イレムの殲撃が蝿の巨人の顔面を直撃する。防御力の皆無な蝿の巨人の頭部は、文字通りに肉片と化した。その構成素である腐肉と酸の体液が半径数十メートルに渡って撒き散らされる。兵士たちは早々に距離を取っていたので被害はほとんど出ていないようだったが、割を食ったのはファイラスとケーナだ。嫌がらせのように降り注いでくる肉片とその悪臭に、閉口しつつただ耐えたのだ。酸の体液は魔法が無効化していたので被害はほとんど出なかった。マントが若干の被害を受けた程度だ。
「無事か、ふたりとも」
イレムが目の前に現れて、全く緊迫感のない声で尋ねてくる。そうしている間にも、蝿の巨人の姿は薄れていく。どうやら完全に倒したようだった。
「あのな、イレム。もうちょっとやりようがあっただろう」
「仲間を信じたのさ、俺は。主人公らしいだろ?」
「まったくよく――」
ファイラスは口を閉ざす。そして敵陣の方へと身体を向けた。
「敵が向かってくる」
「蝿の巨人は囮だったみたいだな」
草原を駆けてくる騎士や歩兵、その数は三千ないし四千。
「こっちの大半は負傷者だぞ、これは」
「おいおい、誰にものを言ってるんだ、ファイラス」
イレムは大剣をひょいと右肩に担ぐ。凄まじい重量武器のはずなのに、イレムが振り回すと木刀か何かのように見えてしまう。
敵の戦闘はもう目と鼻の先だ。こちらの兵士たちは守りを固めている。が、今の勢いだと粉砕されるのがオチだ。
「ケーナ、離れるな」
「了解。で、イレム様は何を?」
「必殺技の一つをお見せするが、見たら目がやられるぞ」
イレムはそう言うと、左手で複雑な印を描いた。それはすぐに白銀の輝きを放ち始める。
「全員、目を伏せろ!」
イレムの号令がかかる。ファイラスはケーナを抱きかかえるとイレムに背を向ける。何が起こるかはわからなかったが、とんでもないことをやらかすに違いない――長年の付き合いでファイラスはそう知っていた。
「光爆劫哮波!」
どん、とも、ぎん、ともつかぬ音がだだっぴろい平原を覆い尽くす。轟音と言うに相応しい大音量のその音に続いて、無数の礫がファイラスたちを襲った。一個一個が鏃のような鋭さと威力を持っている。鎧を着ていなければ大怪我をしていたかもしれない。
「どんな破壊力だよ、これ」
「すっごい」
ファイラスに抱かれながら、ケーナは目を丸くしている。暴風が吹き荒れる中、味方からも悲鳴が上がり始める。
「いっちょあがり」
嵐は数秒で終わったが、ファイラスたちは一瞬で疲労の極地に陥っていた。どうやらただの風ではなかったらしい。
「いっちょ上がりってお前な。味方にも結構な被害が出てるぞ」
「神殿騎士は無事だろ、ファイラス。お前もケーナも無事。さっさと怪我を治しに行ってくれ」
イレムは満足げに頷いて、それまで敵がいた方向を顎でしゃくった。
「……!?」
ファイラスとケーナは唖然とする。味方の兵士たちもどよめくばかりで言葉になっていない。ケーナが草原に転がる肉片たちを見ながら呻いた。
「今の一撃で何百……」
「直撃しなければ死ぬことはないが、いい感じに密集していたからな。二千近くは戦力を削いだだろう」
イレムが言っている端から、敵は逃げ始める。それはそうだろう。異形や魔導師の力を借りて圧倒的優勢な立場から、必勝の攻撃を仕掛けたところに謎の反撃だ。頼みの蝿の巨人も容易く倒されてしまっていたときた。戦意はもはやガタ落ちだろう。
「イレム、今の技は?」
「聖魔導戦技、なんて呼ばれているな。いわゆるひとつの禁じ手だ」
「……使ったらまずかったんじゃ?」
「兵士が無駄に何百もやられるよりはいい。俺は俺の責任でそう判断した。それにこの技が漏洩したところで、誰にも習得なんてできない。甚大な魔力と俺レベルの剣技が必要になるからな」
「剣技関係あるんです?」
ケーナが尋ねるとイレムは笑う。
「俺たち超騎士は全てを剣に依存するのさ。魔力を研ぎ澄ますのも、放つのも、剣があって初めて可能になる」
「そうなんですね」
「剣技が磨かれていればいるほど、魔法も冴える。ああ、そうだ。敵にも魔導師は複数いる」
「複数? 召喚術師が?」
「だけじゃねぇな。召喚術師はそれはそれで厄介だが、奴らも使える異形は限られてる。さっきの蝿の巨人くらいが最大なら、俺がいる以上どうってことはねぇな。問題は攻撃魔法を使える系統の魔導師だ。さっきの俺ほどじゃないにしても、数十、数百人を殺せる程度の力は持っている。大魔導ともなれば桁は二つくらいは変わるだろう」
大魔導――ファイラスはあの青い瞳の女性を思い出す。圧倒的な陣魔法を見せた、彼女だ。確かにあの女性には勝てる気はしない。
「大魔導が敵にいる可能性は」
「なくはない。現に敵の親玉は大魔導級の超騎士だ。アイレス、銀の刃連隊の一人とみて間違いない」
「そいつが出てきたら」
「心配すんな。仲間を守り、強敵を倒すのも主人公の仕事だぜ」
「そうですよ、ファイラス様」
ケーナは遁走する敵を見送りながら頷いた。
「それに心配いりませんよ」
「ケーナ?」
「私が、守ります」
ね、ファイラス様。
ケーナは目を細めて呟いた。
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