんじゃないだろうな?」

 俺は幾分低めの声で尋ねる。ガナートは唇を噛み締めている。

「人間はじゃない。戦争屋ならともかく、為政者が考えていいことじゃない」
「だが――!」

 その時馬車が急停止した。すぐに馬車の後ろに、馬に乗ったタナさんが姿を見せる。

「お二人さん、盛り上がってる所、悪いんだけどさ」
「何があった?」

 俺はタナさんとウェラを交互に見た。ウェラは難しい顔をして、馬車から出ていこうとしている。

「どうした、ウェラ」
「風が変なんだ、パパ」
「風が?」

 俺も痛む腰をおして馬車から降りる。タナさんが下馬して俺を手伝ってくれる。ちなみに俺は自分のとガナートの長剣を持っている。ガナートには、さすがに武器は持たせられない。

 俺たちの馬車は、この都市の堀を通過した所だった。家々に明かりが灯り、メインストリートには多くの人々の姿が見えた。魔女狩りに病んでいる世界とは思えない、平和な眺めだった。

「馬が前に進まなくなってしまって」

 騎士の一人が言った。確かに馬たちは横一線に並んだきり、前に進もうとしない。御者たちもまた、困った表情をしていた。

「動物は敏感さね。ウェラ、わかるかい?」
「風の精霊さん……と思うけど」
「元、風の精霊さ」

 タナさんは上空を指差した。夜空に半分溶け込んでいて気付かなかったが、そこには人間がすっぽり収まるくらいの黒いキューブが浮かんでいた。

「あいつと意思疎通はできるかい、ウェラ」
「無理。何言ってるか全然わからない……」
「だろうね」

 タナさんはそう言うと、俺からガナートの剣を奪って抜いた。

「アレはね、さ。が精霊を使い魔にしたのさ」
「そんな……!」

 ウェラの顔が悲痛に歪む。彼女にとって精霊は皆ともだちなのだ。

 刹那、その黒い球体が激しく爆発した。馬たちが止まってくれたから良かったものの、進んでいたら巻き込まれていた――そんな絶妙な間合いだった。

「ほらほら、騎士たち! 仕事しな!」

 タナさんが重たい長剣をブンブンと振り回しながら、ガナートの部下たちを動かしていく。ガナートも馬車から出てきていた。こいつはほっといても大丈夫だろうから、放置しておくことにする。

 その黒いキューブの内側には、これまた黒一色のヒトガタがいた。それは舞い降りるなり、騎士たちに襲いかかってくる。だが、騎士たちもさすがはガナートが連れ歩く精鋭である。簡単にはやられないだろうというくらいに機敏な動きを見せていた。だがその一方で、騎士たちの攻撃もまるで通用しているようには見えなかった。

「ったく、図体ばかりかい、あんたたち!」
「ママ、逃げたほうがいいと思う!」
「ここで逃げたら、この領地での魔女狩りは終わりゃしないのさ」
「でも……!」

 ウェラはしゃがんで頭を守りながら訴える。だが、タナさんは時々長剣で何かを弾き返しながら、堂々と立っていた。戦の女神を彷彿とさせるような、そんな佇いだった。

「この精霊さんの怒りは強すぎるよ、ママ!」
「だからこそさ。これもまただよ、ウェラ」
「でもっ!」
「女にはね、踏みとどまらなけりゃならない時ってのがあるのさ」

 タナさんは突っ込んできた黒い精霊に向かって大きく踏み込んだ。その打ち込みは騎士もかくやと言わんばかりの鋭さで、俺も、俺の隣のガナートも息を呑んだほどだ。

 だが、精霊の防御は相当に分厚いようで、ガナートの剣をもってしても大したダメージを与えることはできなかったようだ。そうこうしているうちに、都市から野次馬たちが集まってきてしまう。

「あの、その剣」

 囚われていた少女の一人がタナさんに近付いた。タナさんは黒い精霊の攻撃を受け流しながら、その少女に言う。

「危ないよ、あんた」
「ウチも戦いたい。その剣、貸してくれへん?」

 少女は燃えるような赤毛の持ち主だった。黄昏の中でもそうと分かるくらいに、明るい赤毛だ。

「戦いなんざ騎士たちに任せときな」
「いやや」

 少女はハッキリと首を振った。タナさんは精霊を大きく吹き飛ばすと、素早くその剣を少女に手渡した。

「おおきに!」
「しっかりやりな」

 タナさんはそう言うと、俺たちのところに戻ってきた。騎士たちもそこそこ頑張ってはいたが、この赤毛の少女の戦闘力はそれを遥かに上回っていた。何より、一撃が非常に重い。タナさんが口笛を吹く。

「あれは魔法剣じゃなければ刀身がもたないねぇ。砕けちまう」

 魔法剣? 俺は隣に立つガナートを見た。

「お前の剣ってそんな高価なものだったのか」
「当たり前だ。遺跡調査での拾い物だがな」

 ガナートは腕を組みつつ、なぜか幾分得意げにそう言った。

 それにしても少女の剣術は圧巻だった。まだまだ荒削りではあるが、それを補ってあまりあるパワーと手数があった。黒い精霊が倒されるのも時間の問題だろう。俺は隣でさりげに俺を支えてくれているウェラに尋ねる。

「あの精霊は元に戻せないのか?」
「無理だよ、パパ。狂っちゃった精霊はもう普通の精霊には戻れないんだって、風の精霊さんが言ってる」
「倒すしかないのか」
「うん」
「――それでいいのさ」

 タナさんは愛用のナイフを弄びつつ言った。

「精霊は全にして個、個にして全というやつなのさ。だから倒してやるのが一番良い。だろ、ウェラ」
「うん……」

 悲痛な顔をしながらウェラは頷いた。

「エリさん、下がりな。ウェラ、エリさんを護るんだ」
「わかった」

 ウェラは頷くと、俺の前に出た。幼女に守られるおっさんの図の出来上がりである。ウェラは何かをつぶやくと、目の前に半透明の壁を出現させた。

「風の精霊さんが護ってくれるよ」
「すげぇ……」

 そしてやっぱり出る幕のない俺である。俺が何をしているかと言うと、剣を杖に突っ立っているだけなのだ。そんな俺の隣にタナさんがやって来て、わずかに口角を上げる。

「娘に護られるなんて、父親冥利に尽きるだろう?」
「そ、そうでも、ない――気がする」
「ウェラはパパを護れてうれしいよ!」

 なんか刺さるなぁ。俺は頬を引っ掻きつつ、あの赤毛の少女を見た。

 鍛えれば王都でもトップクラスの剣士になれる――俺にはわかる。今は我流の剣技のようで、パワーに技術が追いついていない。だがそれでも、縦横無尽に動き回る黒い精霊を確実に射程に捉えている。

「ガナート、よくあんなのを捕まえられたな」
「……あいつは抵抗もしなかった」

 ガナートもその強さを目の当たりにして愕然とした表情をしていた。彼の目から見ても、あの少女の強さは本物だということがわかったのだろう。

「お前の剣、あの子にやれよ」
「なんだって? 騎士が剣を他人に譲るわけがないだろう!」
「為政者たるお前が持つべきはペンだろう。剣じゃない」
「それは……」

 ガナートは顔をしかめ、訊いてくる。

「お前はその剣を譲れと言われたら譲るのか」
「代わりの杖がもらえるならね」
「……騎士の誇りはどこへ行ったんだ」
「お前に言われたくはないな」

 俺は首を振った。隣ではタナさんがニッと笑っている。

「エリさん、言うねぇ」
「たまにはね」

 俺は肩を竦める。

「ともかくだ、ガナート。あの剣はお前が持っていても宝の持ち腐れだ。まぁ、譲るかどうかの判断はお前に任せるけどな。次期領主なわけだし、剣が騎士の魂であることも知っている。それにあの子は別に、あの剣がなきゃならないわけでもないしな」
「おやおや、エリさん。決着がつくよ」

 タナさんが指差す先には、赤毛の少女の背中がある。騎士たちが取り囲む中で、少女と黒い精霊は一騎打ちを演じていた。少女も何箇所か怪我をしてはいたが、深くはない。良い視力の持ち主でもあるということだ。

 少女が突き出した長剣が、精霊の首と思しき部分を貫いた。少女は足を地面に抉り込ませながら、力任せに押し切っていく。

「精霊さんが……」

 ウェラが呟く。その時には俺たちの前にあった半透明の壁は消えていた。

「還っていく……」
「終わったってことか?」

 俺が訊くと、ウェラは沈んだ表情で頷いた。

 黒い精霊は、最後に虹のような輝きを残して、消えていった。野次馬たちも集まってきていたが、事を見届けるなりあっという間に散っていく。

 そして赤毛の少女が途中で投げ捨てた剣の鞘を拾い上げつつ、こちらに向かってくる。あれだけの激戦を繰り広げたにも関わらず、今にも鼻歌でも歌い出しそうなくらいに気楽な表情をしていた。

「この剣、ええな!」

 少女は剣を一度振ってから鞘に収め、俺に差し出してきた。

「それ、こいつのなんだ」
「え、そうなん?」

 少女はガナートを見て渋面になる。

「そゆことなら、ウチが預かっとく。ええな?」
「何を言うか。それは俺の――」
「預かっとくだけや。どのみちこの剣、おっさんに渡すわけにはいかへんやろ?」

 少女はニカッと笑った。俺はタナさんと顔を見合わせて、お互いに肩をすくめた。ガナートは眉根を寄せて、口を閉ざした。

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