霧の中に現れたのは無数の死体だった。無論、ただの亡骸ではない。丘の麓に転がっていた夥しい数の兵士の骸だ。それらがまるで意志を持っているかのように剣や槍を手にして、ゆっくりとファイラスたちに向ってきていた。
「総数不明」
誰かが声を上げる。神殿騎士たちはそれぞれに抜剣し、完全に戦闘態勢に入っていた。魔法を用意し始める者もいる。
「ケーナ、無理するなよ」
「はい」
ファイラスは剣を一振りした。
「敵は全方位から来ている。俺たちは北に突破する」
防衛戦は無理だと判断し、ファイラスは抜き身の剣を持ったまま、器用に馬に乗る。ケーナは一度剣を収めてから馬に乗る。
「とにかく北だ。魔法を北に集中。然る後に血路を開く」
「行きましょう」
ケーナが言うと同時に、神殿騎士たちが魔法を放つ。まばゆい光の矢が北部に群れていた死セル兵士たちを吹き飛ばす。霧は相変わらず濃く立ち込めていたが、光の魔法が通過したところの霧は消えていた。
「やはりそういう」
ファイラスは呻く。この霧は自然発生したものではなく、魔力によって生み出されたものだったというわけだ。これは死セル兵士たちだけでできる技ではない。
「ファイラス様、魔導師級のしわざですね、これは」
「間違いないな」
「となると、これは罠?」
「……だろうな」
ファイラスはそう応じると、突撃の号令を発する。神殿騎士三十名が一斉に馬を走らせる。死セル兵士たちがそれに呼応して飛びかかってくる。その動きはもはや人間のそれではなく、たちまちのうちに神殿騎士が十名近く、打ち倒されてしまう。
ファイラスは馬車を振り返る。直衛の神殿騎士たちが追いすがってくる死セル兵士たちを迎撃している。だが、突撃を決めた今、後方の戦力は薄い。長くは持たない。
「ファイラス様、私が後方の援護に!」
「待て、ケーナ!」
ファイラスは叫んだが、ケーナの後ろ姿は瞬く間に霧の中に消えてしまった。しかし、それを追うわけにもいかない。
「ファイラス様」
誰かが怒鳴る。死セル兵士が腐肉と腐汁を撒き散らしながら、ファイラスに飛びかかってきていた。場上のファイラスのほとんど真上からだ。
ファイラスはその長剣での一撃を弾き返すが、腐肉の兵士はその勢いを利用して空中で身をひねる。着地と同時に再びファイラスの首めがけて剣を振るってくる。
「手強い」
死セル兵士の力は、それを操る死霊術師の力に比例する。帝都で死霊術に関する事件を幾つか担当したことがあったが、その時に襲ってきた不死怪物たちはここまで脅威ではなかった。
「負傷者は馬車に放り込め! 方針は維持、このまままっすぐ突き抜ける!」
ファイラスは馬上は不利だと判断して一度下馬する。少なくともこの一体は倒しておかなければ、厄介なことになる。全部が全部これほどの強さというわけではなさそうなのは救いだった。
ファイラスは周囲の死セル兵士たちを警戒しながらも、その一体に狙いを定める。
「他の連中を頼む」
近くにいた三人の神殿騎士に声をかけ、ファイラスは裂帛の気合とともに打ちかかる。腐肉の兵士は身を捻って回避する。しかし、ファイラスの剣がかすった所から煙が上がっている。ファイラスの仄白く輝く剣は、聖別されたものである。不死怪物の類には絶大な威力を誇る。
腐肉の兵士は間髪を入れずに打ち込んでくる。錆びた剣がファイラスの首を正確に狙う。だが、それは正確すぎた。ファイラスは落ち着いて剣を払い、身を屈める。そして左手で鞘を帯から外して、それで足を払う。腐肉の兵士は空中で回転して、着地と同時にファイラスに向けて跳躍してくる。
ファイラスは剣と鞘を使ってその斬撃を正面から受け止める。剣だけだったら力で押し負けているところだ。それほどまでに、この腐肉の兵士にはパワーがあった。
「聖盾!」
ファイラスは素早く魔法を発動する。不可視の盾が腐肉の兵士の斬撃を肩代わりする一瞬の間に、ファイラスは剣で腐肉の兵士の左足を斬った。バランスを失った腐肉の兵士は、しかしなおもファイラスの首を狙う。
「しつこいッ!」
左手の鞘でそれを弾き返し、右手の剣で腐肉の兵士の首を払った。
「よし」
見る間に崩壊を始めた腐肉の兵士を見て、ファイラスは頷く。見回せば神殿騎士もかなりの人数がやられていた。一人が負傷すれば、別の一人が支援に入ってしまう。結果、攻撃に回せる戦力が加速度的に減っていく。このままではジリ貧だった。
やるなら、死霊術師を見つけ出す他ないが、この圧倒的な敵戦力を前にして、それは困難だ。仮に見つけられたとしても、簡単に接近できるとは思えない。
「ケーナは! 誰か、ケーナを見たか!」
ファイラスは馬車の方に向けて怒鳴った。その間にも死セル兵士たちの包囲網はジリジリと狭まってきている。
「くそッ!」
――ひたすらに焦燥感が募っていく。
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