#03-06: 女公爵エリザの伝説

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 どうしたものかな?

 迫ってくる騎士たちを見、溶けた地面を見、俺は考える。

「魔女って言葉にずいぶんわかりやすい反応してたな」
「そうだねぇ」

 タナさんは険しい表情で考え込んでいる。迫りくる騎士などどうでもいいと言わんばかりの態度だった。

「パパ、ウチ、ガナートのおっさんのこと護ってくる」
「体力的には?」
「ようやっと身体が温まったくらいやで」
「わかった。頼む」
「おおきに」

 リヴィはガナートとジェノスの所に走っていった。下手をすれば、数の差は百倍にもなるだろう。リヴィたちが持ちこたえているうちに、活路を見つけ出さなければならない。

 どうしたものかと考え始めたのと、俺の身体が動いたのは同時だった。俺はウェラを抱えてタナさんを押し倒した。同時に、城の一部が爆発して吹き飛んだのだ。大小様々な礫が、俺たちに降り注ぐ。

「エリさん、大丈夫かい?」
「今ので……腰をやった」
「あらま」

 タナさんはそう言って俺の下から這い出し、ウェラも救出した。俺はといえば、うつ伏せで転がされたままだ。でも今は下手に動かすのは悪手だ。痛みが引くまでじっとしている他にない。なんて格好の悪い……!

「キース様の居室が……」

 キース派の騎士が何やら喚いているのが聞こえてくる。ちなみに俺は死んだふり中だ――どうしよう、格好悪すぎる。

 どうやら爆発したのはキースの部屋らしかった。そして騎士たちは「話が違う」というような趣旨の事を喚いている。やはり最初からそういう話だったということか。だが、ガナートがこうも様変わりすることは、さすがに予想できなかったと思うのだが。

 とにもかくにも、敵方の指揮系統はめちゃめちゃになっているようだ。そこにリヴィとジェノスが突っ込んでいったようだ。……「ようだ」というのは、俺は反対方向を向いて倒れていて、そっちの方向を見ることができないからだ。だから、多分、そういうことだろうという予想の上で分析している。死んだふりをしながら。

 かろうじて視界に入る情報からは、城の三分の一近くが消滅しているのがわかる。寝たきりのキースがどうなったかなんて、推して知るべしである。そもそも最初から捨て石にされるべく爆破されたと考えてもいいかもしれない。それに、未だに炎は上がり続けているが、それは明らかに超自然的なものだった。炎が吹き上がっている、というよりも、巨大な炎の柱が突き刺さっているという表現をするほうがまだしっくり来る。

「敵は撤退しはじめたねぇ」

 タナさんがようやく俺を助け起こしてくれた。だが、腰のダメージは深刻だ。せっかく回復したと思ったのに、たったアレだけのアクションでもと木阿弥もくあみだ。

「あんたの腰をしっかりほぐしておいたおかげで、アタシたちは命拾いしたってわけだ。さすがアタシだね」

 なるほど、そういう考え方か。俺は前向きなタナさんに心の中で拍手を贈る。

「まるで俺たちを狙ったみたいな襲撃だったな」
「存外そうかも知れないねぇ」

 タナさんは俺の剣に一瞬だけ視線を走らせる。俺にはその意味がよくわかっていない。

「さっきの魔導師は、魔女が蘇る、と言いかけてたよな?」
「だね」

 俺は足を伸ばして座っている。これ以外の姿勢は、今は無理だ。

 そんな俺の隣にはタナさんが座っている。戻ってきていたリヴィとウェラは、撤退していく騎士たちを油断なく観察していた。もはや騎士たちは烏合の衆だ。ガナートの手勢だけでどうにでもなるだろう。ジェノスもいるし。

「魔女が蘇る――か」

 タナさんは首を振った。ヤバイ案件らしい。

「エリさん、女公爵エリザの話は知っているかい?」

 その名前に、俺の心臓が跳ねた――気がした。

「王家に連なる名門、レヴァティン家のエリザのことで間違いないか?」
「それ以外に、女公爵なんているもんか」

 タナさんは燃え盛る城を見上げながら言う。その口調は平坦だ。

「史上最大の虐殺者にして、最悪の魔女。強欲の魔女とも呼ばれているね、魔女の界隈では」

 思い出した。俺が子どもの頃に聞いた話だ。

 女公爵エリザ・レヴァティンは、領民数万を虐殺した。気候すら操り、疫病を作り出し、その飢饉と病魔で国内外数十万人、あるいは数百万人を死に追いやったとも言われている。現代の魔女狩りは、実はあながち無根拠なものでもないのだ。

「女公爵エリザの伝説はウチもよう聞かされてきたんやけど、本人ははるか昔に火炙ひあぶりにされてんねやろ?」
「魔女の死は死にあらず――さね。まして強欲の魔女ともなれば、簡単に生への執着を手放すとは思えないのさ。それにあの魔法を見てごらん。あんな魔法を白昼堂々発動させるなんてのはね、エリザくらいにぶっ飛んだやつにしかできない所業さね」

 タナさんの横顔は鋭利なナイフのようだった。

「あの炎一発で、何百人分かのが必要さ……」
「何百人だって?」
「魔法ってのはね、バカみたいに代償を要求するのさ。精霊を狂化させ、魔導師をけしかけ、あまつさえ自分の魔法でトドメ。その魔法もとびきりの……ものさね」

 唇を噛みしめるタナさん。

「禍々しい……炎だねぇ」
「これが魔女の力か」
の力、さね」

 タナさんはそう吐き捨てる。

「タナさんは……」
だろ。アタシがあんなもの使ったら全身が砕けちまうよ」
「それがさっき言ってたってやつか?」

 俺が言うとタナさんは頷いた。そこでリヴィが割り込んでくる。

「それ、ウチ知っとるで!」
「ならあんた、説明を代わっておくれ」
「りょーかいや」

 リヴィは俺を座らせると、自分も目の前であぐらをかいた。女の子のあぐらというと……とは俺も思っていたのだが、リヴィに関しては気にならなかった。むしろ、彼女らしかった。

 その間、タナさんはウェラを伴ってガナートの方へと向っていった。

「パパ、あのな」

 リヴィが少し胸を張る。

「代償ちゅーのはな、自分以外の誰かに魔法の負荷を肩代わりさせるっちゅう行為のことや」
「自分以外の誰かに肩代わりさせる?」
「せや。本来、ちゅうのはものなんや。せやから、魔法で肩が凝るなんてありえないんやで、本当は」
「でも」
「ママはな、いつからかはわからへんけど、魔法を全部自分で背負ったんや。せやから、全ての負担が自分にかかってくることになる」
「その現れが肩凝り?」
「だけやないはずや」

 リヴィは深刻な顔をして言う。

「目に見えるものだけやない。身体に感じることだけやない。もっと根源的な、もっと本質的なものを犠牲にしているはずなんや」
「そう、だったのか。でもタナさんは魔法なんて使わないぞ?」
「うんにゃ」

 リヴィは首を振った。

「ウチも魔力はゼロみたいなもんやから、全部おとんとおかんの受け売りやけどな、魔女ってのは生きとるだけで、代償を払い続けなならんのや」
「そんな無茶苦茶な」
「そういうものや。魔女はヒトを凌駕する力を持つんや。無意識に魔女の力を使ってしもてるんや。せやからな、ちょっとずつ負債が増えるようになっとるんや」
「無茶苦茶な取り立てだな。そこらの借金取りも真っ青じゃないか」
「せやろ」

 厳しい表情を見せて、リヴィは頷いた。

「せやから、多くの魔女はヒトを殺すんや。自分では払いきれない代償を払うため。あるいは、自分では代償を払いたくないから」
「それが、あの女公爵エリザの大虐殺の真相か」
「たぶんな」

 リヴィは腕を組んだ。

「それでな、さっきの黒尽くめのあいつは、魔女が蘇る言うたんよね?」
「ああ、そう言いかけた」
「ママならピンと来たはずや、それが女公爵エリザのことやってな」
「どういうことだ?」
「女公爵エリザは、火炙ひあぶりにされながら笑っていたそうや。煙では死なず、劫火にその身を溶かされても、最後まで笑っていたっちゅぅ伝説があるんねよ」

 凄まじい生への執着――怖気おぞけがする。

「それでな、パパ。この話にはまだ続きがあってな」

 リヴィが少しだけ声を潜めた。

「燃え尽きたエリザのっちゅう話があるんねや。異端審問官の間では禁忌の情報になったっちゅうことやけど、処刑は公開だったんや。全員の口を塞ぐことはできんかった。せやから、こんな噂が残っておるんよ」
「ほぅ?」
「髑髏は言ったんや。私は必ず蘇る。その暁には貴様ら全ての魂を悪魔への生贄として捧げる――ってな」

 そこでタナさんがウェラと共に戻ってきて、その言葉を引き継いだ。

「魔女が蘇る話は、実は珍しい話じゃないのさ、エリさん。を前払いさえしていれば、悪魔は簡単に生命倫理を歪めてくれちまうのさ」
「だったら今回もエリザとは断定しかねるのでは?」
「絶対にそうだとは言えないけれど、こんな馬鹿げた炎の柱を見せつけ続けられる魔女なんて、そうはいないさ。なんにしてもまともな相手じゃない。何百人、何千人の魂を、ただ空を焦がすためだけに使っているのだからね」
「ねぇねぇ、ママ」

 ウェラがタナさんのドレスの袖口を引っ張った。

「魔女と精霊使いって違う?」
「大違いさ」

 タナさんはウェラの頭を撫でる。

「いわば、世界に愛されて生まれるのが精霊使い。ウェラは生まれたときからこの世界に歓迎されているのさ」
「そうなの?」
「世界をつかさどる精霊がことごとくあんたの味方。それはつまり、世界に愛されてるっていうことなのさ」

 なるほど。俺は座ったまま頷いた。燃え上がる炎を見上げながら首を振った。

「魔女はね、世界を憎んだ結果、悪魔と契約しちまった人間のことさ。魔女はね、世界にしてみれば敵なんだ」
「悪魔は闇の精霊、だっけ?」
「そう。だけど、悪魔は悪魔さ。確かに世界を構成する要素ではある。けど、悪魔っていうのはどこまでも強欲な――いっちまえば世界にとっての寄生虫みたいなものさ」

 自虐的に呟くタナさん。その瞳が俺を捉える。

「だからね、エリさん。善悪二元論的な話では、魔女狩りってのは案外……理に適っているのさ」
「悪魔との契約者……か」
「そうさ」

 タナさんはそう言うと目を閉じた。

「……ヤツはアタシにもいている」
「そ、そうなのか?」

 タナさんからは不穏な気配を感じない。そんな俺を見て、タナさんは豪快に笑う。

「見えやしないよ。悪魔ってやつは巧妙に隠れているのさ。宿主の血を吸いながらね。でもこれは、
「えっ?」
「魔女ってのは、そういう寄生虫アクマの存在を認知し、具体的に契約と手付金を支払っちまった人間のことさ。だからね、誰でも、それこそだって、魔女になる可能性はあるのさ」
「そうなんだ」

 衝撃的な事実だった。魔女というから、そういうのは女性ばかりだと思っていた。

「でもね、エリさん」

 タナさんは少し目を細めた。

「この事実は異端審問官なら誰でも知っているはずさ。けどね、誰も絶対にそうとは認めない。一方的に狩ってた側が、狩られる側になってしまうようなリスクを生じさせるようなことはしたりはしないのさ」
「でもそれでは」
「女ばかりが犠牲になる、かい? そうさ、そのとおり。アタシだってもちろん、そんなことは認めたくない。けどね、男も女も、誰も彼もが、そんなふうな世界は、アタシはもっと御免なんだ」
「でもそれじゃ、女性の生きる権利は――」
「エリさんさ」

 タナさんは大きく息を吐いた。

「ウェラやリヴィのこと、護るかい?」
「何を当たり前のことを。何を犠牲にしたって護るさ」
「どうして?」

 どうして?

 俺は混乱する。しかし、数秒で我に返った。

「そういうのって理屈じゃないだろ、タナさん。護りたいから、護る。そこにあの子たちがいるから、護る。それ以上の理由がいるのか?」
「あはは、そうさね。それでいいのさ」

 タナさんは肩を震わせる。

「タナさんやリヴィの言葉を借りるなら、それがってことになるだろう?」
「あのさ、エリさん」
「なんだい?」
「あんたは強いね」
「強い?」

 俺は首を傾げざるを得ない。タナさんは俺の隣に腰を下ろす。ウェラもその隣にちょこんと座った。リヴィは立ったまま、周囲を油断なく見回している。

「てっきりね、罪滅ぼしとか、過去の清算とか言うものだと思っていたよ」

 ……罪滅ぼし、か。

 俺は思わず自分の右の掌を見た。

「タナさん、俺の――」
さね。エリさんには尋常じゃない死相が浮いているんだ。普通の生き方をしていたら絶対にそうはならないくらいのね」

 死相……。それは当たっていると思う。

「だから、聞いてみたのだけどね。まぁ、それがあんたらしさなんだろうさ」
「過去は変えられない。罪の清算なんかできやしない。俺はそう思ってるんだ」
罪人つみびとは、永遠に罪人だということかい?」

 ――罪が永遠にゆるされないなんて、悲しいだろ?

 そんなタナさんの言葉。ウェラを襲ってきたならず者を巡って交わした会話だ。俺は首を振る。

「残念ながら、俺は生きている。生きている以上、過去は消せない」
「……そうだね」

 タナさんは空を見上げた。炎の柱は未だに城を焼き続けている。消火なんて到底できそうにない。

「だからな、タナさん。俺は過去を清算しようだなんて思っちゃいない。その過去は常に俺の中でうずく。そのを癒そうだなんてことは、考えてないんだ」
「傷み、か」

 タナさんは少しだけ俺に近付いた。

「ねぇ、エリさん。アタシは……人を、つまり、あんたを、本気で好きになる権利はあるのだろうかね」
「俺はタナさんの過去を知らない。けど、それがどうであったとしても、今笑ってはならない理由になんてならないと思うんだよ」
「こんなことが、アタシに許されるのかねぇ」
「俺は、タナさんに笑ってほしいよ」
「あ! ウェラも! ウェラもママには笑っていて欲しい!」
「ウチもやで!」

 娘二人が元気に言った。それを聞いて、俺は肩を竦める。

「許す許さないじゃないと思うんだよ、タナさん。俺たちはタナさんの笑顔を見たい。それだけで笑う理由には十分じゃないか?」
「……泣かせるねぇ、エリさん」

 タナさんは目尻を拭う。
 
「さて!」

 タナさんは勢いを付けて立ち上がった。俺は動けないのでただ見上げるだけだ。

「アタシたちの敵が見えてきたよ」
「エリザ女公爵、か」
「そ」
「強敵すぎないか?」

 俺が言うと、タナさんは豪快に笑った。

「この物語の主役は誰だと思う、エリさん」
「えっと……タナさん?」
「馬鹿だね。あんただよ、エリさん」
「お、俺?」
「そう。これはね、あんたの物語だよ」

 タナさんとリヴィの力を借りて立ち上がる俺。しかし、俺はリアクションに困っている。

「世界を救うもよし、田舎に引きこもるもよし、アタシとひたすらイチャイチャするもよし」
「最後のがいいな」

 俺はリヴィに支えられつつ言った。リヴィが口笛を吹く。

「でも、そうだなぁ。タナさん、どれか一つ選べってことかい?」
「いや――」
「なら、全部だ」
「おやおや」

 タナさんは小さく笑う。

「あんたもなかなかに強欲だねぇ。でも、そうさね、悪くないねぇ」
「だろ? タナさんも付き合ってくれるよな?」
「地獄の果てまで追いかけてやるさ」
「なら、安心だ」

 俺は頷き、腰に響かない範囲の力で、タナさんの肩を抱いた。

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