それから瞬く間に季節は流れる。ケーナの病状は二年近く現状維持を続けていた。今でも油断をするとすぐに高熱を出すし、ある程度歩けるようになったとはいえ、車椅子も手放せなかった。それでも外に出ていられる時間はだいぶ長くなったのは救いかもしれない。
ファイラスはといえば、半年もたたぬ内にこの建物に常駐するようになっていた。管理室をすっかり自由に改造し、清掃もすっかり完了した。建物内にいた病人は全部で五名だったが、そのうちの二人は途中で亡くなり、残り三人はバレスによって拉致されてしまった。その後どうなったのかは、シャリーの情報収集力をもってしても不明だった。そもそもこの隔離病棟の建物の存在を誰も知らないのだ。生きて出られた人間がいれば、いずれ人口に膾炙することにもなろう。
ともかくも住人はファイラスとケーナの二人だけになったこともあり、建物内の悪臭事情は劇的に解消された。食べ物の配給内容も明らかに質が向上した。ファイラスがクォーテル聖司祭に何度も直訴した結果である。
「ファイラスは勉強熱心」
ケーナがファイラスの隣で舟を漕ぎながら呟いた。ファイラスはケーナの部屋に持ち込んだ机に向っていた。ケーナの手には応急処置の手順が解説された簡単な医術書があった。ファイラスはと言うと、シャリーから借り受けた分厚い薬草学の書物を読み込んでいる。この書籍の著者は誰あろうシャリーで、いまや世界中の薬師たちはこの薬草学の書を教科書としているほどだ。
「ケーナ、もう休んだほうがいいぞ」
「今日は平気。熱もそんなにない」
「まぁ、そうみたいだが」
ファイラスはケーナの額に手を当てながら言う。ケーナはまたうつらうつらしながら、本を開いている。
「だいぶ読めるようになったな」
「先生がいいからねぇ。最高の治癒師と最高の錬金術師だぁ。これで読めなかったら嘘でしょぉ」
眠気で半ば呂律が回っていない。
「それにほら、魔法もちょっと使えるようになったし」
「え?」
驚くファイラスを前に、ケーナは少し得意げに指先に小さな光を灯す。かろうじて光ってるのが分かる程度のものだったが、それでもかなりの進歩だった。
「でもケーナちゃんには才能はないのであった……」
「そんなことはないぞ」
ファイラスは強く言って、ケーナの人差し指に触れた。
「才能がなければ、この程度の明かりを作るのも不可能だ。まず最初の段階はちゃんとクリアしている。驚いたな」
そこでファイラスは気がついた。
「今、詠唱したか?」
「してない」
「無詠唱か。いきなりでそりゃすごい」
「ほ、ほんと?」
「魔法の呪文は、本来魔法の才能が微弱な者が論理的に強引に魔法を発動できるようにするために作られたものなんだ。だから、どんなものであっても無詠唱で魔法が発動できるというのは、かなりの才能を持っているってことの証拠なんだ」
「ほんと!?」
ケーナの目が輝いた。ファイラスはケーナの人差し指を軽くつつく。するとそこに灯っていた光が机上の燭台を凌ぐほどに輝きを増した。
「うわわ、なに、なんなの?」
「一度消して、もう一度発動させてみろ」
「う、うん」
ケーナは一度魔法を取り消して、再度意識を集中した。
ぼん、と、音がなったのではないかと思うほどに、その指先が輝いた。
「わわわ!?」
「ケーナの中の魔力の流れを整理した。思った通りだった」
「何が何だかわからないけど、あたし、なんかすごくなった?」
「もともとすごかったんだ。いや、もしかしたら、その病気のせいかもしれない」
魔力に関する――魔神の呪いを起源とする病気。であるならば、長い年月をかけてケーナの中の魔力が何らかの形で整合性をとって活力を上げたとしてもおかしくはない。
「ち、治療もできるかな!?」
「自分の傷や病気は自分では癒せないぞ」
「そうなんだ?」
「なぜかできない。いや、小さな切り傷くらいなら治せるのは実証済みなんだが、多くの治療術の書では、自分を癒すことはできないと書いてある」
「ちぇ。あ、でも、それならファイラスに捨てられないで済むね!」
「誰が捨てるか、ばか」
ファイラスはケーナを小突く真似をする。
「ねぇねぇ、ファイラス」
すっかり目が覚めた様子のケーナが、ファイラスの左手に両手を乗せた。
「ファイラスって、シャリーさんのこと好きなの?」
「好き?」
ファイラスは目を丸くする。
「だってすごく仲良さそうだし」
「仲が良いのは否定しないさ。だけどそうだな、彼女は兄貴分みたいなもんだよ」
「兄貴……。姉貴、じゃないの?」
「頼れる兄貴って感じがしないか?」
「それはそうかも」
ケーナはケラケラと笑っていたが、やがてそれは大きな欠伸にかわる。
「さ、もう寝るんだ、ケーナ。俺はこれからちょっとクォーテル聖司祭のところにいかなくちゃ」
「こんな夜に?」
「神殿の夜は遅いのさ」
「……ちゃんと帰ってきてよ?」
「あたりまえだろ」
ファイラスはそう言うと書籍を閉じて、カバンを持ち上げた。ベッドに横になったケーナはニヤニヤと笑っている。
「どうした?」
「なんかぁ、夫婦みたいじゃなかった、今の」
「ばか」
ファイラスは髪の毛をぐるりと掻き回して肩を竦めた。
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