「魔女のオラトリオ」関連短編――。
マグダレーナはその場から一歩も動かない。飛来する光や炎の槍を時々払い落とすくらいで、動きも最小限だ。
「そろそろあの子が戻ってきちまう」
それとも、真実に気が付いて動けないか?
マグダレーナは自嘲する。
――おい、悪魔、差し引きプラスだろうね?
その問いに、悪魔は「わずかにはな」と応えた。マグダレーナは舌打ちする。だが、選択肢はない。
マグダレーナは両手で空中に複雑な模様を描く。悪魔の力を借りるための儀式だ。
まったく、何度見ても禍々しい。
そう思うと同時に、その赤黒く明滅する奇怪な模様から、黒と赤の布のようなものが数十枚も現れた。それらはまるで牛をも飲み込む、巨大な蛇のようだった。それらグロテスクで薄っぺらな蛇たちは、ひとしきり蠢いた後、弾かれるようにして四方八方へと飛んでいった。
数秒と経たず、周囲から男女四名分の短い叫声が響く。全員即死だ。叫んだ時にはもう死んでいたはずだ。だが、この蛇たちは悪魔の力の顕現だ。その犠牲者の魂たちは、肉体は死してもなお啜られ続ける。文字通り何もなくなるまで搾り取られ、ついには棄てられる。生まれ変わることすら叶うまい。
マグダレーナは冷たい視線を周囲に飛ばし、ようやく息を吐いた。
「せ、先生……あの」
息を切らせて、ターニャが家から出てきた。マグダレーナは長剣を受け取るが、抜こうとしない。ターニャは周囲をビクビクと見回しながら、マグダレーナの左腕に小さく指をかけた。
「せ、先生?」
「悪いヤツはみんな死んだよ」
マグダレーナはそう言ってターニャを抱きしめた。
「先生、あの……?」
「旅に出ようか、ターニャ」
ここはもう安全ではないし。
そもそも、この地域で善良な獲物を狩るのにも限界があるさね。潮時ってやつさ。マグダレーナは心の中でそう呟いた。
「先生は、その」
「アタシのところから、逃げたくなったかい?」
マグダレーナはターニャの髪の毛に触れる。アタシと同じ黒髪なのに、どうしてこうも違うのかねぇと、マグダレーナは嘆息する。
「ターニャ、選んでいいんだよ、あんたの意志で」
その言葉に、ターニャの身体が強張る。しかし、ターニャはぎこちなく首を振った。
「わたしは、その、行く場所がないから」
「そっか」
だよねぇ、と、マグダレーナは言った。
「アタシは、魔女なんだ。悪魔に負けた人間。だから」
「先生は、先生です」
ターニャは震える声でそう言う。マグダレーナは黙って剣を抜いた。ターニャの全身に緊張が走る。
「アタシは誰がどう弁護したって、とことんの悪人だよ。あんたがアタシの部屋で見たもの、それだってそのほんの――って危ないじゃないさ、ターニャ」
ターニャがその刀身に触れようとしたのを見て、マグダレーナは慌てて剣を引く。そしてその自分の行為がおかしくなって少し笑うマグダレーナ。
「アタシはね、ターニャ。アタシは、人を殺さなきゃならない魔女なのさ」
マグダレーナは剣を収めて、吹っ切れたような声で言った。
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