神殿騎士が異形の襲来を告げるやいなや、ファイラスたちは外に飛び出していた。さっきまであったどんよりとした空気は、いまや絶望の絶叫に取って代わられていた。街の人々はもちろん、負傷兵たちまでが逃げ惑っている。
「神殿騎士は各所で治療と避難にあたれ。交戦の必要はない」
ファイラスの指示が集まっていた数名の神殿騎士によって拡散されていく。ファイラスはケーナも増援に向かわせようとしたが、ケーナは断固拒否した。
「ファイラス様は異形のところへ出向くのでしょう。ならば私も」
人の流れを遡りながら、ケーナは言う。ファイラスは「しかし」と口籠る。数歩進んだ後、ファイラスは観念する。
「わかった。ついてこい」
「はいっ」
途中で神殿騎士から馬を受け取り、ファイラスとケーナは駆ける。ケーナはファイラスの隣に並んだ。
「因果な立場ですね」
「これもまた試練だ」
「さすがは聖騎士様」
「俺はその器じゃない」
「能力ある人間の謙遜は、それすなわち嫌味ですよ」
ケーナはそう言って手綱を引いた。馬が嘶き前足を上げる。ケーナは振り落とされる寸前に飛び降りた。ファイラスは危なげなく馬から降りて剣を抜いた。
ファイラスたちの視線の先には粉砕された小さな水場があった。噴水だったのかもしれないが、とにかく今は砕けたブロックと、広がり続ける水たまりしかない。時刻は正午をほんの少し過ぎた頃。太陽がほとんど真南にある。透き通る空を反射する水たまりと、その上に鎮座する薄気味悪い肉の塊の組み合わせは異常にアンマッチだった。
筒のような肉。半ば腐った肉のようにブヨブヨとしていて、粘り気のある液体が肉全体を覆っている。そのどろりとした透明な液体は、醜悪な肉の塊をぬらぬらと輝かせている。大人が三人、中にすっぽり入れてしまうだけの太さと、大人二人分ほどもある高さがある。さらに全体にぽつりぽつりと触手状のものが生えている。
「不気味ィ」
「その図太さには敬意を払う」
ファイラスは剣を構える。ケーナも剣を抜いて油断なく身構えた。ケーナは周囲を遠巻きにしている人々を一瞥する。
「野次馬が危ないです」
「だな」
しかし今注意喚起をする余裕はない。何をしてくる敵かわからない。手がかりはそこら中にある肉片と血の池だ。
「ファイラス様、浮いてる。動いてます、あいつ」
「……ああ」
ファイラスは剣を振り抜いた。一瞬遅れてぼたりと何か――触手が落ちる。しかし、それでその肉の塊は何かを悟ったのか、突然高速で野次馬たちの方に移動した。人間では追いつくのは難しいほどのスピードだった。
「ちっ!」
ファイラスは追いかけるが間に合わない。野次馬が三人、立て続けに裂き殺された。そして断末魔が消えない内に、彼らは肉の塊に食われた。ぐしゃぐしゃと肉と骨が砕ける音が聞こえ、筒の下部から大量の赤い液体と、幾つかの肉片が放出された。
「食ったのか」
ファイラスは酸っぱいものがこみ上げてくるのを感じつつも耐え凌ぐ。
「ケーナ、逃げてもいいぞ」
「逃げませんて」
「危ないぞ」
「危ないですね」
ケーナは呪文を詠唱し始める。神聖魔法の一つだ。
「聖槍」
光の槍が肉の塊に突き刺さる。その瞬間、目が一つ生じた。血走った円形の目が、ファイラスとケーナを見ていた。
「怒らせちゃったかな」
「だろうな」
とぼけているケーナに、ファイラスは冷静に応じる。しかしこれで野次馬たちは逃げる時間を得られたはずだ。実際に視界内に残っている人間は数名といない。
肉の塊は飛ぶように移動してくる。ファイラスとケーナに矢継ぎ早に触手を突き出してくる。
「聖盾!」
ファイラスが展開した魔法の障壁は、しかし、たったの一撃で粉砕される。
「時間稼ぎにもならないか!」
ファイラスは攻めあぐねている。ケーナも防戦一方で前に出られない。肉の塊の攻撃のテンポは決して早くはないが、絶妙に不規則で、攻めの糸口がつかめない。
「逃げるわけには、いきませんね」
「逃げてどうなるものでもないさ」
ファイラスは隙あらば光閃華で光弾を打ち込み、わずかずつながらダメージを積み上げていく。しかし――。
「埒が明きませんね」
「まったくだ」
そうこうしている間にも触手を何本も切り落としている。だが、相手の触手はほとんど無尽蔵に生えてくるようだ。
どう攻めたら良い――ファイラスは剣を握り直す。その時、よく知った声が頭の中に響いた。
『お前さぁ、殲撃使えるだろうが』
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