建物の外に出てしばらく、シャリーは空を見上げて黙っていた。日はすっかり落ち、藍色の空には眩しいほどの星が輝いている。
「調査は、正直難航しているわ」
「そう、ですか」
「神殿の介入でね。もちろん、直接的なものではないにしても、裏で手を引いているのは神殿」
「うちの、ですか」
「そうよ」
シャリーの顔は夜の影になっていてよく見えない。ファイラスも敢えて灯りの魔法は使わなかった。
「でもおかげで、今回のこの件には、神殿が根深く関わっていることに確信を持てた」
「そんな、いや、しかし――」
「聖神殿。言うまでもなく、あなたの生活している神殿。調べている内にそこに行き着いた……いえ、戻ったわ」
「聖神殿……」
「なぜあの場所に聖神殿が建てられたのか、あなた知ってる?」
シャリーの詰問に、ファイラスは唸る。
「神話の話なら。ヴラド・エール神が、紫龍の心臓に楔を打ち込んだ、その痕に神殿を建てた、くらいしか」
「それはある意味では正しいのよね。だけど、それだけじゃない」
シャリーの静謐な青い瞳がファイラスを見つめている。
「ウルテラという魔神がいてね。紫龍の直衛だった、なんて言われているんだけど」
「魔神ウルテラの伝説なら知ってます。龍の英雄たちをして最後まで苦しめたという異形でしたよね」
ファイラスの言葉に肯くシャリー。ファイラスは「それと」と記憶を蘇らせる。
「確か、二振りの剣に封印されたという話も聞いたことがあります。魔剣ウルと妖剣テラ、でしたか」
「そうそう、それ。その剣」
シャリーは緩やかに腕を組んで北の方を見た。
「妖剣テラは、いまはアイレス魔導帝国のゼネス聖神殿にあると言われている。エクタ・プラムの悲劇までは行方不明だったんだけどね」
「街一つがまるごと消し飛んだっていう?」
「そう。五年くらい前の話ね。その事件のきっかけも妖剣テラだったっていう噂も聞いたわ」
シャリーの顔は険しい。
「そして、魔剣ウル」
「まさか」
ファイラスは掠れた声を発する。
「その、まさかよ」
シャリーは重苦しくそう告げた。
「確証はないわ、もちろん。だけど、ない話じゃない。だってここはその魔神ウルテラを倒したヴラド・エール神の本拠地だもの。ヴラド・エールとゼネス、二柱の神が分割封印していたって、何のおかしなこともないわ」
そして、と、シャリーは続ける。
「問題はそうであった場合。魔神の力は強大。良からぬことに使われる可能性ももちろんあるし、魔神は魔神で自らの封印が解かれるのであれば、何にだって喜んで協力するのよ。人の意識に作用だってするわ」
「バレス高司祭がここから病人を拉致するのをみました。日常的に行われているようです」
「……そう」
シャリーはウロウロと歩き回る。
「そういうこと」
爪を噛みかけて止まり、シャリーはひとしきり唸った。
「これ以後の調査は難しいわ、ファイラス。ともすればミイラ取りがミイラになりかねない。もし、バレス高司祭による拉致、魔剣ウル、そしてケーナとあなた。これが全部繋がったら、私たちにできることはほとんど残されていない」
「俺が治療をすればするほど、ケーナは化け物に変わっていく、と言いましたよね」
「呪いをかけているのが魔神ウルテラだとしたら。そういう話よ」
二人の間に沈黙が落ちる。魔神ウルテラ――人間では到底勝ち目のない相手だということはわかっている。
「まさか、ケーナが魔神の憑代になる……」
「そうなったらあなた、ケーナを殺せる?」
「無理です」
「知ってる。そうそう。ゼドレカ伯爵はね、好きにさせろとおっしゃっていたわ」
「ゼドレカ様らしい」
ファイラスは眉間に手をやって呻く。
「しかし、ならばどうしたらいいのか……」
「どうするもこうするも、あなたはケーナの苦痛を取り除き続けるんでしょう?」
シャリーはやや呆れたように言った。
「ほんっと、愚直っていうか、頑固っていうか」
「それが取り柄みたいなもんだと思っているので」
「でもそれでいいわ。ゼドレカ伯爵が動かない以上、多分今はそれが正解なのよ。と言っても、多分、私たちの誰一人として最適な答えなんてわかってないと思うけれど」
「ケーナは魔神にはさせない」
「意気込みはよろしい」
シャリーは幾分胸を張る。
「できるできない以前に考えることは、何をしたいか、したくないか、よ。今、ケーナちゃんを守れるのはあなただけ。だから全力で守りなさい」
「わかってます」
ファイラスは静かに頷く。
「私がかつて魔神と戦ったときにも、ちゃんと希望はあった。絶望こそ奴らの糧よ。ファイラス、あなたは聖騎士になる人間。これがそのための試練のようなものよ」
厳しい口調でシャリーは言った。ファイラスは頷き、空を見る。
「シャリー、俺は――」
「あなたの心に迷いはないわ。その思いに従いなさい」
シャリーはファイラスの隣に並び、その背中を強く叩いた。
「私もそうやってきたし、その結果、私は間違えなかった。後悔もしなかった。そして多分これからも間違えない」
その強い言葉に対し、ファイラスは黙って頷いた。
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