DC-99-99:治癒師と魔剣

治癒師と魔剣・本文

 クォーテルの亡骸に祈りを捧げていたファイラスの眼前に、いきなり抜き身の剣が現れた。見事な柄飾りの施された漆黒の長剣である。その剣の持ち主は、暗黒の大魔導、カヤリだった。

「これは?」
「受け取れ」

 半ば強制的にその剣を持たされたファイラスは、胃のあたりがねじりあげられるような不快感を覚え、思わずよろめいた。

「すぐ慣れる」
「おいおい、大丈夫なのかよ」

 イレムが心配そうな声を上げるが、イレムはイレムで身動きがとれないほど疲弊していた。その状態でカヤリを止めるなどできるはずもない。イレムは珍しくもいさぎよあきらめていた。

「この剣は……」
「魔神ウルテラ。契約によりになってもらった」 
「ちょ、ちょっと待て」

 ファイラスは思わずその鞘のない剣を取り落とすところだった。

「これがあの魔神ウルテラ? どういうことなんだ」
「この魔剣を聖騎士にたくす」

 カヤリはぶっきらぼうに言った。だがファイラスは首を振る。

「俺はまだ聖騎士なんかじゃない。クォーテル聖司祭が亡くなってしまっては、叙任できる人もいない」
「そんなこと」

 カヤリは鼻で笑う。

「そんなことはどうだっていい。実に、どうでもいい」

 カヤリはそう言って、じっとファイラスを見つめた。そしてしばらくしてからイレムに視線を移す。

神帝アイディーの騎士はどう思う」
「俺は反対はしねぇよ。今となっちゃ。ファイラスが決めればいい」
「そう言うと思った」

 カヤリは棒読み口調でそう言うと、ファイラスが呆然と手にしている長剣を見た。

「ファイラス、この剣はあなたを助ける。私はあなたに契約者の権利をする」
「……さっぱり状況が読めないんだが?」

 ファイラスはイレムに視線を巡らせて助けを求める。イレムは気怠けだるげに「しょうがねぇなぁ」と肩をすくめてファイラスとカヤリの間に立った。

「ファイラス、お前が魔神ウルテラの主人になったってこと。バレスからこの――」
「カヤリ」
「そうそう、カヤリ。カヤリに契約者が代わって、その権利がお前に移ったってこと。で、多分、魔神ウルテラはお前が人を殺すのを待っているってことだ」
「百万だかの生贄でもあきたらなかった魔神が、一振りの剣になったところで飢えは満たせないだろ」
「構わぬとウルテラは言った」

 カヤリが口を挟む。

「魔神ウルテラは再封印を回避するために、消耗の少ない、その剣の形となることを選んだ。つまり、聖騎士。あなたが人を殺そうと殺すまいと、魔神ウルテラには些末な問題というわけ。どうせ私が死ねば契約は破棄される。その時に何が起こるか、魔神ウルテラが何をするかはわからないけど、そんなことは私には関係ない。あなたにもきっと」
「だけど、魔神のことだ」

 イレムが言う。

「少しでも生贄を求めるべく、ファイラス、お前に働きかけるだろうぜ」
「そう、それは確か。魔神の干渉、誘惑に負ければ、あなたは殺人鬼になる」
「なっ……」
「心配しないで、聖騎士。その時は私があなたを殺す。バレスをそうしたように」

 カヤリは目を物理的に輝かせてそう言うと、「用事は済んだ」と言わんばかりにふわりと姿を消した。

 ファイラスは漆黒の刃に、吸い寄せられるように視線を落とす。その刀身は、まるで磨き抜かれた鏡のようだった。

魅入みいられんなよ、ファイラス」
「わかってる。わかっているんだが、イレム。抜き身の剣を持ち歩くわけにはいかんし」
「鞘はゼドレカおばちゃんを頼るか。多分普通のやつじゃだめだろう」

 思わぬ問題に直面して沈黙する二人だったが、その沈黙は「きゃーっ」という悲鳴で破られた。その場にそぐわない声に、ファイラスもイレムも、飛び上がらんばかりに驚いた。

 天井付近から放り出されるようにして落ちてきたのは、ケーナだった。

「ケ、ケーナ!?」
「ファイラス様ぁっ!」

 ケーナはファイラスに抱きついた。ファイラスは長剣を慌てて背中に回しながら、左腕でケーナを受け止める。

「どういうことなんだ? 君は魔神に……」

 夢でも見ているのかとファイラスは目をしばたたかせる。ファイラスの腕の中でケーナが小さく笑う。

「私、再び魔剣のになることになりました」
「は?」
「へ?」

 ファイラスとイレムの素っ頓狂な声が重なった。

「それ、貸してください」

 ケーナはファイラスから漆黒の剣を半ば奪うようにして取った。そしてその刃が触れるのもお構いなしに、胸に抱きしめる。見ている間に漆黒の剣は光となって消えた。

「できた! よし!」
「……剣は?」

 まだ状況が理解できていないファイラスに、ケーナは「えっとですね」と天井を見上げた。

「ファイラス様が願えば、私はいつでも
「つまり、ケーナ。えーと、あー……んー……」

 ファイラスは右の拳をこめかみに当てつつ、唸る。

「君が魔神ウルテラだっていうことか?」
「違いますけど、そうとも言うかも?」

 ケーナの反応を見る限り、ケーナ自身よくわかっていないに違いない――ファイラスは思わず嘆息する。

「ま、いいんじゃね?」

 イレムがケーナとファイラスの肩を抱きながら、あっさりとした口調でそう言った。ファイラスは「いいのかな?」と引きつった笑みを見せ、ケーナは「いいんじゃね?」とイレムの口調を真似した。

 イレムはケーナの肩をぽんぽんと叩き、二人から少し距離を取った。

「さてと、聖騎士ファイラス殿」
「俺は聖騎士じゃないぞ」
「まぁ、どうでもいいんだけどさ」

 イレムは心底関心がないと言わんばかりの表情を見せてから、「そうだな、じゃぁ」と少し思案する。

「治癒師と魔剣殿」
「治癒師なら文句ないですよね、ファイラス様。私なんて魔剣殿なんですから」
「ま、まぁ、な?」

 微妙な表情のファイラスに向けて、イレムは笑う。

「これからしばらく、大変だと思うぜ、ファイラス」
「……不安しかない」
「私にどーんと任せておけってことですよ」
「……不安だ」

 暗い表情のファイラスを見て、ケーナとイレムは豪快に笑った。ひとしきり笑った後、イレムはドアを開けて、ファイラスたちを振り返る。

「ま、主人公ってのは、いつだって大変なもんだって決まってるもんだ」

 そしてドアが閉まる――。

――治癒師と魔剣・完――

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