#03-04: 形見と呪い

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 翌朝、俺が目を開けると、タナさんと娘二人はすでに着替えまで済ませていた。タナさんは黒いドレス、ウェラは子供用の動きやすそうな、しかし上品な刺繍の施された衣服、リヴィは黒い男性用の簡易礼装だった。

「ウチのが男の子用言うのが気に入らんけど、城にないっちゅうならしょーがない」

 リヴィは襟元を緩めつつ文句を言っている。ウェラは新しい服にご満悦だ。タナさんのは……。

「これ、ガナートの亡くなった奥さんのドレスらしいよ」
「そうなのか」

 俺が寝ているうちに、ガナートから諸々差し入れがあったらしい。

「エリさんの服ももらったけど、着るかい?」
「うん?」

 俺は示された服を広げてみる。これはこの地方に古くから伝わる伝統衣装じゃないか? そのまま歩兵の儀礼用装備ともなっているはずだ。

「さっき確かめてみたけど、いい生地さね。さすがはベラルド家だよ」

 タナさんは暗に「着ろ」と言ってくる。娘たちは給仕の者と一緒にどこかへ行ってしまった。剣を持ったリヴィがいるから、大丈夫だろう。俺は遠慮なく、その服を身に着けた。ベッドサイドに腰掛けたタナさんが、「ふぅん」と目を細める。

「さすがは育ちの良いエリさんさ。きちんとした服を着れば、きちんと映えるじゃないさ」
「そ、そうか?」
「顔以外はね」

 タナさんはニヤニヤとそう言った。俺は苦笑せざるを得ない。

「気にしてるんだぞ?」
「ここだけの話さ」

 タナさんは幾分声を潜めた。部屋には誰もいないのだから、その必要もないはずだが。

「アタシ、あんたのその顔も好みなのさ。それ以上の言葉が、必要かい?」
「いや、十分だ」

 俺は観念する。俺はタナさんには絶対に勝てないなとも思った。

「ところでタナさん」
「なんだい?」

 ベッドから立ち上がって、タナさんは俺に近付いてくる。そして俺の服の襟口を少し直した。

「今、全然腰が痛くない」
「そりゃ何よりだ」

 俺はいきなりタナさんを抱きしめてみた。タナさんの華奢な身体が、衣服ごしに伝わってくる。

「ちょっと、エリさん。痛いよ」
「我慢して」
「……ふぅ」

 タナさんは息を吐くと、俺の背中に手を回してきた。

「どうしたんだい、エリさん。こんなこと――」
「力いっぱい抱きしめたくなった」

 俺は言った。

「そうか。普段は力をいれられないもんねぇ」
「ああ。だから今はちょっとだけ我慢してくれよ」
「仕方ないねぇ。アタシでいいなら、好きなだけ堪能しなよ」

 タナさんはククッと喉を鳴らす。

「でも、襲ったりはしないんだろう?」
「朝からってのはちょっとね」

 俺はそう言って笑う。タナさんも笑った。

「アタシの人生も捨てたもんじゃなかったねぇ」
「奇遇なことに、俺も今そう思った」

 俺がそう言った時、ドアが開いてリヴィが姿を見せ――固まった。ウェラはリヴィの背中から顔を出して「あーっ」とか声を上げている。

「パパ、ママ、仲良し……するん?」

 仲良し?

 俺はしばし考えて、ようやく答えに行き着く。そんな俺の腕に抱かれながら、タナさんは「あはははは!」と声を立てている。

「それはまだまだ先のお楽しみさね」
「ウ、ウチはええんやで? 気にせんでええで?」
「リヴィ、あんた、興味あるだけだろ。子どもにはまだ早いよ」
「そ、そやな。ウチも恥ずかしくて頭が熱ぅなってきたわ」

 純粋な子だなぁと思いつつ、俺はタナさんから離れた。タナさんは首と肩を回してゴキゴキ言わせている。

「ね、リヴィ」

 ウェラがリヴィと並んで部屋に入りつつ訊いた。

「仲良しってなに?」
「パパとママがな――」
「リヴィ」

 俺とタナさんの声が重なり、リヴィは首を竦めた。タナさんが静かな声で言った。

「ウェラもいつか知る時が来るさね。まずはウェラもいい男を見つけないとね」
「幼女には無理や。危ないおっさんしか寄ってきぃひん」
「幼女って言うなぁ!」

 また姉妹喧嘩が発生している。

「あの」

 給仕がドアの向こうから姿を見せた。

「朝食の準備ができております」
「今、行くよ」

 タナさんが反応した。

 かくして俺たちは大きな食堂に案内された。

「ところで、俺たちと一緒に来た女たちは無事なんだろうな」
「もちろん」

 給仕は胸を張る。

「もうすでに食事を終えて、順次出発の準備に入っております」
「さらわれた場所に?」
「左様です。ガナート様より魔女ではなかった旨の証明書も渡されておりますので、しばらくは安全でしょう」

 証明書、か。異端審問官が見たら鼻で笑うだろうが、それでも一般人たちが手を出すことはできないだろう。ガナートもそのあたりは承知だろう。根本解決はともかく、今は時間をかせぐのが第一と見たのだろう。それには俺も賛成だ。

「しかし、異端審問官は百名の魔女容疑者を探せって言ったんだろう?」

 この給仕がどこまで知っているかはともかく、訊いてみることにする。給仕は「左様です」と肯定しつつ、俺たちのカップに紅茶を注いで回った。朝食とは思えないほどの豪華なメニューに、俺はやや呆れ、タナさんはサラダと一欠片ひとかけらのパンを確保しつつ思案顔。リヴィは「めっちゃあるで!」と目を輝かせ、ウェラは黙々と何種類もあるパンを齧っていた。

「お貴族様言うんは、毎日こないな豪華なもん食べとるんか?」
「いいえ」

 給仕は首を振った。

「キース様はともかく、ガナート様は質素倹約を旨となさっております。今日は特別です」
「そ、そうなん? あのおっさんがねぇ」
「あの方も気の毒な方なのです」

 給仕が言う。言い忘れていたが、この給仕は男装した女性である。黒いショートヘアが印象的だったが、その深緑色の瞳には得体のしれない深さがあった。そして俺の見立てでは相当な剣の使い手でもある。間合いの取り方や足運び、目線、そういったものが実戦経験を感じさせる。獲物ぶきこそ見えないが、どこかに隠していると言われても納得だ。そして先手を取られたらまず勝てない。

「あの方は――」
「理想と現実の狭間はざま、だろ」

 タナさんはサラダを眺めながら言った。給仕は頷く。

「しかし、皆さんのおかげでガナート様もようやく、自分がどう生きれば良いのか、知ることができたのだと思います」
「羨ましい話だな」

 俺は言った。俺にはまだがわからない。

「ガナート様のこれからの道は、今まで以上に厳しいものになります」

 彼女は言った。

「――異端審問官を敵に回すわけですから」
「そうだねぇ」

 タナさんはぼんやりと頷いた。

「でも、ガナートは決めたんだろう? 領民を護るって」
「ええ。それは昨夜、私が間違いなく確認しました。異端審問官みたいな他所者ヨソモノに、領民をとやかくさせるわけにいくものか、と」

 ほう。俺は紅茶を飲みつつこっそり息を吐く。

「ガナートは疫病や飢饉を領地に招き入れるわけにはいかない――そう信じていたようだが」
「いえ」

 給仕は首を振る。

「あの方もわかっておられるのです。そんな事をしても、災厄は来る時には来ると。魔女狩りのような行為は、領主として、何かしてみせたというポーズに過ぎないのだと」
「……」

 何か言おうとしてやめる俺。タナさんも黙っていた。リヴィとウェラは黙々と食べ物を口に運んでいる――ふたりともすごいスピードだ。

「あの方は奥様とお子様を本当に愛していらしたのです。しかし――」
「五年前の疫病で、か」
「左様です。そして、その虚しさや憎しみをぶつける対象が、魔女しかいなかった。そんなことはないと知りつつも、そうせざるを得なかった」

 そう、だよな。

 ガナートが五年間も大切に保管していた羊皮紙。そこに書かれた言葉。
 
「ガナート様は、あなたがたに感謝しておられます。もちろん、私も」
「ふむ」

 タナさんは少し難しい顔をしていた。

「ところであんたさ、人間じゃぁないね?」
「……そう、ですね」

 男装の給仕は頷いた。この部屋には俺たち以外に誰もいない。思わぬ言葉に、リヴィとウェラが硬直している。

「ですが、あなたがたに害を為すことは、誓ってありません」
「そうだろうね」

 タナさんは言うが、俺には何のことだかわからない。給仕は意を決したような表情を見せて、ついとリヴィに向き直った。

「リヴィさん」
「ウ、ウチ? な、なんや?」
「これを」

 給仕は内ポケットから小さなペンダントを取り出した。

「あっ、これって……」
「リヴィ、受け取るんじゃない」

 タナさんが鋭い声で言った。手を伸ばしかけたリヴィは、驚いて手を引っ込める。

「これはあなたのお母様の形見。そして、私の命の源です」
「命の源?」

 リヴィは俺たちを見回し、タナさんで視線を止める。

「その給仕は、死んでるのさ。いわば、生きている死体みたいなもの」
「そうなん!? 全然普通の美人さんに見えるけど」
「三年前、私はあなたのお母さんからこれを託された。たまたま一緒の牢にいただけの私に、病気で死にかけていた私に、生きなさいと」

 給仕の告白に、俺たちは絶句する。

「でも、これは貴重なもの。ですから私は、あなたにこれを返さなくてはなりません」
「そないなことしたら――」

 リヴィが言う。給仕はニコリと微笑んだ。

「良いのです、これで」

 給仕はそのペンダントをリヴィに向かって突き出した。タナさんはウェラの手を握ったまま動かない。俺も何を言うべきか、正直困っていた。

「あのな、ええと――」
「ジェノスと申します」
「ジェノスさん。あのな、ウチ、それは受け取れん」
「なぜですか。これはあなたのお母様の形見です。あなたが持つべきものです」
「せやろか?」

 リヴィは首をかしげた。

「ウチ、確かにおかんのことは大好きやった。せやけど、おかんが生きろ言うたんやろ? 結果としてあんたも死んでしまったんかもしれへんけど、おかんのそのペンダントのおかげで、今こうしておるんねやろ?」
「そうです。ですが、時は来たのです」
「違うと思う」

 リヴィは明確に言った。

「ジェノスさんは、今が辛いんか? 生きるのをやめてしまいたいくらいに、今に絶望してるん?」
「それは……」
「もしな、ジェノスさんが今すぐ死にたいっていうくらいに辛い言うなら、ウチはそれをとして受け取る。せやけど、そないでもない、まだ生きてても良いかなって……ちょーっとでも思っとる言うなら、ウチはそれを受け取れへん」
「ですが、ここを出たら二度と会えない……」
「それならその時やない?」

 リヴィはゆっくりと言った。

「うちはおかんとの楽しい思い出は山ほど持っとるんや。それが辛かったりもするんねんけどな、せやけど、うちはおかん成分に不足は感じてないんねや」
「リヴィさん……」
「ジェノスさんはな、今、まぎれもなく生きとる。いや、生きとる死んどる、そないなこと、本当のところなんてどうでもええ。せやけど、今こうして話ができてる人に、今すぐここで人生終わってくれなんて殺生なことを言うなんてのは、ウチにはできひん」

 リヴィの言葉は、少女のものとは思えないほどに重たかった。

「もしな、これから生きることが辛くなったら、自分でそのペンダントを山の中にでも捨ててくればええ。ウチはな、おかんの形見なんかより、おかんの言葉の方を大事にしたいんねや。おかんは、ジェノスさんに生きて欲しいと言うたんねやろ?」
「は、はい」
「ほなら、ウチがそれを終わらせるのは筋が通らん。ウチをその理由にされるのも筋が通らんよ。ちゃう?」

 リヴィの言葉に対して、俺たちは沈黙をもって応える他にない。

「ジェノスさん、さっき言うたよな? ガナートのおっさん、これから厳しくなりよるって。そんならなおのことや。あんたはガナートのおっさんを護る仕事があるんちゃうか? そういう生き方もあるんちゃうか?」

 リヴィはそう言うと、ジェノスの右手――ペンダントが乗っている――に自分の右手を重ねた。そして目を閉じる。

「ああ、そうやな……」

 リヴィは小さな声でそう言った。彼女はペンダントから何かを感じたらしい。

「ジェノスさん」
「はい」

 リヴィの青い瞳ブルーオパールに見上げられたジェノスは小さく喉を鳴らした。

「おかんが、すまんねって」
「なぜ……」
「生きろなんて言って、ごめんやでって」
「そんな……」

 ジェノスの目から涙が溢れ出した。リヴィも一筋、涙を流した。そんなリヴィの肩に、タナさんが手を置いた。だが、タナさんにしては珍しく、唇を噛み締めて何も言わない。

「おかんは最期までその事を悔いていたのかもしれん」
「そんなこと――」

 ジェノスはがっくりと膝を折る。その目からはとめどなく涙が流れている。リヴィは片膝をつくと、ジェノスの肩に触れる。タナさんはその後ろで、どこか遠くを見るようにして立ち尽くしていた。ウェラは視線をあちこちに彷徨わせている。

 リヴィはこれ以上ないくらいに静謐せいひつな声で、叙唱のように語りかける。

「な? ジェノスさん。あんたには生きる権利がちゃんとあるんや。それはな、確かに、偽りの命かもしれへん。ウチは、あんたのことをまだよう知らん。せやけど、おかんが生きて欲しいって願った人間やっちゅうことはわかる。せやからな、あんたはあんたの生き方をするべきやと思う。そのペンダントの魔力かて永遠じゃないんねよ。せやから心配せんでもええ。あんたは、ちゃんとになれば死ねる」
「リヴィさん……本当に」
「くどいのは嫌いや。ウチはそう決めた。ウチは頑固なんや。やると言ったらやる。やらないと言ったらやらない。うちはな、ジェノスさん。あんたには重大な責務ってのがあるんとちゃうかと思うとる」
「重大な……責務?」
「せや」

 リヴィはジェノスを立ち上がらせて、しっかりと抱きしめた。

「あんたには、こうして体温もある。ウチ、あんたみたいな人、好きや。そしておかんも多分、あんたのことが好きやってん。せやからな、あんたがおかんに続いてウチに出会ったのもとはちゃうやろか?」
「それは……」
「ウチがな、はっきりあんたに教えたる。あんたは、生きる以上幸せにならなあかん。もしなれへんかったら、あんたはおかんを裏切ることになるんねよ?」
「そんなことは、しかし……」

 ジェノスはリヴィを抱きしめ返す。言葉が出ないのだろう。俺にだって何も言えない。

ってなんやろな?」

 リヴィはぽつりと訊いた――誰にともなく。だが、俺たちの誰も、それに応えられない。

「……わからんよね」

 リヴィはタナさんを振り返る。タナさんは目を閉じて俯いていた。泣くのをこらえているようにも見えないではない。

「せやけど、それでええとウチは思う」
「――幸せじゃないと感じることは多いよ、リヴィ」

 思わぬ声が挟まれる。ウェラだった。

「どんな幸せも、楽しかったことも、一つ二つの不幸せで簡単に吹き飛んじゃうんだ。楽しかったことが重荷になることもあるよ? 楽しくしなきゃ、幸せにならなきゃ――そういう思いって、ウェラは呪いみたいなものだと思うよ」

 そう語るウェラの表情は、暗い。およそ見た目にそぐわない沈鬱さだった。しかし、リヴィは「それはそうかもしれん」と少し明るい声で応じた。

「せやけどな、それでええんや。幸せばかりじゃ心が麻痺してまうやろ? せやから、神様とかいうのが、時々次に来る大きな幸せをより大きく感じられるようにって与えるのが、不幸せってやつだと思うんよ、ウチは」

 次に来る大きな幸せを大きく感じられるように――か。俺は息を吐く他にない。

「せやけど、みんなにウチと同じ考えをせぇなんて言えへん。けどな、こういう考え方や生き方もあるっちゅうことは……そりゃウチは一番年下やねんけどな、それでも誰かに伝えたくなったんや」
「リヴィさん」

 ジェノスが少し声を張った。

「私は……まだ生きます」
「それでええよ」

 リヴィは何でも無いことのように肯定した。

「まだしばらくはガナートのおっさんところにおるんねやろ?」
「クビになるまでは」

 ジェノスは小さく笑った。リヴィも笑う。

「ほなら、ウチな、この旅が終わったら必ずここに戻る。そん時にな、また今みたいな豪勢な食事出して歓迎してもらえたら、ウチ、嬉しいなぁ」
「……必ず」
「おっけいや。そん時までに偉くなっといてや」
「わかりました」

 ジェノスは微笑み、ペンダントを内ポケットに戻した。

「これであんたは簡単には死ねへんよ?」
「死んでる場合じゃないですね」

 二人は笑みを交わす。俺はタナさんの目尻がキラリと輝いたのを見てしまった。俺もタナさんとは同じ気持ちだったと思う。

 その時、食堂の扉が開いて、騎士が一人駆け込んできた。ジェノスはゆっくりとその騎士を振り返る。

「ジェノス、この方たちを避難させてくれ」
「避難?」

 俺が思わず尋ねる。騎士――ガナートと一緒にいた騎士の一人だ――は、頷いて、呼吸を整えてから言った。

「キース派の騎士たちが反乱した」

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