翌朝、未だ朝靄が烟る時分、俺たちはすでに馬車の人となっていた。
「パパ、ママ、眠そうやなぁ?」
ウェラが眠っているのを確認してから、リヴィがニヤニヤしながら言った。俺とタナさんはなんだか気恥ずかしくなって、視線を合わせられない。
「ウチ、嬉しいわ。これでウチ、心残りは無いで」
「なに縁起でもないこと」
「心配せんでええよ。ウチがパパとママを護ったるさかい」
「リヴィは――」
俺が言おうとした時、タナさんが首を振った。
「エリさん、女の子の決意は鋼より硬いんだよ。リヴィなりに考えた最高の結論がそれさ。だったらね、アタシたち大人は、ただありがとうって言いさえすればいい」
「そうだな」
俺は腕を伸ばしてリヴィの赤毛を撫でた。
「ありがとうな」
「おおきに!」
リヴィが抱きついてくる。
「あぁぁ、パパ成分補充~!」
俺には、そのものすごい腕力から逃げ出す術はない。
「タ、タナさん。これ、どうするの」
「娘が甘えてくれてるんだ。よかったじゃないか」
ちょっと口調が冷たい気がする。そして、助けてくれない気もする。
その上、目を覚ましたウェラまで俺に絡んでくる。二人は時々俺の腰を気遣うふりをしながら、どこまでも俺に甘え続けた。
――結局、俺が解放されたのは昼の休憩の頃だった。
俺は案の定、冷たくなりつつある地面に転がされて、タナさんの灸治療を受ける羽目になった。しかし、今日は気持ち、いつもより熱かったようにも思う。
「今夜か明日にも、カルヴィン伯爵領に入ります」
服を着直している俺に、タガート隊長が白い歯を見せる。この状況で笑えるメンタルは、さすが王国騎士と言わざるを得ない。
「ところでタガート隊長。あんたたちは、なんて言われて派遣された?」
「名目上は、カルヴィン伯爵の城まで案内、護衛せよ、ですな」
「本当のところは?」
「それをまっすぐ訊きますか」
「変化球投げてもしょうがないだろ」
「それは確かに」
タガート隊長はしばし考える。そして部下たちをちらりと見回してから「いいでしょう」と頷いた。
「我々の目的は、今回の魔女狩りの発端となったカルヴィン伯爵を捕らえ、教会との関連を吐かせることにあります」
「カルヴィンはもういないと思うけどねぇ」
タナさんはあの黒い飲み物を飲みながら言った。タガート隊長は頷く。
「我々もエリザ・レヴァティン女公爵のことはカディル審問官から聞いております。であるからこそ、なおのこと、教会との関連を探らねばなりません」
「カディル審問官は何も?」
「あの男は被害者ですな」
タガート隊長は少し表情を曇らせた。
「カディル審問官の前途は艱難に満ちるでしょう」
「助けてやれるか?」
「そのためにも、教会とエリザ女公爵、あるいはカルヴィン伯爵との関係を暴かねばならないのです」
なるほどねと俺は頷く。タナさんが俺の隣にやって来て腰を下ろす。
「異端審問官――カディルのやつもずいぶんえらいものになっちまったねぇ」
「この数十年、魔女狩りが落ち着いていましたからな。彼も教会のエリートを目指していたら、たまたまそうなっていたに過ぎません。決して魔女狩りを率先して行うような男ではありません」
「でも、ユラシアは魔女になった」
俺は多分苦い顔をしたと思う。
「彼女を魔女にしたのは、紛れもなくカディル審問官だ」
「それは否めませんな。されど、カディル審問官がやってきたのは、例の処刑が行われる前日。少なくともその娘の拷問などに手を貸す余地はなかったはずです」
「……そうなのか?」
それは新事実だった。俺はタナさんと顔を見合わせる。
「俺たちはてっきり」
「それがあの男の実直さでしょうな。俺はやってない――彼はそうは言わなかったでしょう?」
「ああ、一言も言ってないな」
確かに。俺はそう言って頷く。タガート隊長は眉間に皺を寄せている。
「実際に審問と言う名の拷問をやったのは、教会の下っ端連中で間違いない。カディル審問官は、彼ら下級の者に罪を着せるのを良しとしなかった」
「だが、奴等がやったのは到底――」
「我々も同意です、エリさん。しかし、正義の裁きは必ず下る。そのために誰かが血飛沫を浴びねばならぬというのならば、それをするのが我々の責務でしょう」
タガート隊長は静かに言う。
「私もまだ新米とは言え人の親。娘があんな目に遭わされたらと思うだけで、血が沸騰しそうになります」
「ゆえに、魔女狩りには反対だと」
俺は大きく訊いてみた。が、タガート隊長は首を振る。
「エリザやドミニアといった、我々に害を為す魔女はすべからく倒すべきと思っております。されど、魔女の疑いだけで自白を強要するようなやり方や、あるいは人に害をなさぬ魔女まで皆殺しにするやり方は、私には到底承服致しかねますな」
「タガートさんさ」
タナさんがカップを両手で包み込みながら尋ねる。
「アタシを見て、どう思う?」
「立派な魔女だと思いますが、何か?」
「魔女はね、引退したんだよ……」
「それは少し待っていただきたい」
タガート隊長は首を振る。
「エリザ・レヴァティンを倒すまではね」
「……はは、言うねぇ、あんた」
「我々は合理的ですから」
そう言ってから、タガート隊長はおもむろに立ち上がった。その右手が腰の両手剣にかかる。
「嫌な空だねぇ」
タナさんは西の空を見上げながら言った。西――俺たちの目的地は、西だ。西の空からこちらに向けて、真っ黒な雲が伸びてきていた。
「さすがに、何事もなく事が運ぶとは思っていませんでしたが――」
タガート隊長は騎士たちを集める。彼らはすぐに兜を被り、面頬を下ろす。タガート隊長も同様だ。白銀のマントが乏しくなってきた陽光を跳ね返す。手にした長剣が物騒にして華麗な輝きを放つ。
「リヴィ、エリさんを護っておくれ。ウェラは精霊で騎士を援護」
「よしきた」
「わかった!」
タナさんが素早く指示を出す。リヴィは抜剣すると、俺の目の前に立った。ウェラはタナさんのすぐそばに移動する。すぐに火の精霊の巨体が現れる。
攻撃はその直後に始まった。光の槍や炎の球が、俺たちに降り注ぎ始めたのだ。まるで暗雲から降り注ぐ雨のように。
「かなわんな、これ!」
リヴィはそう言って次々と襲いかかってくる魔法攻撃を弾き返していく。普通の人間には不可能な剣の振り戻しのスピード。地面を抉るように重く、そして速いステップ。それは俺と自分自身を十分に護っている。ちなみに俺はリヴィの邪魔にならないようにじっとしているだけだ。
「精霊さん! 火の球をなんとかして!」
『承知。我が前にこのような児戯は通用せん』
火の精霊が空に向かって炎を噴き上げた。それはたちまち、降り注ぐ火の玉をかき消していく。
「すげ……」
語彙力が消失して久しい俺である。
「後は光の槍だけやな。どっから撃ってきよるん、これ」
それは空から落ちてくる。
だが……。
「見える」
俺は気付いた。光の槍が生み出される寸前に、波紋のように空間が歪むことに。それも、地上だ。俺はさっきまで干し肉を切るのに使っていた折り畳み式のナイフを握り直す。
いた――!
俺は迷わずナイフを投げつけた。重量バランスからして微妙な武器ではあったが、それは狙い過たず、王国騎士の誰かの横をすり抜けて、その歪みに命中した。
「!」
姿を見せる黒い人影。ナイフが肩か腕に当たったようだ。ようだ、というのは、その人影は次の瞬間には粉砕されていたからだ。王国騎士の剣技だ。それは切っ先の遥か遠くまでを切り裂いていた。石畳までが捲れ上がっている。俺の知ってる王国騎士とは違う……と、俺は冷や汗をかいた。
「パパ、どうやって見つけたん?」
「空間が歪むんだ。魔法が発動する直前に、水のように揺れる」
「ほんまか! せやけど、地上を見てる余裕はあらへんで!」
俺たちに集中的に降り始めた光の槍。リヴィは落ち着いて叩き落としていく。その間にも俺は懐の短剣を取り出して、例の波紋のようなものに向けて投擲した。今度もまた正確に空間を割いて、黒い人影に突き刺さった。直後、今度は腰から真っ二つに引き裂かれる。丁度王国騎士の間合いにいたようだ――というより彼らの間合いは剣十本分以上はある。常人の剣技ではない。そして王国騎士には慈悲はない。
「パパ、ナイフ投げうまいなぁ!」
「エリさん、こいつを」
タナさんが俺のところに駆け寄ってきて、ナイフを手渡してくる。それはかつてウェラを矢から救った、あのナイフだった。
「しかし何人いるのかねぇ」
タナさんの声を聞きながら、俺はそのナイフを投げる。それは回転しながら放物線状に飛んでいき、またも黒い人影に命中した。今度は額かどこかに刺さったらしく、騎士がトドメを刺す必要すらなかった。
「パパ、もうナイフ投げだけでよかない?」
三人目を倒したことで、光の槍が目に見えて減ってきた。その頃には王国騎士たちも戦い方を理解してしまっており、彼ら――おそらく魔導師――も迂闊に魔法を撃てなくなっていた。
「魔法を撃ってくれないと、場所が割り出せないな」
俺は慎重に周囲を見回しながら呟く。
「後は我々が」
王国騎士の誰かがそう言った。
そこからは一方的だった。魔導師は所詮は魔導師。護衛でもいれば話は別だったろうが、彼らは魔導師だけで組織された部隊だった。結果として、圧倒的な戦闘力を持つ王国騎士を前に、一人の損害を出させることも叶わずに壊滅した。
「魔導師が七人か」
跡形もなく消し飛んだ奴も、ちゃんと数えたはずだ。
「すごいわぁ、王国騎士ほんますごいわー!」
その実戦を目にして、リヴィが目を輝かせている。そんなリヴィにタガート隊長が声をかける。
「リヴィ、戦いは隊長が終わったと言うまでが戦いだぞ」
「は、はいっ。って、ウチ、タガート隊長の部隊にいるん?」
「体験入隊だ」
ははっと笑いながらタガート隊長が言う。リヴィは「お、おおきに!」と言ってまた剣を構え直した。その様子を見て、タガート隊長はまた笑う。
「全員、敵の気配は感じるか」
「ありません」
それぞれが周囲を確認して報告してくる。もう生き残ってる敵はナシということか。つくづく彼らが味方で良かったと思う。
「精霊さん、ありがとうね。これ、どうぞ」
ウェラはボーナスのカードをあげている。まだ十数枚あるらしい。
『いつでも呼ぶがいい』
「うん!」
ウェラは笑顔で精霊を見送った。そんなウェラを眺めながら、タナさんが呟く。
「しかし、魔導師を使い捨てとはねぇ」
「もったいないよな。でもこれでエリザの戦力はほぼなくなったんじゃ?」
「だったらいいけどねえ。こればっかりはわからないねぇ」
そしてタナさんは、難しい顔をして西の空を睨んだ。
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