役人は兵士たちに命じて、異端審問官を広場の中央に引っ張り出した。異端審問官はまだ何事か喚いていたが、役人や兵士たちは取り合わない。彼らなりに思うところがあったのだろう。
「異端審問官は魔女狩りの大将だろう?」
俺は近くまで引きずられてきた異端審問官に言う。
「まさか、これから本物の魔女が出てくるってのに逃げるなんてありえないよな? 仕事なくなっちまうぜ?」
「せやせや!」
リヴィが俺を支えながら右手を振り回す。ウェラもそれに呼応する。この二人、これから何が起きるか知っているはずなのに、震えの一つも感じられない。どういう胆力だよと、俺はそっちに感動してしまう。
ふと気付けば広場の周辺には数多くの人がいた。野次馬である。雨が止み、炎が消えたことで安心したのだろう。全く厄介な連中だ。だがその一方で、そうであってくれなければ、ユラシアの名誉は回復できない。
「せやかて、ええと、パパ? どないする? 魔女はどこにおんねん」
「わからないが……タナさんにはわかってるみたいだな」
タナさんはユラシアのその身体を横たわらせ、空を見上げた。憎たらしいほどの青空が広がり、なんなら鳥ものんびりと舞っていた。
「魔女クァドラ! いつまで偉そうに睥睨つけてるんだい!」
タナさんは僧兵の遺した長剣を拾い上げた。俺は異端審問官の目を睨みつけた。
「で、あんた。クァドラってヤツのことは知っているんだよな?」
「もちろんだ。だが、あの方は魔女などでは――」
「あの方?」
クァドラは珍しい名前でもない。だが、この男は一瞬で誰かに行き着いている。
「それは誰だ」
「キ、キンケル伯爵の叔母に当たる方だ」
「なぜ、魔女ではないと?」
「それは――」
「調べたんだろうな?」
俺は腰を抜かしかけている異端審問官を見下ろす。
「調べたのかと訊いている」
「し、調べられるはずがない!」
気色ばんで言う異端審問官。俺は思わず鼻で嗤った。
「ならばなぜ魔女ではないと?」
「高貴な身分の方が魔女であるはずなど――」
「そりゃ妙だ」
俺は肩を竦める。
「異端審問官が、女公爵エリザを知らないはずはない」
「それは……もちろん……」
「ならなぜ、伯爵の叔母が魔女ではないと?」
俺は異端審問官に向けて一歩踏み出す。異端審問官は腰を抜かしたが、兵士に支えられたおかげで、その場から逃げられない。あの初老の役人の方を伺うと、彼は堂々と背を向けていた。見ていない、知らない――そういう意思表示なのだろう。なかなか話の通じる男だと、俺はこの役人に好感を持つ……のと同時に、何かが記憶の中をピリピリと走っていく。
「身分で魔女が決まる――それが教会の考えということでいいか?」
「それは……!」
「弱いものいじめのための異端審問だということでいいのか?」
「そんなことは!」
異端審問官は顔面蒼白だ。俺は剣の鞘先を、異端審問官の眉間に向けて突き出した。
「うっ……!」
指一本程度の距離で寸止めである。この辺りの技量はなかなかのものだと、自画自賛しておく。
「今はな、そういう本質的な話はおいておこう。お前程度の力で異端審問自体を、魔女狩り自体をどうこうできるとも思えないしな」
「な、何を……!」
「俺が要求するのは一つだ。あの子、ユラシアの名誉の回復。これだけだ」
「そんなことは! それに現実にあの娘は魔女だったではないか!」
「まだ言うか!」
俺はこれ以上ないくらいの声量で怒鳴った。異端審問官が竦んだのがわかる。普段から他人を怒鳴るような人間は、自分が怒鳴られると脆い。
「どんな方法で自白を強要したのかは聞かない。だが、お前は間違えた。無実の少女を拷問し、あまつさえ命を奪おうとした! 罪は、裁かれなければならない。違うか、異端審問官!」
「魔女を裁いて何が悪い!」
「人の尊厳を踏みにじり、魔女を生み出すに至った事を罪だと言っている!」
「だから我々は――」
「パパ、そないな小物と遊んでる暇はないで」
リヴィが割り込んできて、タナさんの方を指差した。そこにはタナさんと、半透明な女の姿があった。その女の姿は、粗雑に作られた透明な彫刻のようで、お世辞にも造形美は感じない。
『流浪の魔女が余計なことを!』
「魔女は引退したんだよ!」
タナさんは右手に持った長剣で一閃する。半透明なそれは分断されたが、すぐに元に戻る。
「ママ!」
「来るんじゃないよ、リヴィ。そこでエリさんの世話して待ってな」
俺は犬か何かか――ちょっと傷ついたが、今はそれどころではない気がする。
『魔女を引退だって? あはははは! そんなことができるものか! 魔法のこの大いなる力。知らぬわけではなかろう!』
その半透明の不細工な何かが、タナさんの周りを飛び回る。
『魔法の一つもなしに、そんな焦げた長剣一本で私をどうにかできるとでも?』
「アタシは悪魔のヤツには頼らない性分さね。肩が凝るからねぇ」
半透明のそいつ――クァドラがタナさんに襲いかかる。タナさんは巧みに身を翻してそれを躱す。超絶技巧だ。タナさんは、俺の現役時代よりも強いと思う。
「ママ、そないな敵相手にどないするつもりや! 勝ち目ないやん!」
「リヴィ」
前に出ようとしたリヴィの左肩を、俺は捕まえる。
「パパ、ええの? こないなことでええの? ママが危ないんよ?」
「良くはない」
「なら――」
「でもな、これはタナさんの戦いなんだ。俺はタナさんを信じる」
「信じる力が魔女を倒すとか、そないなことはあれへん! ウチ、ママを見殺しにはできひん!」
「信じろ!」
俺は初めてリヴィに向かって怒鳴った。リヴィは首を竦め、俺を見上げる。
「ウチ、怒鳴る大人は嫌いや! ウチはウチの意志で戦う!」
「リヴィ」
タナさんが微笑んでいる。魔女と交戦中であるにも関わらず。俺にはわかった。それは、ただ、リヴィだけのための微笑なのだと。
「アタシは、死なない」
タナさんははっきりとそう言った。落ち込むリヴィの手を、ウェラが包む。
「大丈夫。ママは、負けないよ」
「ウェラ……」
俺は二人の娘を見て、そしてタナさんを見た。タナさんはクァドラに翻弄されながらも、未だ余力を残していそうだった。敵として出会わなくて本当によかっただなどと、場違いな感想を持ってしまうほど、見事な剣舞だった。
「クァドラ! この下品な茶番、魔女狩りのための魔女狩りということだろう! 本物の魔女の力を見せつけ、恐れさせ、魔女狩りを一層進めるための稚拙な戦略だろう!」
『はははははは! だとしたらどうするというのか!』
「なぜ魔女のあんたが、魔女狩りなんかを推し進めようとするんだい!」
『魔女が邪魔だからに決まっている! 魔女を駆逐し、あるいは沈黙させること。そのために仕組んだのが、この五十年ぶりの国策魔女狩りだ!』
その言葉を受けて、俺は異端審問官を見る。彼はもはや平常心ではなかった。完全に腰が抜けていたし、腕も上がらないようだった。現場での修羅場体験が足りないのだろう。ざまぁみろだ。
『私のために、命を捧げよ!』
クァドラが吠えた。その直後に、俺たちのすぐ側に炎の柱が噴き上がった。たちまち広場は阿鼻叫喚の様相を呈する。広場の周囲にもいくつもの炎の柱が噴き上がり、幾人もが消し炭と化したのが見えた。しかも、炎の柱はこの辺りだけではない。街中至るところに出現しているように見えた。
「こいつは強烈だな」
俺は異端審問官に鞘尻を突きつけたまま言った。彼は逃げようとしたが、兵士の壁に阻まれて動けない。兵士たちはたまたま異端審問官の進路上にいる、という設定らしい。
「お、覚えておけよ、貴様ら!」
「立場がわかっておられないようですな、カディル審問官」
役人が穏やかな表情で振り返った。この男、この凄惨で危機的な状況に全く動じてない。
「卿には釈明の義務があります、カディル審問官」
「しゃ、釈明だと? 私を誰だと思っている」
「何の罪もない娘を拷問し、あまつさえ殺そうとした咎人でしょう。いや、我々の信奉する神の御意志を標榜し、その御言葉を捏造した大罪人というべきでしょうか」
「き、貴様! 私にそのような無礼をはたらいて教会が黙っていると思うのか!」
「さぁ」
役人は首を振る。
「私はあの女性を見ていて、恥を知りました。己の正義を曲げてまで、街を守ろうとした自分を恥じた。そして私は、これ以上の生き恥は晒したくありませぬ」
役人は腰に下げた片刃の剣を抜いた。
「カディル審問官」
役人の背後に炎の柱が出現する。しかし、彼は動じなかった。
「等価交換、と、参りませんか」
「等価交換だと……?」
「卿の命にそれだけの価値があれば、ですが」
「ぶ、無礼なっ」
この異端審問官もなかなかに根性がある。だが、役人はもっと恐ろしい形相をしていた。
「私の街の大切な人間を苦しめ、殺した人間が、どの口で言うか!」
「……っ!」
さすがに言葉を失う異端審問官カディル。
「なぁ、パパ。このおじさん、ええ人やな」
「敵には回したくないな」
俺がリヴィに答えると、役人は俺に向かって小さく頭を下げた。
「かつて敵だったこともあるかもしれませんよ、貴方があのエラ――」
「ストップ!」
俺はその言葉を止めた。この男、俺の過去を知っている?
「否定はなさらぬか」
「それは……黙っててもらえると助かる」
「わかりました」
役人は頷いた。危なかった。俺にはまだ、それを開示する覚悟はない。
「パパ、知り合いなん?」
「い、いや。多分、ずっと昔に会ったくらいだ」
動揺を隠しきれてない俺である。そんな俺のすぐ脇に炎の柱が出現する。
「あぶね」
激しく動かざるを得ない状況というのは、まことに勘弁していただきたい。
「リヴィ、ウェラ、大丈夫か?」
「なんとかってとこやな」
「ウェラも無事。せっかくの服がちょっと焦げたけど……」
「本人が焦げてないなら万々歳だ」
俺はウェラの頭を撫でて、タナさんを見た。
『魔女は魔女を駆逐するようにできているのだ! エリザ様のためにも、魔女の素養のある者は悉皆、味方に引き入れるか、さもなくば、排斥せねばならぬ!』
「はん! それが理由かい!」
タナさんの鋭い舌鋒が周囲を薙ぐ。
「ユラシアの魂を、あんたの魔法の代償にしてやるわけにはいかないよ!」
『ならばなんとする! あの娘の魂も、この街の有象無象の魂も、その全ては私とエリザ様のためにある!』
「まったく! わざわざ魔女になるまで育て上げてから魂を奪うなんてね! この外道が!」
『外道! そう、外道なり! 卑小な人間の皮を脱ぎ捨てた進化の先、そこにあるのが、魔女なのだ! 私は人間を超えた。私は圧倒的なのだ!』
タナさんを弄ぶように攻撃を仕掛けていくクァドラ。一方でタナさんの攻撃は通用していない。
どうする、どうするつもりなんだ、タナさん。
『さぁ、魔女よ! 内なる悪魔を解放せよ! お前の魂も我が贄として使ってやろう!』
「あんたなんかにくれてやるような魂は、爪の先ほどもないよ!」
『死ねぇっ!』
「やれやれ……」
タナさんは首を回した。ここまでゴキゴキという音が聞こえてくる。
「肩が凝るのだけどねぇ」
「タナさん、まさか!」
思わず俺は前に出る。が、炎の柱が邪魔をする。
くそっ、ちゃんと動けさえすればこんなもの……!
俺は忸怩たる思いを噛み潰した。
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