出発して程なくして、リヴィとウェラは眠ってしまった。タナさんも疲労が出たのか、俺の膝を枕にして横になっている。俺はというと、このムーディな振動による腰への蓄積ダメージを心配しているところだ。
タガート隊長によれば、途中でいくらか補給活動をするにしても、順調にいけば半月程度で目的地に到着できるだろうとのことだった。
その日は結局さほど進むこともなく、夜になってしまった。さすがに初秋である。日が落ちるのが早い。さっきの一件もあるし、第一にタガート隊長たちは今日到着したばかりだ。無理はさせたくなかった。
「我々はたまたま近くの街におりましたからな。それほど無理はしておりませんよ」
タガート隊長は焚き火に枯れ枝を放り込みつつ言った。
「道理で、いくらなんでも到着が早すぎると思った」
「それも、縁さね」
タナさんが例のトウモロコシの粉でスープを作っている。
「良い縁であることを祈りたいですな」
スープを受け取りながら、タガート隊長は言った。俺は頷く。
「ところで、俺のことはどこまで?」
「脈絡なく来ますな、殿下」
「……もういい」
俺は肩を竦める。タガート隊長はニヤリと笑う。
「ティナ、ジョルジオ、お前らは休め。朝方はお前たちが立て」
例の夫婦はティナとジョルジオか。一応覚えておこう。
「ああ、紹介がおくれましたな。そこの偉丈夫がダラス、今見張りに立ってる、ひょろっとした方がアメニデ、ずんぐりしたのがオルトです」
「全員達人なんだろう?」
「もちろん。うちの中隊は王国騎士でも最精鋭。大船に乗ったつもりで!」
「信頼してるさ。なにせ俺がコレだから」
「災難ですなぁ」
くっ、他人事みたいに……。
「パパはな、隊長。ママの心の支えやからな!」
干し肉を配り歩きながら、リヴィが言う。
「ママを超パワーアップさせる謎の薬みたいなもんやで」
「謎の薬って、お前な」
人を何かの薬物みたいに。
「ああ、ところでリヴィは」
「ん?」
「俺のことは? 聞いてたのか?」
「で・ん・か!」
リヴィは「むふー」とか言いながら俺にすり寄ってくる。
「パパ、王子様やってんなー? ウェラの風の精霊さんがいちいち実況してくれとったわ」
余計なことを……とは思ったが、でも、いずれ知らなければならないことだった。一つ肩の荷がおりたような気がしないではない。
「血のエライアソン。まさかあの戦争で生き延びていたとはさすがに思いませんでしたよ」
タガート隊長は言う。
「あのベレム砦の戦い。私も一兵士として参戦していたのですよ、殿下」
「殿下はやめてくれ、エリソンでいい」
「エリさん」
「エリソン」
「どっちでもいいじゃないですか」
タガートは笑う。その憎めない笑顔を見せられると、何故か許してしまう。タガート隊長はスープを飲み干すと、干し肉を持って部下たちのところへ行ってしまった。
焚き火の前には、俺とタナさん、リヴィとウェラの四人が取り残される。
「ウェラもリヴィも、怖くないのか?」
「こわい?」
焼いた干し芋をかじっているウェラが、目を丸くする。
「俺が人間じゃないっぽいことさ」
「なんだ」
ウェラはニッと笑う。やっぱりリヴィに似てきた。
「ウェラはパパが好きだよ。悪魔とか魔女の子とかどうでもいいの。パパはウェラのパパだから」
「ウチもやで。パパが世界で一番好きな男の人や。いまんところな」
「ありがたいね」
俺はタナさんを見る。タナさんはそんな俺たちを微笑んで見ていた。ふわりふわりと揺蕩う炎の影が、タナさんを輝かせている。
「でもなー、パパが三枚目でよかったわ」
「うぐっ、いきなり刺してくるなよ」
「よかった言うてるんやで。もしな、パパがカディル審問官くらいのイケメンやったら、ウチ一生親離れできひんよ」
それはフォローか? フォローなのか?
複雑な気持ちで俺は焚き火を見る。タナさんは……というと、うつらうつらし始めていた。タナさんは未だ呪いの返しから抜けきれていないのだろう。
そんなタナさんに膝枕したり、寝ている娘たちに毛布をかけ直したりしている内に、気がつけば夜明けだ。途中途中でいくらか寝たが、そのたびに二十年前の夢で叩き起こされた。タガート隊長からベレム砦の戦いについて聞いてしまったからだろう。
そんな半分寝ぼけている俺の前に、兜を脱いだタガート隊長が座る。金属の甲冑を着ているのに、音もなく、だ。どういう技術なのか皆目見当もつかない。
「あんたがベレム砦とかいうから、思い出してしまって眠れない」
「それは失礼しました。しかし――」
「俺の騎士団は将軍以下二万人が文字通り全滅。王国軍もその倍近い被害があったと聞いている」
「まさに地獄絵図でしたな。戦いを指揮していたハイラッド公爵すら討ち死に。攻め入ってきたたった一人の少年によってね」
「ああ」
その少年というのは――俺だ。王国を離反したはずの将軍たちに梯子を外され、俺たちはベレム砦で孤立無援となったのだ。地獄のような正面決戦に引きずり出された俺は、半ば以上自棄になって単騎夜襲をかけた。
「私はハイラッド公爵の直率兵でありながら、公爵を守れなかった。あの悪魔のような少年騎士を前に、剣すら抜けなかった」
「悪魔、か」
俺は首を振る。
「敵討ちを?」
「それは私の正義ではない」
「主君の仇討ちは正義では?」
「昔の話です」
タガートはわざとらしく肩を竦めた。
「それに今の私の主は国王陛下ですよ、殿下」
「ならばなお、俺のことは」
「まさか。血のエライアソンが生きているはずがありますまい」
「しかし」
「ハイラッド公爵は、あの血のエライアソンと刺し違えられたのですよ、エリさん」
公爵の名誉――それが俺を護っているのか。
「あんたは、それでいいのか?」
「公爵閣下の遺言を聞いたのは私ですよ、エリさん。閣下は、あの若者にチャンスをやれ、とおっしゃいましたな。そして私の名誉のために、私は悪魔を討ち果たしたことにせよ、と」
「そんなことが……」
急速に喉が渇いてくる。道理で消息不明の噂と、討伐されたという記録とが混在しているわけだ。俺に対する追手が一つもかかっていなかったことも、そういう事情なら頷ける。当時の王国で二番目の権威を誇ったハイラッド公爵がそうしろというのなら、誰もが従う他にない。
「いずれにせよ、過去の話です。私もあの後、あなたがたった一人で生き延びられるとは思っておりませんでした。もしその腰が無事だったら、手合わせ願ったかもしれませんがね」
「たとえ腰が無事でも、王国騎士には勝てやしないよ」
俺はあっさりと白旗を上げる。勝負するだけ時間の無駄だ。タガート隊長は笑う。
「しかし、負けもしないでしょう? あなたと私では背負ってるものが違いすぎる。ウェラやリヴィ、そしてタナさん」
「タナさんたちが俺を背負ってくれてるんだよ」
「ははは! 物理的にはそうでしょうな!」
「うん……」
否定できない。唸る俺に、タガート隊長は朗々と言った。
「リヴィたちから伸びる糸は、全てあなたに結びついている。だからこそ、皆が皆、安心して動き回れる」
「それはなにかい、俺は目印みたいなものだと?」
「タナさんたちにとっては、灯台なんですよ、あなたは」
「そんな大層なものかなぁ?」
「我々もまだ付き合いは浅いですが、リヴィやウェラを見ていればわかります。子どもは素直ですな」
「あの子たちはとびっきりな」
くっついて眠っている二人の娘を見ながら言う。タガート隊長の表情も柔らかい。もしかしたら子どもがいたりするのだろうか。
「父親冥利ですなぁ」
「それは否定しない」
俺は残っていた干し肉を軽く炙って口に入れた。
「エリザ、か」
「女公爵エリザ・レヴァティン。なかなかの魔女でしょうなぁ」
まるで他人事のように言うタガート隊長。この男は動揺なんてするのだろうか。
「怖くはないのか?」
「怖いですよ?」
即答である。それには俺が面食らった。
「天下の王国騎士が?」
「立場上、怖いなんて言えませんけどね。ですが、それが我々の偽らざる気持ちです」
「そうなのか」
「我々とて人間です。ティナ、ジョルジオのように、身分差を乗り越えて十年越しの交際で結婚に漕ぎ着けた者もいれば、私のように先々月子どもが生まれたような者もいる。そんな立場で、命を賭けた戦いに赴く。怖くないはずがありますか」
「……そうだな」
「背負うものが多くなればなるほど、死ぬのが怖くなる。愛する者ができてしまうと、人はどんどん臆病になる」
タガート隊長の口調は少し重たい。
「我々王国騎士は、それらを、そして国家の安寧を背負っているからこそ、強くあれる。ですが、これはあなた方も同じでしょう。剣の腕が即ち強さではないのですよ」
「はは」
思わず笑いが漏れる。
「あれだけこの手で殺してきた俺が、いまさらねぇ」
「過去は変えられませんよ、殿下。あなたの起こした戦のために苦しんだ国民とて数十万ではききますまい。家族を失った者も大勢いる。それは事実ですよ。変えられません」
「わかってる」
「だからこそ、エリザ女公爵を止めようというのでしょう?」
「贖罪のつもりなんかじゃない」
「ええ」
曖昧な相槌。タガート隊長の浅黒い肌に刻まれる影が深い。
「俺は、これから生まれる被害者を減らしたい。こんな過去を持つ男がそんな事を言うのは……傲慢だろうか」
「いいえ」
タガート隊長はゆっくり、音もなく立ち上がる。
「少なくとも私には、あなたは勇者に見えますよ」
「勇者……か」
俺は小さくなってきた焚き火に視線を戻して、呟いた。
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