#06-05: エリさんの出自

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 ふぅん――そんな声が聞こえた。タナさんのものだ。

「それじゃ、聞かせてもらおうじゃないか、魔女ドミニア。もしアタシたちが、あんたと争わない、手も組まない。そういう選択をしたとする。そうしたらあんたは何をする?」
『わたしは多くの代償を必要としている。貴様ら以外の命は全て貰い受ける』

 なるほど、魔女だ。

 俺は首を振る。タナさんは泰然自若たいぜんじじゃくたる態度を崩さない。

「あんたもバカさね、ドミニア。そんな事を言われてアタシたちがはいそうですかと言うとでも?」
『魔女ならばわかるだろう。彼らの命など、代償となるほかに何の価値もないと』
「アタシはね、魔女は引退したんだよ」

 タナさんは静かに言った。そこには何の感情もない。

『魔女を引退? 不可能なことを言うものだ。魔法は常に魔女と共に在る。そして魔女の血はすなわち魔力。死してなお、永劫に我らは魔女なのだ』
「何事にも例外はあるさね」

 タナさんは腕を組んで、その光のシルエットを見下ろしている。その口調はまるで子どもに説教する母親だ。

「アタシは魔法にはもう金輪際、頼らない。悪魔には一欠片ひとかけらの餌もくれてやるつもりもないさね」
『すでに、貴様は――』
「はははは!」

 タナさんが笑う。轟々たる炎の内側で、黒衣の元魔女は笑う。

「アタシはそんなにはないさ。そしてアタシはそれだけ償わなきゃならない。だからねぇ、ドミニア。アタシはこれ以上、魔女による犠牲者を出させるわけにはいかないんだよねぇ」
『人間は多くの魔女の命を刈り取ってきた。我々は相容れぬのだよ』
「そうかねぇ?」
『だが、貴様らが我々と手を組めば、魔女狩りなどの不毛にして不遜なことの起きぬ世界が実現できるだろう』
「よく言えるよ」

 俺とタナさんが同時に言った。タナさんは俺を見て、頷く。俺が言葉を続ける。

「教会とグルになって、魔女狩りのサイクルを回し続けてきたのは、お前たちじゃないか」
『ヴァルナティの力を蘇らせ――』
「うるさいねぇ」

 タナさんは首を振る。

「このままアタシたち以外の命をあんたに食わせる――ありえない。あんたと手を組んでヴァルナティが云々――ありえない」

 タナさんは腕組みを解いて短剣を抜いた。そしてくるりと回す。

「あんたの悪魔にくれてやる餌なんて、ひとっつもないのさ」
『なぜだ。ありとあらゆる望みが叶う機会が、今、目の前にあるというのに――』
「いらないねぇ」

 タナさんは首を振る。

「アタシが欲しいのは、智慧だの智識だのじゃない。ましてや完全な世界だの新世界だの、そんな馬鹿げたものでもない」
『魔女の――それだけの魔女の力を持ちながら……!』
「こいつは、欲しくて手に入れた力なんかじゃないさね!」

 タナさんの鋭い声。ドミニアのシルエットが揺らぐ。大魔女ドミニアを、タナさんは圧倒している。

「ドミニア、あんたがなぜ魔女になったかなんて、アタシは知らないし関心もない。だけどね、あんたが自分の封印を解くためにユラシアみたいな子を生贄にしたこと、それはもはや許されることじゃぁないのさ! あんたに惨めで可愛そうな過去があるとかないとか、そんなことはどうだっていい。あんたの罪過にまみれた現在いまが許せないのさ!」
『小物の魔女、卑陋ひろうな人間風情。このわたしのための贄となるならば、それこそ生命の本望であろう!』
「たいがいにおし!」

 タナさんの鞭のような言葉が飛ぶ。

『貴様にはわかるだろう! 人間は、救いがたいほどに暗愚蒙昧あんぐもうまいであることを!』
「わからないではないさね」

 タナさんは短剣を回す。ドミニアのシルエットを作る炎が勢いを増す。俺は、見ているだけだ。

「だけどねぇ、ドミニア。あんたには遂にわからなかったかもしれないけどねぇ。アタシには守りたいものができちまった。だから、アタシにどんな過去があろうと、どんな罪があろうと、アタシがこの世界の人間の愚かさとかそういうものにどれほど疲れ切っていようと、実にどうだっていいのさ。アタシの行動原理はただひとつ!」

 啖呵を切るタナさん。数時間前まで漂わせていた疲労感は、すっかり失せていた。金色の炎に煽られたタナさんの髪は、まるでオーラのように揺蕩たゆたっている。

「アタシにとって大切なものを傷つけるもの。生き様を否定しようとするもの。アタシはそれら一切を、いかなる手段をもってしても排除する!」

 タナさんの短剣が、ドミニアの首を薙ぐ。人間なら即死に値する一撃だ。だが、実際のところ、ドミニアの輝けるシルエットがほんの僅かに揺らいだだけだ。

「タナさん、手から血が……?」
「まじないみたいなものさ」
「魔法じゃなくて?」
「魔女の血は魔力で満ちているのさ。そしてこいつには普通の武器は通じない」

 自分の血で魔力を纏わせたっていうことか。だが、ドミニアに効いている気配はない。

『どうした、魔女よ。その程度の力で――』
「今の一撃で、あんたの中にアタシの力が入った。わかるね?」
『……いざとなれば道連れだと?』
「そういうことさね」

 などと二人は会話をしていたが、俺には意味がよくわからない。ただ、俺たちはむざむざやられるわけではないような、そんな気がした。

「タナさん、魔法は――」
「そんなことより、エリさん。……いや、違うね」

 タナさんは目を細めて俺を見た。

「正統国家聖堂騎士団団長、血のエライアソン――」
「……まいったね、こりゃ」

 俺は頬を掻いた。気付いてるだろうなとは思っていたが、その名をズバリ呼ばれると、やはりドキリとさせられる。

「そして、二十年前、王家を追われた第五王子。行方知れずという話はあんたと出会う前に何度も聞いてきたからねぇ」
「否定はしないさ。だけど、それが今役立つとは――」

 俺は剣を杖にしたまま、肩を竦める。ドミニアのシルエットが、俺の方に向き直った。まぁ、今更どうこうしても仕方ないか――と達観する俺だったが、ドミニアにとっては今のタナさんの言葉は衝撃だったようだ。

『正統国家聖堂騎士団――エリザの組織した騎士団……』
「俺を利用して反乱を起こした将軍が、勝手に名乗らせた名前だったんだが。まさかそんないわくつきの名前だったとはね。でもまぁ、そうだな。その呪われた由来には納得だ。俺以外、ただの一人も生き残っていないんだからな」
『全ては運命。神によりり合わされた運命――そのつるぎ、ガルンシュバーグがその証左』
「この剣? ガルンシュバーグ?」
『それすら知らなかったのか、我らが子よ』

 なんか混乱してきた。

『ガルンシュバーグはエリザの愛剣。幾千幾万もの人間の首を落とし、なお切れ味の鈍らぬ栄光の剣!』
「栄光っつか、呪いじゃねぇか!」

 俺にとっては(腰的に)クソ重たいだけで何の役に立たない長剣。それが俺が持つ以前から、大量の人間の血を吸ってきた剣だとは。

「さぁ、殿。この不遜な魔女をどうしてくれようかねぇ?」
「殿下とか言うなよ」

 俺は肩を竦める。ちょっとだけ腰が痛くなってきた。

「ともかくな、ドミニア。俺はラッキーだと思ってるぜ」
『どういう、ことだ』
「これで俺の血塗られた過去に向き合わなきゃならない理由ができただろう? 今まで逃げてきたけどな、もうどうやらそれはできそうにない。それはな、ありがたい話なんだよ、俺には」

 罪の清算だの過去のみそぎだの――そんなチャチなことはもとより考えてはいない。

「それにな、残念ながら、俺は世界がどうなろうと知ったこっちゃない。確かにこの社会にはうんざりさせられもする。だが、それを変えられるとか、そんな傲慢な考えは持とうと思わない。俺はな、この元魔女を幸せにできさえすればそれでいい」
『はははははは! それは異なことを! その罪にまみれた貴様らが、幸福を望む権利があるとでも?』

 ……確かにね。

「罪が許されるとか許されないとか。そんなことだってどうでもいい。過去は変えられない。奪ってしまった命も戻ってはこない。だがな、魔女さんよ。今の俺たちは、これから奪われるであろう命や幸福を良しとしていない。俺たちの罪咎ざいきゅうは減らないにしても、これ以上積み増しさせられるのはごめんだね!」
『詭弁を抜かすか!』
「ああ、詭弁だとも」

 俺はタナさんの隣に並ぶ。

「なぁ、タナさん。どこまで気付いている?」
「今のアタシに訊いてる?」
「ああ」
「……悪魔の子」

 タナさんは短く言った。それだけで十分だった。タナさんはやはり全て知っている。俺は思わず「やれやれ」と口にした。タナさんは静かに真実を告げる。

「ベルゼダ王妃は処女のまま懐胎し、子を――つまりエリさんを産んだ。それ故にベルゼダ王妃は、ヴァルナティの再来とも呼ばれた。眉唾もんだねと思っていたけど、案外そのとおりだったりするかもしれないねぇ」
「俺を産んだと同時に心が死んだ――と言われている。俺が物心ついた頃にはすでに幽閉の身だったから、俺も実情は知らない」

 だが、母は魔女だったのだろう。前王妃であるシャサは四人の王子を産んだ後に病死。直後に現王妃、ベルゼダが輿入れした。だが、シャサの服喪の期間を経た直後に――そして王とのちぎりすら交わしてないうちに――俺を身籠ったのだとか。

「ベルゼダが自らの人生とエリさんの人生を捧げたってわけだ、悪魔に」

 タナさんは俺を見上げていた。ドミニアの影が揺れる。

『全てはエリザの復活のために――!』

 空間が震えた。

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