#03-03: タナさんの告白

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 このまま屋敷にとどまっていてもあまり良いことはなさそうだ――という直感めいたものはあったのだが、なにしろ今の俺は身動きができない。ガナートの部下によってこの豪華な客室に連れてこられたところまでは良かったが、そこまでだった。かろうじて自力で、部屋の中央のキングサイズのベッドに辿り着いたが、そこで腰が死んだ。

「う、動けない……」

 脂汗ダラダラ状態である。タナさんはうつ伏せになった俺の上着をまくりあげ、「こいつぁひどい」と呟いた。何がどう酷いのか説明してほしいという気持ちはあったが、聞いたら余計痛くなるかもしれないのでやめておいた。

「しょうがないねぇ」

 タナさんは自分のカバンから何やら持ち出してきて、俺の背中に置いた。あ、お灸だ、これ。

「ウェラ、火を頼むよ。こんがりとね」
「えぇ?」

 露骨に戸惑うウェラ。うん、ウェラ、それは冗談だからね。マジで。

「うわー、めっちゃ腫れてるやん。こんなん見たことないわ」

 リヴィが余計な情報を俺にくれる。腰は自分では見ることができないので、余計に気になる。

「灸が終わったら揉むよ。ウェラ、リヴィ、あんたらも疲れただろう? 休んでていいよ」
「パパの隣で?」

 リヴィがにひっと笑う。確かに、この部屋にはベッドはこの一つしかない。

「おじさんの近くじゃ寝られないかい?」
「お、おじさん、言う、な……」
「何をいまさら。アタシたちはリヴィの倍以上年食ってるんだ。アタシはギリギリおねえさんだけどね、あんたは立派なおじさんさ」
「むぅ……」

 異議を唱えたいが、とりあえずお灸が気持ち良いので良しとした。

「ウチとウェラ、どっちがパパのそばで寝るかやなぁ」
「ウェラがとなりー!」
「ええ、なんの権利でそうなるん」
「ウェラちっちゃいからね」
「おねえちゃん、なんやろ?」
「おねえちゃんだけど、ちっちゃいからいいんだもんー」
「なんやその理屈」

 うん、なんだなんだ? 俺のそばを巡って女の子たちが対決してるのか? こんなの夢でも見たことはないぞ。

「モテモテじゃないか、エリさん」
「そうみたいだな」
「嬉しいかい?」
「あたりまえだ」
「ふぅん」

 タナさんは思わせぶりに息を吐いて、ベッドの端に腰を下ろした。

「にしたってさ、エリさん。大理石の床を鞘尻で砕くとか、ちょっとは自分の身体を考えな」
「う……面目ない」

 それについては反省している。俺が俺を制御できなかった結果だ。

「まぁ、いいさね。どれ」

 俺の隣には、寝息を立てているウェラと、リヴィがいる。俺の至近距離争奪戦は、なんか中途半端なところで唐突に終わったようだ。

「エリさん」
「ん?」
「キス、してあげようか?」
「え?」
「ふふ」

 タナさんは俺に顔を近付けて、ニッと笑いかける。甘い香りがふわりと漂ってくる。頭がクラクラするくらいに柔らかくて魅力的な香りだった。

「タナさん、ストップ。やめとこうぜ?」
「なんでさ」
「そこで盛り上がっても、やること、やれないだろ」

 なんとなく適当な理由をでっち上げてみてから、それが案外真実だったとも思ったりする。それを聞いたタナさんはクックックと喉を鳴らして笑い、俺の背中を何度かペシペシと叩いた。

「キスだけで盛り上がるとか、十代じゃあるまいし」
「わかんないよ? 俺だって案外現役かもよ?」
「ま、どうだっていいさね」

 タナさんはそう言って、俺の背中にキスをした。

「ふふ」
「ん?」
「魔女の印。つけさせてもらったよ」
「魔女の印?」

 なんだか物騒な言葉を聞いた気がする。そんな俺の腰を揉みながら、タナさんが答える。

「そ。これであんたはアタシから逃げられないんだ」
「魔女は引退したんじゃ?」
「引退したよ」
「だったら……」
「引退しようがなんだろうが、魔女の力はついてまわるのさ。使うか、使わないか。それだけの話。今のアタシは魔法の誘惑に勝てなかった。それだけの話さね」
「うーんと、魔女の印ってのはどんな効果があるんだい?」
「言っただろ。どこに逃げたって、逃げ切れないってことさ」
「俺がタナさんから逃げる? ないない」

 俺はタナさんの絶品のマッサージを受けながら軽く答えた。こんな技を持つ女性を手放すバカがいるだろうか、いや、いない。それにこれは思い込みだけでなければいいと思うが、俺たちは気が合う。息も合う。――時々その舌鋒が心臓をえぐってきたりもするけど、基本的には。

「タナさーん」
「なんだい、気持ち悪いね」

 こういうのが刺さる。けど、なんか嫌いじゃない。

「気持ちよすぎる」
「やらしいことしてるみたいな事を言うんじゃない。娘たちが寝てるんだよ」
「やらしいことしてないから良いじゃないか」
「まぁ、そうさね。シュールな光景さね」
「だろ」

 俺はそう言いながら、さっきのタナさんの言葉を考える。

「なぁ、タナさん。魔女の印ってさ」
「好きだからだよ」
「へ?」
「あんたが好きだから。アタシは離れたくないと思ったのさ」
「俺はタナさんから離れてやる気はないけど」
「そうなのかい?」
「そうさ」

 特に理由もないし。このままずっと駄弁たべっていられれば良いなとも思う。

「ははは、いいねぇ。ありがたいねぇ」
「タナさんさ」
「うん?」
「俺が好きなのは本当かい?」
「正直言うと……よくわからないのさ」
「わからない?」
「アタシには、人を愛するという思いがわからないのさ。今抱いているこの気持ちがそうなのか、アタシには証明するすべがない」
「でも、俺とは一緒にいたいと」
「ああ、そうさ。ウェラやリヴィともね」
「ふぅん」

 俺はそう答えてしばらく無言になった。タナさんは黙々とマッサージを続けていく。

「それってさ。それが愛かどうかはともかくとしてさ、好きって思ってるのなら、それでいいんじゃないか? タナさん、ずっと一人だったんだろ?」
「そう、だね」

 タナさんの少し寂しげな声。背中側にいるので顔は見えない。

「うにゅ」

 リヴィの声が聞こえた。

「はっ、ウチ、見てはいけないものを見てるんとちゃうやろか!?」
「馬鹿だねぇ、リヴィ」

 タナさんは豪快に笑った。

「エリさんにできるわけないだろ?」
「それもそ……って乙女になんの話させんねや、ママ」
「いや待って、ふたりとも。なんか俺が馬鹿にされてないか?」
「ないない」

 タナさんが軽く、しかも心のこもってない声で応じてくる。刺さるなぁ。

「なぁなぁ、パパ、ママ。二人の時間を邪魔するようで気ぃ引けてはおるんねんけどな、気になって寝られんねや」
「寝てたじゃないか」

 俺とタナさんが同時にツッコミを入れるが、リヴィは意にも介さない。

「ママとパパは結婚してないんねやろ?」
「会ったばかりみたいなもんだからな」
「ふむー」

 リヴィはベッドの上にあぐらをかいた……気がする。顔が向けられない。

「でもな、ええ感じやな! ママはパパのことが好きやろ?」
「女同士、その辺は通じちまうのかねぇ」

 タナさんは小さく笑っている。その声が耳にも心地良い。

「そうさ、多分ね。アタシはこの男のことが好きなんだ」
「多分って? 好きなら好きで終わりやないの?」
「好きで終わり?」
「せや」

 リヴィは元気よく肯定する。

「ウチもな、結構モテてたんやで。ウチも好きな子がおった。二つ下の男の子やってんけどな、去年、病気で死んじまいよった」

 思わぬ告白に絶句する俺。リヴィはこの年で、どれほどのものを失ってきたんだ?

「ウチな、その子に好きやって伝えてやれんかった。最期までそばにはおったんねんけどな。きっちり言葉にして伝えてやれんかった」
「気付いてたんじゃないかな」

 俺が言うと、リヴィは「うーん」と呻いた。

「せやかて、あいつな、いっつも本読んでたんよ。うちの家出したおとんが持っていた本を全部読んだんちゃうかな。とにかく本ばかりで、ウチとなんてほとんど会話もせんかった」

 うん? 今さりげにすごいこと言わなかった? お父さんが家出?

「ああ、おとんはどうでもえぇんや。小さい頃はよう遊んでくれとったから、いい思い出の中で頑張っていて欲しいだけや」

 リヴィ――ちょっと胸が熱くなる俺である。

「あいつ、ウチのこと少しは恋愛対象レンアイタイショーとして見ててくれたんやろかなぁ」
「その年頃で、女の子が嫌いな男はいないよ。まして自分に好意を持ってくれてる女の子には敏感なんだ」
「そんなもんなん? パパもそないやったん?」
「ああ。多分ね」

 正直に言うと、俺にも言うほどそういう経験がないから、なんとなくそう思っているだけかもしれない。俺の十代は――まだあまり思い出したくはないな。

「しまったなぁ、好きって伝えておけばよかったわぁ」
「アタシはさっき伝えたからもう未練はないさね」
「え、そうなん? いつの間に」
「あんたが寝てる間にね」

 タナさんはフフフ、と意味深に笑う。

「なぁなぁ、ママ! どこが決め手やってん?」
「顔……じゃぁないさね」

 タナさんはあっけらかんと言った。結構刺さった。気にしてるのに。

「エリさん見た目も大したこと無いし、年齢も結構行ってるからねぇ」

 さらに刺さる。俺のライフはもうゼロだ。

「確かにパパは二枚目言うより三枚目やけど、やったら、ママはどこに惚れたん?」
「そうさねぇ。アタシはね、芯のある人間が好きなのさ、多分。本人を前にして言うのもデリカシーが無い気がするけど、まぁ、そうさね。言っちまえば、一生一緒にいたいと思えたってことなのかねぇ」
「うわぁ、本気の惚気のろけきたわぁ!」
「それが好きってことなのかねぇ」
「それやで! ママ、それや! それが好きってことや! ええなぁ、ええなぁ!」

 なんか身動き取れないからアレだけど、動けるなら今すぐでもここから逃げ出したい。いったいぜんたい、これは新手の拷問か何かなのだろうか。あることないこと自白してしまいそうである。

「エリさんはね、怒るべき時にはきっちり怒る――大理石の床を砕く程度にはね。身体が言うことを聞かないとしても、その時出来る最善のことをしようとする。アタシを助けた時しかり、ガナートを倒した時然り。多分、これはこれから未来永劫変わらないだろうさ」
「それは買い被りっていうもんだよ、タナさん」
「いいや、アタシは間違えないさね」
「魔女だから?」
「魔女は引退したんだっつってんだろ」

 タナさんの方からゴキゴキと音が聞こえてきた。

「ちっ、これだから魔法は……」

 どうやらタナさんの肩や首が音を立てているらしい。もしかして、さっきの「魔女の印」ってやつのせい? 魔法は肩が凝るって言っていたけど、そういうこと?

「さ、エリさん、仕上げするよ。寝ちまいな。これからしばらく、アタシはリヴィと乙女トークをしなきゃならないからね」
「あ、うん。乙女トーク?」
「乙女に反応してんじゃないよ、エリさん。アタシだって女さ。女ってのはね、永遠に乙女なのさ」

 なんだそれ。俺は心の中でツッコミを入れつつ……気付いたら爆睡していた。

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