キース派が黙ってるわけはないと思っていた。だが、まさかこんなすぐに城を取り囲んでくるようなことが起きるとは思わなかった。まるで全部用意されていたかのような周到さだった。城壁は城内にいたキース派の騎士によって開けられていた。中庭には数人の兵士や召使いが倒れていた。どうやら城内でも戦闘が始まっているらしい。
「多勢に無勢じゃないか、これは」
ジェノスの案内で外に出ると、ようやく状況が見えてきた。報告によれば、城外にいるキース派の騎士は約二千。城外にはガナート派の騎士たちの姿は見えない。そして城内のガナート派の騎士はせいぜい百。対するキース派は二百を超えているとのことだった。どう考えても全員討ち死に以外の未来が見えない。
「ガナート様!」
ジェノスが声を張る。その視線の先に、左手を負傷したガナートの姿があった。矢を受けたようだ。全く、物騒な話だ。
「ジェノスか。それに――」
「挨拶してる暇はないよ」
タナさんが首を振る。
「リヴィ、剣を抜きな。あんたは何があってもエリさんを護れ。ウェラ、カードを用意しな。エリさん、座ってていいよ」
「いや、それはちょっと」
俺は剣を抜こうとする。が、タナさんは「だめだ!」と一喝してくる。
「どうしてだ。今なら抜ける」
「ダメなもんはダメさね」
「理由になってない」
「アタシがダメだと言っている。何か文句でも?」
凄まれてしまった。俺は肩をすくめる。確かに無理して剣を抜いたって、十人倒せれば御の字だ。こんな状況で、一人二人が頑張ったところで戦いの風向きは変わらない。
「ママ、精霊さんを呼ぶしかないと思う!」
「まださ。まだ待ちな」
「どうして? 騎士さんがやられていくよ!?」
実際に目の前では多勢に無勢の争いが繰り広げられている。ジェノスもその渦中にあり、リヴィもそこに加わっていた。ジェノスの剣技は本当に洗練されていて鋭く、リヴィの剣技は荒削りながら重い。だが、俺は気付いた。リヴィは剣の平で相手を殴り倒しているのだ。当たりどころが悪ければ死ぬかもしれないが、リヴィが狙っているのは腕や膝だ。即死には至るまい。
「クソ、怪我さえしてなければ」
「総大将が前に出てどうするさね、ガナート」
タナさんが肩を竦める。
「ママ、精霊さんを呼ぶ!」
「待ちな。風を感じな、ウェラ」
「え?」
「今呼んだら、その精霊も狂っちまうよ」
風?
空を見上げても、嫌味なくらいに青い空が広がっているだけで、特におかしな気配は感じない。しかし、ウェラは何かに気付いたようだった。
「精霊さんの声が……おかしい」
「だろ?」
タナさんは厳しい表情で頷く。
「リヴィ! 下がりな!」
タナさんの怒声に弾かれるようにして、リヴィとジェノスが敵に背を向けて走り出す。他のガナート派の騎士たちも一斉に従った。タナさんの声には魔力でも乗っているのか? とは思ったが、訊いたら怒られそうなのでやめておく。
「ママ、なん――」
リヴィが問いかけたその瞬間、空が割れた。俺の視覚も一瞬失くなった。中庭に雷が落ちたのだ。さっきまでリヴィたちがいた辺りの地面が、馬車五台がすっぽり収まる程度に抉れていた。
「あっぶな……!」
リヴィのうなじに冷や汗が吹き出したのが傍目にもわかる。
「コレはアレやな、この前の狂った精霊とかいうやつやな?」
リヴィが上を見上げて言った。そこには黒い箱みたいなものが浮かんでいる。
「でも今の一撃、キース派の騎士の被害のほうが圧倒的にでかかったんとちゃう?」
「だな」
俺は状況を把握しつつ頷いた。
「味方の損害も厭わないのか、あるいは味方と思ってもいないのか」
「後者、だろうねぇ」
いつの間にか俺の隣に来ていたタナさんが言った。
「狂った精霊は魔女の使い魔さ。本物の魔女が、人間ごときを尊重するはずがないさね」
タナさんは右手でナイフをくるくると弄んでいる。
「だけど、座標が正確すぎる。ということは、魔女の目があるはずさ」
二撃目の落雷はなかったが、代わりに無形の刃のようなものが降り注いでいる。リヴィとジェノスがいなければ、俺なんかただの良い的だっただろう。
「ウェラ、精霊を呼んでおくれ」
「だいじょうぶかな?」
「次の一撃を防げば良いだけさ。すぐに帰ってもらう」
「わかった、ママ」
ウェラは何事か呟いた。聞いたことのない言葉だった。
「ウェラ、いまのは?」
「お守りの呪文。エルフ語なんだって。ウェラはエルフ語わからないけど、これだけはなんか覚えてたんだ」
ウェラはそう言うと、一枚カードを放り投げた。それはすぐに青空に溶けていく。
直後、その黒い箱――狂った精霊がビリビリと震えだす。タナさんが声を張る。
「ウェラ!」
「精霊さん、お願い!」
ウェラは両手を大きく広げて、その黒い箱に正対した。
激しすぎる閃光。俺はまたもそれの直撃を受けて、視界を失ってしまう。目を閉じて顔を伏せてはいたのだが、それだけでは意味がなかったらしい。
「みんな、無事かい?」
タナさんの声が聞こえ、それから数拍置いてようやく視界が戻ってくる。見回してみた所、俺たちもガナートも騎士たちも無事だ。だが、空を見上げると、空間が歪んでいるのが確認できた。
「エネルギーのぶつかり合いで、空間自体が歪んじまったのさ」
唖然とする俺に、タナさんが囁く。俺は下りてきた黒い箱を見ながら問う。
「あれが……直撃してたら?」
「アタシたちなんて、消し炭にすらなれなかったと思うよ」
「こわ」
言いながら俺は懐に手を入れ、素早く短剣を抜いた。だが、タナさんの動きの方が一瞬早かった。タナさんの手から離れていったナイフが、音を立てて回転しながら猛スピードで飛んでいく。俺は短剣を鞘に戻し、そのナイフの飛んでいった先に向かっていく。そのついでにリヴィの肩を叩く。
「頼む、リヴィ。あの黒いやつをぶっ倒せ」
「まかしとき!」
リヴィは早速剣を担ぐように構えて、黒い箱に突撃していく。ジェノスも後を追ったようだ。俺の後を追ってきたのはタナさんだった。
「全く、勝手に動かないでおくれ」
「あいつ、ほっとけないだろ」
俺たちの目指す先には、血塗れで倒れている黒ずくめの男がいた。騎士ではない。
「こいつは何だ?」
「魔導師さ」
タナさんはそう言うと、のたうち回る魔導師の腹から短剣を引き抜いた。血が噴き上げたが、タナさんは器用に避けている。
「魔導師ってのは?」
「魔女の力を体系立てて再構築する研究をしている奴らさ」
聞いたことがあるな、そういえば。俺は古い記憶を辿る。ただ、異端審問官たちとは全く相容れない存在だから、異端審問官たちの目を避けてひっそりとやっていたはずだ。というより、実在すら疑わしかった存在だ。
「精霊を狂わせてけしかけたのもお前か」
俺は尋ねるが、魔導師は顔を歪めただけで答えようとしない。
「俺たちを狙ったのか? それともガナートか?」
――やはり答えない。
そうこうしている間に、リヴィがジェノスと共に、狂った精霊を圧倒し始めていた。そこにウェラが精霊の力を呼び出して支援しているようにも見える――見える、というのは、俺には何が起きているかよくわからないからだ。
「アタシは気が短いんだ。さっさと答えな」
「教えるものか」
魔導師はくぐもった声を出した。というより、傷を見るに、声を出すのが精一杯なはずだ。そんな魔導師を見下ろしながら、タナさんはまたナイフを弄ぶ。絵的にすごい迫力だ。俺は剣の鞘尻で魔導師をつつきつつ、「はやい所、知ってる事を話したほうが身のためだぜ」とアドバイスしてやった。しかし、魔導師は冷笑を見せただけだ。
「仕方ないねぇ」
タナさんは落ちていた長剣を拾い上げると、右手一本で高く持ち上げた。無茶な挙動であるにも関わらず、まったく軸がぶれてない。鋳鉄の長剣は、女性の細腕一本で真っ直ぐに振り上げられるような代物ではないのだ。だが、タナさんは軽々とそれをしてみせる。
「封印してた魔女の力を解禁しちまうけど、いいのかい?」
「魔女……だって?」
魔導師の顔に初めて狼狽の色が浮かんだ。極めてわかりやすい変化だった。
「あの精霊を操っているのは魔女で、あんたはその目だね」
「こ、答えるはずが――」
「ねぇ、あんた。魔女が一番得意とするものって、何だと思う?」
タナさんは剣を打ち下ろす。その切っ先が魔導師の喉元にピタリと突きつけられる。すごい技量である。俺なら間違えて刺殺しているところだろう。
「それはね、呪いさ。生きてるのが辛くなるような、殺してくれとのたうち回るような、ね。そんなとびっきり素敵な呪いをかけたげようかねぇ?」
「や、やめろ……それは……!」
極度に恐れを見せる魔導師。こいつは……。
タナさんが俺に視線を送る。俺は小さく頷いて、倒れている魔導師の頭の近くに片膝をついた。
「お前の後ろにいるのは誰だ。今白状したら、素直に死なせてやる。さもなくば永遠に苦しむ羽目になる」
「それは……こ、殺せ」
「楽には死なせてはくれなさそうだぜ?」
「魔女に食われたくなどない……!」
発狂しそうな魔導師。しかし、出血の多さから、その声はどんどん小さくなっていく。
「さぁ、お言い。誰があんたの黒幕だい」
「あいつが……」
魔導師は観念した様子で呻いた。
「よみがえ――」
その直後、俺は飛びかかってきたタナさんに押し倒された。そのタナさんの背後で、魔導師が白い炎で焼かれていた。タナさんの行動が一瞬でも遅ければ、俺たちは二人揃って丸焼きになっていたに違いない。あまりの超高熱に、近くにあった石のオブジェが溶けている。
俺はタナさんを引き起こすと、更にそこから距離をとった。
「タナさん、無事かい?」
「ウェラのおかげさね」
駆けつけてきたウェラは肩で息をしている。狂った精霊を撃滅したリヴィも走ってくる。ジェノスはガナートの方へと向ったようだ。
「水の精霊さんに来てもらったんだ」
「すごいな、ウェラ。助かった」
俺はウェラのその緑がかった金髪を撫でる。ウェラは疲れた顔をしていたが、少し誇らしげでもあった。
「リヴィもよくやった。さすがだな」
「ジェノスさんのおかげや。勉強になったわ」
「それはなにより。で、だ、タナさん」
「ああ、そうさね」
タナさんは腕を組んでいる。城門から、続々とキース派の騎士が入ってきている。どう考えても、今無事な騎士たちで対処できる数ではなかった。
「アタシらは、とんでもないヤツを敵に回してしまったのかもしれないねぇ」
「とんでもないヤツ?」
白炎は消えていた。魔導師の姿はもうどこにもなく、灰の一つも落ちていない。地面は赤く煮立っていて、とても現実とは思えない光景だった。
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