DC-02-05:肉塊の異形

治癒師と魔剣・本文

 なんて化け物!

 ケーナは見る間に巨大化していく肉塊を振り返って舌打ちする。恐怖そのものよりも、生理的嫌悪感が先に立つ。馬車を先に逃し、ケーナとファイラス、そして数名の神殿騎士が最後尾しんがりを務める。

「これは食い止めるのは不可能だ。逃げるぞ」

 ファイラスが号令を発するや否や、肉塊から幾本もの触手が伸びてきた。それは神殿騎士の一人を滅多刺しにする。絶命した神殿騎士はそのままスルスルと肉塊に吸い込まれていく。

「なんてやつ!」
「逃げるぞ!」

 ファイラスが怒鳴り、ケーナは素直に馬の腹を蹴る。

「これがの正体……!」

 肉塊が木々をぎ倒して迫ってくるのを感じながらも、ケーナは驚くほど冷静だった。生命の危機は確かに迫っているのに、まるで死の実感が湧いてこないのだ。

 ケーナが頭を下げる。それが一瞬遅ければ触手で即死させられていたところだ。

 最後尾のファイラスは触手を切り払いながら逃げている。

「ケーナ! 先に行け!」
「ここは全力で逃げましょう」

 ケーナの声に震えはない。ファイラスは少し意外そうな表情を浮かべたが、すぐに頷いた。

「とにかく森を抜けよう。ここは不利だ」
「ですね」

 抜けたところでどうにかなるか? ファイラスとケーナは同じことを考える。

 肉塊の速度は地形を無視して迫ってくる分、馬よりも少し速い。その上時々鋭い触手が襲ってくる。すでに四人の神殿騎士が犠牲になっていた。このままでは馬車がやられるのも時間の問題だった。

「巨大化してる――!」

 神殿騎士の一人が叫んだ。それが彼女の最後の言葉になる。馬は首を失った神殿騎士を乗せたまま走っていたが、それもまた肉塊に飲まれた。ファイラスは後ろを振り返り、言葉を失う。肉塊が明らかに巨大化していた。馬車程度の大きさだった肉塊が、今や小さな神殿をも飲み込めるほどの大きさまで膨れ上がっていた。それにともなって速度も上がっているようだ。

「森を抜けます!」

 ケーナが叫ぶ。馬車や先行していた神殿騎士たちの姿も見える。背後からは気味悪く湿った音が迫ってくる。

「!」

 森を抜けたそこに人影がある。暗黒色のマントを身に着けた女性が立っていた。いつからいたのか、判然としない。今、突然出現したようにも思えた。夏の陽光を全て吸収するマントと風に靡く黒髪。硝子ガラス玉のような水色の瞳には何の感情も見られない。ただ立っているだけ、のようにも思えた。年の頃はケーナと同じくらいだろうか。

「なにをしている!」

 ファイラスは馬を止める。馬は興奮した様子で前足を上げたが、暗黒の女性が右手を上げた瞬間に落ち着きを取り戻す。その間にも湿った音は迫ってきている。

「危ないぞ、こんなところで!」

 ファイラスが言うと、暗黒の女性は上げたままの右手を軽く振った。ファイラスとケーナの馬は、まるで操られたかのように道を開けた。暗黒の女性と肉塊の間には数本の木があるだけの状況になった。何事かと後衛の神殿騎士たちも馬を止める。

 そうこうしているうちに肉塊の津波が襲ってくる。人の胴体ほどの太さのある触手が暗黒の女性に向って伸びる。ファイラスたちが動くいとまもない。だが、触手は暗黒の女性に触れる前に砕け散った。肉片や肉汁が周囲に飛び散り、馬上のファイラスたちにもぶつかってくる。だが、彼女は不可視の障壁でそれらを全て阻止していた。

 暗黒の女性は右手を肉塊に向けた。

雑魚ザコ

 その両目が輝いた。右のてのひらに強烈な白光びゃっこうが集束していく。夏の陽光がかすむほどの輝きに、ファイラスたちはたまらず目をらす。

「魔導師……!」

 ファイラスの声が聞こえたのか、女性は露骨に不快そうな表情を見せた。

「魔導師だと?」

 ぬめった水音を立てて、肉塊がぼたぼたと降ってくる。ファイラスたちもすっかり上を塞がれていた。今更逃げると言っても間に合わない。

「ケーナ!」
「これはもう、祈るしかないですね」

 ケーナは一切ささやかなくなった自分の内なる声を恨みながら、そう応じた。

「案ずるな、神殿騎士」

 暗黒の女性が突き出した右手に左手をえる。今まで感じたことのないほどの魔力の凝集ぎょうしゅうを、ファイラスは知覚する。暗黒の女性は無表情に付け足した。

「お前たちには、まだ死なれては困る」

 暗黒の女性の周囲の空間が歪み始める。あまりの甚大じんだいな魔力にさらされ、空間が歪んでしまっているのだ。その中にあっても、彼女は平然とした表情かおをしている。

「良い頃合ころあい」

 落ちかかる肉塊を一瞥し、暗黒の女性は右手をゆっくりと握りしめる。魔力がますます勢いを増して噴き上がる。

「滅べ、

 その刹那せつな、ファイラスたちの視界が、完全に白く塗り潰された。

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