DC-02-06:陣魔法

治癒師と魔剣・本文

 そして――。

紫氷陣エルヴェル・ヅォーネ

 そう呟くと、暗黒の女性は突き出した腕を一気に振り抜いた。

「無詠唱で陣魔法ヅォーネ!?」

 ファイラスの驚愕の声は、耳をつんざく大音量に潰される。衝撃波を伴う音の津波を前に、ファイラスたちはよろめく馬から落ちないのが精一杯だった。

 視界すらないのだ。紫色の輝きで空間はおろか、脳の中さえ塗り潰されたのではないかというほどの色彩の暴力だった。

「落ち着け」

 暗黒の女性の声が、音の隙間から聞こえてくる。いまもなお、音と光は乱舞していたが、それでもファイラスたちは何とか我に返る。

「なんなのもう……!」

 動揺を隠しきれないケーナがいつもより高い声を上げている。馬の方が早く冷静さを取り戻していたほどだ。ファイラスもまだ心臓がうるさく音を立てていたし、耳鳴りのようなものが残っていたが、それでも幾分かは落ち着いていた。だが、馬の方が興奮していた。

「落ち着け、馬」

 いつの間にか暗黒の女性がファイラスの馬のすぐ前に立っていた。ファイラスは慌てて距離を離そうとするが、馬は暴れて前足を上げる。

「落ち着けと言っている」
「馬語じゃないと通じないわよ」

 ケーナがぶすっとした表情で言った。が、暗黒の女性は意にも介さない。そうこうしている間に、ファイラスの馬が落ち着きを取り戻す。

「どういう技だ」
「どうということはない」

 驚くファイラスに対して暗黒の女性はつまらなさそうに言い、さっきまで肉の山ができていた方向を指さした。ファイラスとケーナが目を見張る。ケーナが呻く。

「凍ってる……?」

 その光景を前に、十分に離れていた神殿騎士たちの動揺も伝わってくる。肉塊は津波の形をしたまま、完全に凍りついていた。森の木々は折れたり倒れたりはしていたが、凍っていない。

「あの人、肉塊だけを正確に狙ったってことです……?」
「あれは陣魔法ヅォーネだ。何があっても驚くに値しない」

 ケーナの囁きにファイラスは頷く。暗黒の女性はその青く光る瞳でファイラス、そしてケーナを値踏みするように見つめる。何を考えているかがまるで伝わってこないその表情に、ファイラスたちは射竦いすくめられる。

 暗黒の女性は凍りついた肉塊を見て、目を細めた。そして右手の指を鳴らす。

消域アヴァ・レアド

 その言葉とともに、凍りついた肉塊は跡形もなく消えた。ケーナが口に手を当てて呟く。

「うそ……」

 魔法という言葉で片付けるには、あまりにも規模が大きかった。少なくともファイラスの常識の範囲にはない現象だった。

「大魔導……」
「そのように分類はされている」

 目を青く輝かせて、暗黒の女性は応える。感情を抑えた低い声、その所作、どこにもすきがない。ケーナが半ば震える声で尋ねる。

「だ、大魔導がなんで。っていうか、あなたは何者。誰。名前は」
「そんなもの、訊いてどうする」

 暗黒の女性は一切に答えようとせず、闇のマントを翻す。

「待て!」

 ファイラスが呼びかけるが、その直後に暗黒の女性は姿を消した。

「何者、だったんでしょう?」

 ケーナはファイラスに馬を寄せてくる。ファイラスは首を振る。

「大魔導ともなれば……今可能性が高いのは、アイレス魔導皇国の銀の刃連隊ガーナルステッドか――」
「グラヴァードのギラ騎士団?」
「ああ」

 ファイラスは頷く。大魔導自体、世界に数えられるほどしかいない。魔法使いの中でもほんの一握りの魔導師。大魔導はそのさらにひとつまみだ。大規模な戦争は最終的には超騎士と大魔導によって決すると言っても過言ではない。

 そして今回のこのディケンズ辺境伯の反乱もまた、そのような結果になるだろうとは、ファイラスたちも予測していた。おそらくは、アルディエラム中央帝国の神帝師団アイディーの超騎士と、アイレス魔導皇国の銀の刃連隊ガーナルステッドの大魔導あるいは超騎士の戦いが最終局面になるだろうと。

「ファイラス様、大魔導って、すごい魔法使いなことはわかるんですけど」
「大魔導というのはこの大地、つまりは紫龍セレスの力を直接引き出せるほどの力を持っている連中だ」

 ファイラスは神官のみならず、魔導師としてもかなりの教育を受けていたので、ある程度の知識はある。

「そして、最大の禁忌だ。陣魔法ヅォーネは。学ぶことも文字に残すことも禁じられている」
「じゃぁ、大魔導のひとって、どうやって?」
「噂だが……」

 ファイラスは神殿騎士たちの馬車の方へ向かいながら言う。

「才能がある者には、紫龍セレスが囁くんだそうだ」
「この大地が生きてるってことです? まったく、そんなのないでしょ」
「君は創世の神話を知らないのか?」
「ん。神話は神話ですよ。異次元から降り立った紫龍セレスが世界を滅ぼしかけて、六人の英雄が封印して今の神様になった。でしたっけ」
「その一柱がヴラド・エールだな」
「ありがち」

 ケーナは肩をすくめる。神官たるファイラスには受け入れ難い言葉ではあったが、ファイラスは別にそれを正そうとはしない。信仰は自由だと信じているからだ。

「でも何にしても大魔導は冗談キツイですね」

 ケーナは鋭い表情を見せながら、そう言った。

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