その夜だけで、イレムは三度の襲撃に遭遇した。かつては友軍であった、死セル兵士たちによる襲撃だ。その規模はどれも小規模で、イレムが対処するまでもなく鎮圧されていた。しかし、それでも、兵士たちに夜通しの緊張を強いるのは確実で、実に効果的な攻撃だった。異形たちによって心に傷を負った兵士も少なくない。そこに来て夜間の散発的な襲撃だ。これでは治るものも治らない。
「数週間だぞ、ファイラス。不眠不休で化け物と戦わされて、数週間。最前線はもはや限界だ。俺の部下たちを待っている暇はない」
「だが、どうしろと? 神殿騎士百数十名が加わったところで焼け石に水だろう?」
教会の壁によりかかりながら、イレムとファイラスが言葉を交わす。彼らの視線の先にはケーナや他の神殿騎士たちが動き回っていて、負傷者の治療や物資の搬送を行っていた。
「いや、それどころか神殿騎士たちを無駄死にさせかねない」
「最前線四千名。ほぼ全員負傷者だ。彼らが持ちこたえられているところに増援が向かって悪いことはあるまいよ。それに俺がいる」
「お前の力は認める。だが――」
「神帝は単騎で本陣を潰す。あながち間違いじゃねぇぞ」
「敵だって只者じゃないだろ、死霊術師に召喚師だ」
「それに銀の刃連隊がいる」
「まさか、アイレス魔導皇国がそんな堂々と?」
ファイラスの言葉に、イレムは冷たい笑みを見せる。
「堂々としてないから、未だにバーツ大佐の最前線は持ちこたえられている。アイレスが本気で動き始めたら、あの四千人、誰も生きて帰れねぇよ。俺なしじゃな」
「しかし、俺はここの負傷者をどうにかしないと」
「それはお前の仕事じゃない」
イレムはファイラスの右肩に手を置いた。
「良いか。最前線を救えるのは、お前と俺だけだ」
「……わかった。だが神殿騎士は五十名ほどしか連れて行かん。治療が追いつかない負傷者は後送する」
「それでいい」
イレムはそう言って、荷物運びを手伝っているケーナの方に視線を戻した。
「ケーナが言っていたぞ。あれから不眠不休だからどうにかしてくれって」
「どうということもない」
「殲撃をあれほど連発しておいて何言ってやがる」
「お前だって人のこと言えないだろ」
「俺は剣の天才だからな。お前が治癒魔法をほとんどひっきりなしに使えるのと同じだ」
イレムは腕を組んで、また壁に背を預けた。
「で、ファイラス。ケーナも連れて行くんだな」
「駄目だと言ってもついてくるだろうからな」
「あいつはなかなかタフだからな」
「ああ」
「それにお前は、あいつがいないとダメだ」
イレムはケーナを見る目を細めた。ファイラスがその意図を問い質そうとする前に、イレムは大きく息を吐いてみせる。
「なぁ、ファイラス」
「……?」
「お前さ、自分の行為に疑問を持っているんだろ。俺はなんのためにこんなことをしているんだ、みてぇなさ」
イレムの言葉にファイラスは奥歯を噛みしめる。イレムの背中がやけに遠く感じられる。
「お前は、自分にできることをする。それでいい」
「二度も三度も、地獄に送り込むことをすればいいと?」
「そう、だな」
イレムは頷く。ファイラスはイレムの方に一歩踏み出した。
「俺たちが来なければ、ここにいた重傷者たちのほとんどは生きて帰れた。だが、俺達みたいな治癒師がやってきたおかげで、前線に帰らなきゃならない者もいくらかは出てくる。彼らは俺たちのせいで何度も地獄に行かされる。そして今度こそ死ぬかもしれない。せっかく拾った命を、俺たちが捨てさせることになるかもしれない」
「かもな」
イレムは曖昧に同意する。
「俺はそれでもお前の行為は正しいと信じる、ファイラス。誰だって痛ぇのはイヤだ。怖ぇのもイヤだ。違うか。今まさに襲ってきている痛みを苦しみを恐怖を、お前は癒せる。治癒師なんだから」
「だが」
「傷が癒えたその先のことなんてどうだっていいのよ。戦うも逃げるも、そっから先の判断はそいつの仕事。軍は軍さ。兵士は兵士さ。敵前逃亡は許されねぇよ、普通はさ。だが、俺は認めるね。神帝師団の俺が認めるなら、戦わないという選択は認められる。どうだ、これでも不満か、ファイラス」
ファイラスはイレムの矢継ぎ早の言葉に圧倒された。イレムは振り返る。視線が鋭い。
「お前さ、恨まれたくねぇだけじゃねぇの?」
「イレム様!」
その言葉を聞きつけたケーナが勢いよく走ってくる。イレムは「地獄耳かよ」と笑いながら、ケーナのパンチを回避する。
「もー! ファイラス様にひどいこと言ったらダメです」
「事実だろ、あれは」
「違いますよ、イレム様。ファイラス様はお優しいんです」
「強さに結びつかねぇ優しさなんてのは、本物の優しさなんかじゃねぇのよ、ケーナちゃん」
「じゃぁ、強さって何です?」
「誰かを信じる力だ」
「誰かを?」
「他人を信じられないから、だがとかしかしなんてもんが口癖になるのよ」
「他人って誰です?」
「ここの負傷兵たちと、俺たちのことだ」
イレムは少し寂しそうに答えた。
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