だろ? と、イレムはファイラスの肩に手を置く。ファイラスはその手を緩やかに払い除ける。
「そんなことはない。俺は――」
「加害者になりたくねぇだけだろ」
「イレム様! それは言い過ぎです」
ケーナが口を尖らせて抗議する。イレムはケーナの金髪にポンポンと手を置いて、「俺は間違えないの」と胸を張る。
「ファイラス、お前はさ、確かに加害者になるのかもしれねぇよ。地獄に兵士を向かわせるっていう意味ではよ。だけどよ、お前は何だ? 治癒師だろ?」
「何を言いたい」
「俺はさ」
イレムは再び壁に背を預けた。ファイラスはただ立ち尽くし、ケーナはここぞとばかりにその左腕を抱きかかえている。
「俺は破壊の力しか持ってねぇのよ、ファイラス。どんなに強かろうが、次期団長候補と言われていようが、俺にできるのは殺すことと壊すことだけなんだぜ。どんなに苦しむ人間を見ても痛みを取ってやることはできねぇ。大怪我した人間に希望を与えることもできねぇ。ましてや腕や目玉を失った人間にしてやれることなんて何もねぇ」
「イレム様……」
ケーナが小さく口にする。イレムは唇を歪めて天を仰ぐ。
「俺はさ、心底お前が羨ましいのよ、ファイラス。戦う力もある。守る力も十分にある。おまけに癒す力だ。お前は何だってできる。聖騎士候補という肩書を見せりゃ、前線で絶望してる兵隊たちに希望を与えることだってできるさ」
「それはお前にも」
「そりゃぁ、俺にもできるさ。だが、お前がいれば二倍だ。希望なんていくらあったっていいんじゃねぇの?」
イレムの言葉にケーナは小さく拍手した。
「イレム様のおっしゃる通りです! 希望は多いほうがいい!」
「だろ?」
イレムは右目を瞑ってみせる。ケーナは何度も頷いた。
「私、思うんです。希望ってどんどん小さくなっていくって。わーって盛り上がってもすぐに小さくなっちゃうって。だからどんどん希望の種を増やしていかなくちゃ、人間やってらんねーすって。でしょ、ファイラス様」
「かも、な」
「かも、じゃなくて、絶対です。だって、私が今ここにこうしているのも、そのおかげですから」
ケーナの緑色の瞳がファイラスを射抜く。
「そうじゃなかったら私、もう死んでます」
「ケーナ……」
「あの時、ファイラス様がやってきてくれなかったら。私は何も希望を持てずにただ死んで腐っただけ」
「あれは教会に……」
「きっかけとか理由とか背景とか、私にはどーでもいい。あの時、ファイラス様が来てくれて、私に色々教えてくれた。だから私は生きようと思えた。それで十分じゃありませんか」
ケーナの言葉にファイラスは無言になる。
「イレム様が前線に行き、次はファイラス様もそこに加わる。そして一気に敵を叩き潰す。敗戦ムードが一転して押せ押せになります!」
「そうだぜ、ファイラス。最前線の兵士は帝国に見捨てられたって思い込んでいた。今もそうかもしれねぇ。俺なんかより、ヴラド・エールの聖騎士候補たるお前が行ったほうが、士気も上がる」
「そうだろうか。それに俺は聖騎士でもない」
「おんなじことさ」
イレムは腕を組む。
「それによ、お前、さっき兵士を癒やしたところで再び地獄に、みたいなこと言ったよな」
「……ああ」
「今、最前線には四千名いる。負傷兵は三千。つまり、無傷なやつはほとんどいない。そこにお前らがやってきて、いくらか兵士を癒やしたとする。そうしたら、もしかしたらそのおかげで命を落とすやつが一人二人減るかもしれねぇんじゃねぇの? お前が助けたやつが誰かを救うかもしれねぇ、だろ?」
イレムはゆったりとした口調でそう言う。
「俺たちは兵士たちに死ぬ覚悟なんて求めちゃいけない。それは三流指揮官が振りかざす暴論だ。だったらどうする。死ぬ危険から一歩でも遠ざけてやる努力をする。俺は敵を一人でも多く倒すことしかできないが、お前はそうじゃない」
イレムの言葉に深く頷くケーナ。
「それに、イレム様。誰も無駄死にはしたくないです。どうせ死ぬのなら、そこに意味も求めたいと思う」
「そうだな、ケーナちゃん。さすが、ケーナちゃんの言葉は重みが違うわ」
「でしょー。こう見えても経験豊富なケーナちゃんですからね」
ケーナは笑う。だが、その過去を知るファイラスは、到底笑う気にはなれなかった。
「というわけで、ケーナちゃんと俺は正しい。お前はさっさと荷物をまとめて最前線に来れば良い」
「わかったよ、すぐ出発する」
根負けしたファイラスは小さく頭を振った。そんなファイラスの背中を叩きつつ、イレムは言った。
「聖騎士候補殿が美女だったら、希望はもう一段階燃え上がったんだろうなぁ」
「もう、イレム様! あ、でも、私、広報しますよ、美人広報」
「なに乗っかってんの、ケーナちゃん」
「美人なことは認めますか?」
「そりゃね。だが俺は、他人の女は守備範囲外だ」
「紳士ぃ」
「ばっか、神帝師団だぞ、俺は。女絡みのトラブルなんてごめんだぜ」
二人はファイラスを放置して、教会の中へと入っていってしまった。
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