それからすぐに、カヤリはグラヴァードと合流した。グラヴァードもまた、アルディエラム帝国軍の本陣が見えるところまで移動してきていた。赫々と燃え上がる陣地はいまや混乱の渦中だ。
カヤリがその背中に向けて淡々と状況を報告すると、グラヴァードは本陣の方を見たまま頷いた。
「ああ、そうだろうとは思っていた」
優雅に腕を組みながら、グラヴァードは思案顔だ。あのなんとかという魔導師は、英雄になり損ねた。たったの一人で、負傷兵も多くいたとは言え、千人近くを血祭りに上げたのだ。それも神帝師団の騎士がいる場所でだ。状況が違えば彼は間違いなく英雄だ。だが、残念ながら、アイレス魔導皇国は、この戦には関わっていない。つまり、彼の戦いの記録は一切歌われることがないというわけだ。
「虚しいものだ」
グラヴァードは振り返り、闇に溶け込んだカヤリを見た。闇の中で、その両目だけが青く爛々と輝いている。カヤリは真意を確かめるようにグラヴァードを見上げる。
「魔剣ウルは妖剣テラと引き合った。大方の予測どおりにな」
それは恐らく魔神ウルテラの意志である。だが、それ以前に、アルディエラム中央帝国の元老院のお歴々が何を考えているのか――グラヴァードにはそちらのほうが気がかりだった。
いや、しかし。それすらも魔神ウルテラの目論見通りなのではないか? あるいは全ての人物がそうあるべく、そう為さしむべく動かされているのではないだろうか? そんな気すらしてくる。グラヴァード自身もまた例外ではなく、その中のひとりに過ぎないのではないのかとさえ思えてくる。
魔神というのは、それほどまでの支配力を持つ異形なのだ。
「だがかつて、龍の英雄たちは魔神をも撃破した。あれが運命そのものだというのなら、人の手で再び倒すことも可能だと言える。それが今なのかどうかまではわからんがね」
「グラヴァード様は」
再び背を向けたグラヴァードに向けて呼びかけるカヤリ。
「魔神ウルテラを従えるつもり、なのですか」
「だとしたら?」
「それは可能なのですか、グラヴァード様には」
「どうだろうね」
グラヴァードは曖昧な表現に逃げる。カヤリは小さく息を吐いて追及をやめる。端からまともな回答など期待してはいなかった。
「カヤリ」
グラヴァードは肩越しにカヤリを見る。青い瞳が鋭く輝く。
「カヤリ。君は、運命というやつをどう思う?」
「運命? ですか?」
カヤリは考える。グラヴァードに救われてからもう十年だ。それ以来、カヤリの「呪われた力」とさえ言われた大魔導としての才能を、グラヴァードは伸ばし続けた。そしていまや、「グラヴァードの七弟子」と呼ばれる最強格の大魔導の筆頭だった。カヤリの持つ魔導師としての力は圧倒的で、グラヴァード以外のなんぴとにも抑えられるものでもなかった。カヤリは事実上、世界の半分を手中にしていると言っても良い。
カヤリはまた数秒間思案してから答えた。
「私は今に満足しています。これが運命によるものだというのであれば、それは悪いものではありません」
「その結果、君に最悪の事態が訪れたとしても?」
「さぁ?」
カヤリは関心なさそうに首を振った。
「しかし、運命がどうであれ、私は戦うでしょう。私は、グラヴァード様に死ねと言われるまでは生きたい。それゆえです」
「そうか」
グラヴァードは振り返る。その表情は彼方の炎によって逆光となっていて、カヤリからはよく見えない。
「ならよかった。俺は君に死ねと言うことはない」
篝火のように轟々と燃え盛る炎が、天を焼いている。
「この急襲を皮切りに、エリシェル卿は総攻撃に出るだろう。今となっては圧倒的戦力差だ」
グラヴァードは暗く曇った空を見上げる。頬に雨粒を受けたカヤリは顔を顰めた。
「イレム卿、女神官、それにファイラス神官もいますが」
「多勢に無勢さ。やるならエリシェル卿とイレム卿が一騎打ちをするくらいしかないだろう」
「あるいは、妖剣テラに魔剣ウルをぶつけるか」
「いずれにせよそうなるだろう」
それが運命の力だ、と、グラヴァードは言う。
「もっとも、俺にもわからん。妖剣テラと魔剣ウル。その二振りが邂逅したときに何が起きるのか。果たしてそれを為さしめて良いものか。本来ならば全力で阻止すべき事案ではないのか。……とかね」
「グラヴァード様でも迷われるのですね」
「それはそうだ。そもそも徹頭徹尾、俺は迷いっぱなしだ」
「そうなんですか」
カヤリは首を傾げる。グラヴァードは一瞬、そこに十年前のカヤリを見た。
「君は迷わないのか、カヤリ」
「私はグラヴァード様の意のままに動くのみ。迷いはありません」
「君は君の意志で動いても良いのだぞ?」
「いえ」
カヤリは頭を振る。長い黒髪が闇に揺れる。
「私が自らの意志を行動原理にしたなら、必ず多くの不幸を撒き散らす。私は全意志力を用いなければ、私の力を抑えられません」
「そうか」
グラヴァードは頷く。
「ちょっと試してみろ、と言えることでもないしな」
「はい」
カヤリは躊躇なく肯いた。
「すまないな、カヤリ」
「……?」
「俺にもっと力があれば、君はもっと自由になれた」
「自由は空の端を知りません。そして今の私は、不自由を感じていません。グラヴァード様のおっしゃる自由がどれほどのものかは存じませんが、私はいざとなればあらゆる自由を手にすることができる力を持っていると確信しています。ですから現状に何の不満もありません」
「そうか。確かに君は翼を持っているのだろう。羽ばたかない自由を行使しているだけ、とも言えるのか」
「そうですね」
カヤリは目を細める。まぶたの隙間から一層激しく青い光が放たれる。
「目下、魔神ウルテラをどうにかしなければ、私の自由もなくなってしまいますね」
「そうだな。しばらく付き合え、カヤリ」
「仰せのままに」
二人の姿はもはやそこにはなかった。
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