暗黒の魔女は、彼岸の色に染まる(4)

魔女のオラトリオ・短編
魔女のオラトリオ」関連短編――。

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 マグダレーナは意を決したように息を吸い、静かに話し始める。

「その昔、アタシには息子がいたのさ。あんたよりもずっと小さかったね」
「子どもが……」
「アタシはその時も医者だったんだ。もちろんその頃はアタシ、まともな医者だったんだよ。でもね、ある日、アタシが治療していた人が死んだ。有力貴族の跡取りだったんだけどね。アタシのミスで死なせちまった」

 マグダレーナは指先の火を吹き消した。部屋が必要以上に暗くなった。窓から差し込む真夏の陽光も、何故だかひどく頼りない。

「そしたら、その当主がアタシの旦那に言ったのさ。命が惜しければアタシと息子の命を差し出せって。それで、アタシの命より大切な息子をね、あいつは傷つけた。そして泣いてるあの子の首をナタで切り落としたんだ」

 大きく息を吐くマグダレーナ。ターニャは目を見張ってその姿を見つめている。

「アタシも死のうと思った。殺されようと思った。けど、その時アタシの中の悪魔は囁いた。息子を取り戻せるぞって。まずは手付てつけに目の前の男を殺せとね」

 それからは修羅だった。マグダレーナは首を振る。夫の手にしたナタを奪い、その身体がばらばらになるまで切りつけた。そして息子の頭部だけを持ってその場から逃げたのだ。問題のその貴族たちは、後の大内乱で反乱軍によって攻め滅ぼされていた。

 マグダレーナは自分の部屋に行き、小さな髑髏を一つ手にして戻ってきた。それは燃えていなかった。

「これがね、アタシの息子さ。この子を蘇らせるために、五千。五千人の命が必要なのさ」
「でもそんなの、できるわけない」
「そんなことは問題じゃないのさ。できる、できないの話じゃない」

 マグダレーナは俯き、その髑髏を撫でた。

「愛する我が子をもう一度抱ける可能性があるっていうのなら、アタシはその手段を捨てるわけにはいかなかった。普通なら諦めるだろう。普通ならあの時一緒に死んだだろう。だけどね、アタシの中の悪魔に、アタシは気が付いちまった。この絶望をどうにかできる未来、そのほんの芥子ケシ粒みたいな可能性に、気が付いちまったんだ」
「でもそんなことしたって、でも、でも!」
「そんなことをされて蘇ったとしても、あの子は喜ばない? それはどうかね? あんなに幼くして大好きな父親に痛い思いをさせられて、馬鹿で無力な母親はただただ泣くばかりで。あの子がその目にしちまった絶望を、もしかしたら今度は、もしかしたら今のアタシは、消し去ってやれるかもしれない。だけどそれには、あの子が蘇らなけりゃならないだろう? 違うかい?」

 悲しみに満ちたマグダレーナの言葉を受けて、ターニャは膝の上で握りしめた拳を睨んで、黙り込む。マグダレーナはまた息を吐いた。

「分かってる。分かってるさ、ターニャ。でもね、それが、母親の一つの形なんだ。歪んだ愛だと思うさ、わかってるさ。だけど、捨てられないんだ」
「先生は、これからも……」
「あと四千人は殺さなければならない。アタシにはあんたほどのがない。簡単に何百人も殺せるような力はない。だから、アタシはあんたを――」
「聞きたくないです、わたし」

 ターニャは首を振った。マグダレーナは髑髏を机の上に置き、立ち上がる。ターニャの全身の強張りが、マグダレーナにも伝わってくる。

「ターニャ、背中の傷を見せてごらん。あんたの最後の傷跡だ」
「先生は、魔法で傷を消した。その魔法は、人の――」
「そう。魔法は全て悪魔の力。そのためには代償が必要さ」
「わたしの身体は、誰かの命で綺麗にされてきたって、そう言うんですか」
「そういうことさ。でも、あんたが気に病む必要はないさ。罪を重ねたのはアタシ。その罪で得た力を、理不尽に傷付けられたあんたのために使いたいと思ったのもアタシ。あんたは何も知らない。何も思わなくていい。アタシの善意だけを純粋に受け取れば――」
「そうはいかない! いかないですよ!」

 知ってしまったのだから――ターニャは唇を噛みしめる。

「……そうかい」

 ややしばらくして、マグダレーナはそうつぶやき、シャツを脱いで裸の上半身を晒した。均整の取れたその身体は、ターニャの目から見ても美しかった。思わず見とれたターニャの目の前で、マグダレーナはどこからともなく取り出したナイフで自らの鳩尾を深く突き刺した。マグダレーナは小さく呻いたが、ふらつきすらしなかった。

「せ、先生!?」
「これなら、あんたも納得だろ」

 マグダレーナがナイフを引き抜くと、大量の血液が流れた。床と服が赤黒く汚れていく。ターニャは弾かれたように駆け寄って、その身体を支える。ターニャの指の間から、血液がとめどなく流れていく。

「アタシの傷をに、あんたを癒やす。これなら、いいだろう?」
「傷を、手当てしないと」
「ターニャ」

 マグダレーナはターニャを抱きしめ、その背中の傷のある場所に触れた。ターニャは背中が急激に痛痒くなってきたのを感じる。いつもの治療と同じだった。

「先生の傷を早く……」
「あんたが一つ代償を払えば、こんな傷はすぐに塞がるさね」
「だ、代償……?」

 人を殺せっていうの? ターニャの唇が震える。が、マグダレーナは喉の奥で笑ってみせる。

「あんたは魔女になっちゃいけない。だから魔法を使った時の制約を一つあげよう。それは魔女にとって十分な代償になるだろう」
「わたし、魔法なんて使わないから、だから早く、先生の治療を」
「ふふ、わかった。その方が、アタシも罪を重ねないで済む。あんたを利用できなくなる方がきっといい」

 マグダレーナはその流れる血を指ですくい、ターニャの喉にこすりつけた。

「面白い魔法をかけてやったよ」
「?」

 喉に触れながら、ターニャは眉根を寄せる。

「魔法を使うと、ひどく肩が凝るようにしてやったさね」

 マグダレーナは冗談めかしてそう言った。

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