#06-07: 向こう百年黙ってな!

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 白銀の翼を持つ白い悪魔は咆哮した。それは俺の頭の中で跳ね回り、やがて意味を持ってくる。

「なんだこれ」
「圧縮言語」

 タナさんが早口で応じてくる。

「今の一声で、こいつはありとあらゆる会話パターンをアタシたちの中にぶち込んできたのさ」
「どうしてわかる?」
「圧縮言語自体は珍しい魔法じゃないさね。竜族の賢者にも使う者がいたって話があるしね。アタシも使おうと思えば使える。まぁ、数パターンだけだけど」
「へぇ」

 この白い悪魔はこう言っているのだ。我々と契約せよ、と。そうしたら、この世界は思うがままだと。

「ははは。さっきも聞いてたんだろう、あんた。残念ながら、アタシたちは世界みたいな巨大な負債を抱える気はないさね」
『汝も魔女なら――』
「魔女は引退したっつってんだろ」

 タナさんが吐き捨てる。この巨大過ぎる悪魔を見ても、タナさんは頬杖すらついている。

「確かにね、アタシは自分のエゴのために魔女になった。なっちまった。けどね、だからといって世界まで憎んでるわけじゃないさね。世界を滅ぼすだの変えなきゃだの、そんなことは芥子けしの実一つほども思っちゃいない」
『なれど、汝が魔女と化したのは、魯鈍ろどんにして智慧ちえ無き者どもの愚行ではないか。汝の罪はそこにはない』
「そりゃどーも」

 やる気のないタナさん。

「だけどさぁ、悪魔さん」

 タナさんはぼそっと言う。

「罪は罪なんだよ。アタシはあの地獄から抜け出すために、確かにあんたらの囁きに耳を貸しちまった。この手で何人も絞め殺し、村一つ、一人の例外もなしに焼き殺した。それをね、アタシたち人間は、って呼ぶんだ」
『我々はあの時、汝を救うために力を授けた。その強烈な生への渇望を感じて。ゆえに、この世界を変えられる可能性を感じて』
「ふぅん」

 タナさんのツレない態度に、俺のほうがドキドキしてしまう。

『エリザ・レヴァティン――』

 おっと、意外な名前が出てきた。

『我は汝らに、あの魔女を駆逐する力を与えられる』
「要らない。あんたたちの助力なんてね」

 タナさんは首を振る。

「そもそも悪魔の力で魔女を駆逐してどうするんだい。結局あんたら悪魔の自作自演みたいなものじゃないさね」
『しかし、汝らは十分な代償を――』
「それを取り崩すつもりはないな、俺たちは」

 俺はタナさんを見ながら言った。タナさんも頷く。

「仮に俺たちがエリザをも超える代償を、そして力を持っているとしてもだ。俺たちはもう誰も殺さない。殺させもしない。自分たちを護るため――以外にはな」
『それだけの罪を重ねておいて、今更それを言うのか?』
「だからこそ言うのさ、悪魔」

 俺は少し腰を浮かせて座り直す。冷たく硬い石に座っていると、腰に来る。

「後悔と懺悔の積み増しはもう十分だ。今の利息の支払いだけで手一杯さ」
『その全てを我らが力で清算できるとしても?』
「あんたらの力で清算する気もない」

 そもそも許されようとは思っていないし、許されるようなことでもないと知っているし、許してくれるかもしれない人たちも、もうこの世にはいないのだ。たとえこの悪魔がそれらを全てなんとかしてくれたとして、だからといって俺たちの咎人とがびとの念は消えない。

『なぜだ?』

 悪魔が動揺しているのか。そのグロテスクな顔が俺を見た。

『汝はいわば我らが純血種――ヴァルナティの子の再来』
「だってさ、エリさん」
「俺がそんな大層なもんだったとはね」

 まるで世間話をしているかのようなタナさん。畏怖すべき存在を前にしても、タナさんは全く揺らがない。

「まぁ、たしかに。悪魔そのものと呼ばれた時期もあったよ」
「なんせあの『血のエライアソン』だからねぇ?」
「……ああ」

 俺はタナさんの手を握った。タナさんも握り返してくる。

「アタシたちがね、幸せになっていい道理はないのさ。あまりに多くの罪を重ねすぎた」
『なればこそ、世界を変え――』
「く・ど・い」

 タナさんはゆっくりとそう言った。

「いいかい、アタシがあんたに願うとしたらね、金輪際人間と関わるなってこと」
『叶わぬ。我らは常に人とともに在る。精神であり、概念である。人間が続く限り、我らもまた続く』
「ならさ、向こう百年黙ってな。それでいいさ」
『百年――?』

 俺も悪魔と同じように心の中で繰り返した。タナさんは頬杖をついたまま「そうさ」と言う。

「その先のことは、その時代の人間たちの仕事。アタシたちの管轄じゃぁ、ないさね」
『無責任とは――』
「悪魔に責任論を語られるとはねぇ」

 タナさんはクックッと笑う。

「でも、答えは同じだよ、悪魔」
『なれば、我々はエリザと共に世界を変えよう』
「そうくる?」

 俺とタナさんは同時に言った。そのあまりのシンクロ具合に、俺たちは顔を見合わせる。タナさんは小さく笑い、また、悪魔に気だるい視線を送った。

「どうする、エリさん?」
「行くも地獄、帰るも地獄か」
「丁度いい旅路さね、アタシたちには。地獄ってのがいいよ、実にいい」

 アタシの体験してきた地獄を超えるかねぇ?

 ――タナさんの声が聞こえた気がする。

 俺はタナさんの手を握り直した。タナさんは少し口角を上げる。

「どっちも地獄って言うのなら、この際だ。エリザ女公爵とやらの顔でも拝みに行きたいねぇ。だろう、エリさん」
「だな。でも、そしたらこいつをどうにかしないと」

 俺は長剣ガルンシュバーグを手繰り寄せる。が、タナさんは首を振る。悪魔はなおも言う。

『我々と手を結ぶか。汝らを我々に捧げるか。道は二つに一つ』
「むちゃくちゃだな」

 俺は肩を竦める。タナさんも「うんうん」と頷いている。

「アタシたちの答えはね、どっちもやなこった、だよ、悪魔。あんたらには無限の時間があるんだろう? だったら、こんなところに慌てて出てこないでさ、黙って見てなよ。魔女と悪魔の子。教会やあんたたちには、アタシたちは特別な何かなんだろ?」
『いかにも』

 案外律儀な悪魔である。

『ゆえに、こうして手を差し伸べたに過ぎない』
「要らないねぇ」

 タナさんはそう言うと、いきなり俺の肩を抱いた。それは実に男らしい所作だった。

「アタシはね、この男を最高に幸せにするために、そのためだけに今、生きている。出来得る限り最高に幸せにしてやるって。そしてそれがね、アタシが生きる唯一の目的なのさ」
『積み上げた髑髏どくろの数でそれを言うか』
「百も承知さね」

 だからね、とタナさんは続ける。

「だからこそなのさ。アタシたちの罪や過去はいい。ずっと重荷だったそれを、アタシはこの人と分け合えた。十分なのさ、それで」
『ならば――』
「せっかちは嫌われるよ、悪魔」

 タナさん圧勝である。

「これから何が起きるか、推して知るべしさ。エリザが何をやらかすか。いや、何をやってきているか。だから、アタシたちはそれを少しでも止める。怒りや悲しみを少しでも止める。それがアタシたちなりの、罪の利息の払い方さね」
『それでは汝らが罪の負債は永遠に――』
「く・ど・い」

 再びタナさんは言った。

「それでね、あんたらと手を組んで何かを為したとする。でもね、それでアタシたちの罪が消えることはないのさ。罪のおこりってのはね、アタシたち自身の内に溜まるもの。世界が背負っているものなんかじゃない。アタシたちが幸せを掴む、そのスタートラインに立つためにはさ、誰かに何かをしてもらったところで意味なんてない。アタシたち自身が、アタシたち自身の心の中を清算してやらなきゃならないのさ!」
「そうだ、悪魔」

 俺が言う。

「終わらない悪夢は、もうたくさんなのさ」

 たとえ悪魔がその罪を全て持っていったとしても、仮に俺たちの記憶を書き換えたとしても、悪夢は続くだろう。

『よかろう。汝らが理屈は理解した』

 四枚の銀の翼が広げられる。

『エリザと会うが良い。会えるのならば――』

 意外と物分りがいい。俺はタナさんを見る。タナさんは悪魔を無表情に見上げていた。

『そして思い知るが良い。汝らが行為おこないが、また新たな呪いを生むことを』
「それには地獄でごめんと言うさ」

 タナさんは少し表情を緩める。

「アタシたちにできることは、この手の届く範囲を護り続けることだけ、なのさ」
『全てを救わずして――』
「悪魔。あんたに理解出来るかはわからないけどさ。アタシはね、今はたったの三人、護れればそれでいい。世界をとか人々をとか、そんな大きな目的語は聞きたくないのさ。ダサいことこの上ないのさ。主語はアタシ、目的語は家族、動詞は護る。それだけでいい」

 ナイフのように鋭く、しかし、言い聞かせるようにゆっくりと。タナさんは言葉を紡いだ。俺は頷いて聞いているだけだ。時々タナさんが手を握り直してくるのを感じながら。

『欺瞞と偽善に満ちた魔女よ』
「魔女じゃない、元魔女さね」
『……魔女の血は』
「くどいねぇ。しつこいねぇ」

 タナさんは肩を竦めた。悪魔すら黙らせる舌鋒に、俺は改めておそれを覚える。

「エリザに伝えな、悪魔。必ず、お前の剣でお前を葬ってやるってね」
『……よかろう』

 悪魔が羽ばたく。濃密な闇が金色に染まった。瞬間、タナさんが動いて、俺の剣を引き抜き、地面に突き立てた。

「!?」

 あまりの展開の速さについていけてない俺。

 だが、タナさんのその行動の意味は、金色の空が消えた後にすぐに分かった。

 世界が、割れたのだ。

 大地震と大火事が同時にやって来たかのように。

 広場の周囲の建物は、砂の城のように崩れ、燃えた。どの方位を見回しても無事な建物はなく、中心部に建っていた巨大な煙突の姿もない。

 だが、俺たちと噴水は、ガルンシュバーグの生み出した力場で護られていた。

「衝撃波の置き土産とはね」

 タナさんが舌打ちする。

「この空間にあった魔力を全部衝撃波に変換して行きやがった」
「呪いの力が俺たちを護った、か」
「あの悪魔なりの洒落だろうね」

 タナさんは目を閉じて呟いた。

「リヴィは? ウェラは?」
「……わからない」

 タナさんの黒褐色の瞳は、鋭く輝いていた。

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