DC-10-01:自己評価

治癒師と魔剣・本文

 それから三週間が経過した。最初の一週間でシャリーはクォーテル聖司祭に直接交渉を行い、この建物に堂々と出入りする権利を獲得していた。今ではケーナの部屋は十分に清潔になり、簡素な衣装棚や机や椅子などの什器が揃えられるに至っていた。ケーナ用の車椅子もより軽く使い勝手の良いものに置き換えられていた。

 それどころか、この建物自体、シャリーの部下たちによって大掛かりな清掃作業が実施されており、当初立ち込めていた酷い悪臭もかなり軽減されていた。なお、この作業費用に関しては神殿に請求されるらしい。

 ケーナの入浴はシャリー自らが手伝っていた。ファイラスにとっては願ったりかなったりだったし、シャリーにしてみても自体の打開策を探るためにもこの時間は必要だった。

「おまたせ、ファイラス。入っていいわよ」
「いつもすみません、シャリー」
「いいのいいの。今日は髪型を変えてみたわよ」

 ファイラスは読んでいた薬草学の本を閉じて、小脇に抱えて部屋に入る。白いシャツに青いスカートを身に付けたケーナは自分で立っていた。髪の毛は綺麗にショートボブに揃えられていて、眉毛も綺麗に整えられていた。

「ファイラス、今日は歩ける気がする!」
「おいおい、無理するな」

 最近になってようやく自分で立ち上がれるようになったところだ。まだ歩行訓練まで進めていない。連日筋肉トレーニングは進めているが、ファイラスの見立てでは、自立歩行までまだ数週間はかかる。

 ファイラスは慌ててケーナを支えようとしたが、その手をシャリーが止めた。

「あなたは転んだ時に助けてあげれば良い」
「しかし」 
「ケーナは歩いてる姿を見せたいと思ってる」
「……わかりました」

 ファイラスは渋々頷いた。シャリーはファイラスの手を離す。ケーナは微笑み、少し震えながら右足を前に出した。ファイラスは気が気ではない。シャリーは腕を組んで余裕の構えだ。

「頑張れ、あたしの右足!」

 ケーナは右足を踏みしめると、体重を前に移動してくる。左足が浮き、半ばすり足で前に出てくる。

 が、ケーナの筋肉はそこまでだった。左足が前に出きったところで右足の筋肉が仕事を放棄して、ケーナはバランスを失った。ファイラスの動きは早かった。ケーナが膝を床で強打する寸前にその身体を支えていた。二人は抱き合うような形になった。

「あっぶなかった!」
「ほんとにな。でも一歩半は歩けたな」
「二歩!」
「いや、二歩には足りなかったぞ」
「ファイラス」

 シャリーがファイラスの肩を二度叩く。

「二歩よ」
「しかし」
「二・歩・よ」

 シャリーの剣呑な目がファイラスの至近距離に現れる。ファイラスは「あ、はい」と圧力に屈する。

「少しずつ伸ばしていけばいいわ。あなたは根性があるからすぐ走れるようになるわよ」

 シャリーはそう言ってケーナのきれいな金髪を撫でた。仄かに石鹸の香りが漂ってくる。シャリーはファイラスに命じてケーナをベッドに移送し、寝かせた。

「さて、ケーナちゃん。これ飲んで」
「苦いからヤダ」
「あら、飴も要らないの? 今日は新しいのを持ってきたのに」
「……大人ってズルい」

 ケーナは渋々散剤を受け取って飲み込み、水で流し込んだ。

「苦いのは錬金術ではどうにかならないの?」
「苦いのにも意味があるのよ」
「あたしにはないよ」
「飲んだ気になるでしょ?」
「それは、なる」
「飲んだ気にならないと、人間の頭ってちゃんと薬を処理できないのよ」
「嘘だ」
「あら、私があなたに嘘なんてついたことあったっけ」
「……ない気はするけど、あってもあたしバカだからわかんないと思う」

 ケーナはシャリーを凝視する。シャリーは目を細めて口角を上げる。

「あなた、魔法習ってみる気はある?」
「え?」

 ケーナとファイラスが同時に驚く。ケーナはブンブンと手を振った。

「あたしバカだから、魔法とか無理だと思う」
「難しくないわ、才能さえあればね。ファイラス、ケーナちゃんに治癒魔法を教えなさい」
「これって教えられるものなんですか」
「これだから天才は困るわ」

 シャリーは肩をすくめてから、両手を叩いた。そして手を開くとそこに、小指の先ほどの氷が出現している。ケーナは思わず身を起こしてその氷片をつついた。

「手品?」
「冷凍魔法よ、ケーナちゃん。空気中の水分をちょっとだけ凍らせたの」
「すごい。ちゃんとした氷だ。って、氷なんて初めて見たけど」
「これも本来は結構長い呪文の詠唱が必要なんだけど、慣れれば今みたいに手を叩くだけでも発動できるようになる。ファイラスは治癒魔法を湯水のように垂れ流すけど、それと同じね」
「ファイラスってやっぱりすごいんだね」
「そうよ。世界一の治癒師かもしれないからね」
「それは言い過ぎでは」

 ファイラスは言うが、シャリーは真面目な顔でファイラスを見つめる。

「ヴラド・エールの聖騎士候補になるわよ、あなた」
「聖騎士って、二十年近く空席じゃないですか」

 ファイラスは苦笑する。さすがのシャリーの言葉でも、それを「はいそうですね」と肯定できるほど、ファイラスは自惚うぬぼれてはいない。

「いいえ、私の見立ては正しいし、第一、ゼドレカ伯爵だってそう思っていらっしゃるわ。政治的にも、私とゼドレカ伯爵が推し立てれば間違いなくそうなる」
「いや、しかし」
「自分を過小評価し過ぎなのよ、ファイラス、あなたは。イレム君にも言われてるでしょ」
「あいつは自信過剰だからなぁ」

 ファイラスは親友のことを思い浮かべる。シャリーは「あのくらいでいいのよ」と反応する。

「さて」

 シャリーは声のトーンを落として、ケーナを指さした。ケーナはこの短時間のうちにすっかり眠ってしまっていた。

「ちょっと外に出ましょうか」

 シャリーはファイラスを連れて建物から出た。

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