DC-11-02:執行猶予

治癒師と魔剣・本文

 ファイラスと向かい合って座る老人、クォーテル聖司祭は、黙ってファイラスの報告を聞いていた。燭台の炎が、その老人の顔の影をごつごつと浮かび上がらせている。その揺れる影もあって、クォ―テルの表情には闇があった。明るさを含んだ要素の何一つない、ただの闇だ。

 ファイラスは自分の報告に何らかの不備でもあったのかと、用意しておいた報告書を読み返してみたが、そのような要素は見当たらない。単に事実を羅列しただけの文書だ。

「――して、ファイラス」

 長い沈黙の末に、クォーテルはようやく口を開いた。ファイラスは姿勢を正す。

「あの娘には回復の見込みはあるのか? 錬金術師たちの力も借りているようだが」
「成果は――」

 上がってはいない。精神的な成長は目覚ましかったし、魔法の能力に覚醒したこともある。しかし、肉体的にはほぼ二年前と変わらない。シャリーの言う通りにによるものだとすれば、人間の普通の努力でどうこうできる話ではないのは納得だった。

「クォーテル聖司祭。お訊きしてもよろしいですか」
「なんだ、ファイラス」
「この聖神殿には、何かが封印されていたりはしませんか。異形……いえ、たとえば魔神のような」
「魔神を封印、か。聖神殿故に異形の十や二十は封印してはいる」
「しかし、魔神はない、と」
「あの娘のに、魔神が関与していると考えられる、と報告にあったな」
「はい」 

 ファイラスは強く頷いた。しかし、クォーテルは目を閉じて首を振る。

「仮にそうであったとしても、魔神は、我々が手を出せる相手ではなかろう」
「それはそうですが。魔剣ウルというものについて、何かご存知ではありませんか」
「魔剣ウル、か。魔神ウルテラを分割封印した剣の名だな」
「はい」 

 肯定し、ファイラスは壁にかかっている地図を見る。龍が翼をひろげているような形の大陸――それがこの「セレスの大地」と呼ばれる世界の全容だ。セレスティア大陸という呼称もあるにはある。その龍の頭の部分に陣取っているのがアイレス魔導皇国。胸のあたりにあるのがアルディエラム中央帝国である。

「片割れの妖剣テラは、アイレス魔導皇国のゼネス聖神殿に存置されていることはわかっています。であるならば、魔剣ウルはこの国の聖神殿、すなわちこの場所にあると考えられます」
「ふむ」

 クォーテルは薄く目を開けた。燭台の金色を受けたその目が鈍い色を反射する。

「仮にその推測が正しいとして」

 クォーテルはテーブルの上においてあった陶器のコップを手に取った。その中には薬草を煎じた微温湯ぬるまゆが入っている。

「ファイラス、君はどうするつもりでいるのだ?」
「どう……?」
「仮に、あの娘のの根源が魔神ウルテラであるのだとすれば。あの娘は遠くない将来、魔剣に支配され、妖剣テラとともに魔神ウルテラ復活のための道具となるだろう。しかし、現在に於いて、魔神ウルテラを討てる者はおらぬ。あの龍の英雄たちですら封印するのがせいぜいだったわけだからな」

 なれば――クォーテルは薬湯を飲んだ。

「ならば、その時が来る前にあの娘ごと封印してしまうのが妥当、と、私は考えるが?」
「しかし、ケーナに罪はありません」
「今は、な。今は無垢な少女やもしれん。しかし、時が経てば彼女は――君の推測がただしければ――魔神ウルテラとなってしまうかもしれん。そうなれば犠牲は千や二千では済まされぬ。そうとわかっているのに、私はあの娘を放置しておくことはできん」
「しかし、聖司祭。罪を犯す可能性があるからといって裁くのは――」
「どのみち魔神となれば、あの娘の自我など容易く消し飛ぼう。生きながらにして焼かれるようなもの。それならば、そうなる前に、まだ人として在る時に、それを終わらせてやるのが慈悲とは思わぬか」
「思えません」

 ファイラスは首を振る。

「私は治癒師です。最後まで責任を持ちます」
「責任、か」

 クォーテルはまた目を閉じた。

「君は一人を救うために数千数万を危険に晒し、あるいは犠牲にすることを望むというのか。その一人さえ救えぬかもしれんのに」
「だとしても、私は」
「それは君のエゴではないかね。君は任務を完遂できなかった。危険因子を発見したまでは良かったが、それに対策を打つことができなかった。それにな、ファイラス。君ほどの治癒師が二年もかけて進展を得られなかったというのも、一つの答えだと考えている」

 クォーテルは指を組み合わせる。

「君が悪いのではない。相手が悪かったのだ、ファイラス。あの娘も自らが殺戮の片棒を担ぐのはよしとすまい。納得するだろう」
「そんなはずがない!」

 ファイラスは首を振る。生まれて初めて、クォーテルに楯突いた。その語気に燭台の炎がゆらゆらと踊る。クォーテルの表情がますます読めなくなる。

「ファイラス。君はあの娘を生かしておくことで生まれる多くの死に、責任がとれると思っているのか?」
「それは」
「……残念ながら、ファイラス。これは決定事項なのだ」
「決定事項!?」

 何を言われているのか、ファイラスはしばらく理解ができなかった。

「運が良ければ助かるかもしれんな」

 クォーテルのその言葉に、ファイラスは報告書もそのままに、部屋を飛び出していった。

 取り残されたクォーテルは立ち上がり、窓から弓張ゆみはりの月を見上げた。

「魔剣ウル……か。我々も魔神に見初められていたのやもしれんな」

 だが、どうあれもう限界なのだ、このままでは。

 せめてもうしばし、時間を稼がなくてはならない。

 クォーテルは険しい表情で、暗い地上を見下ろした。
 

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