なんだこの光景は――。
前線への補給基地となっているエウドという小さな街に到着するなり、ファイラスを含め、誰もが言葉を失った。形ばかりの防壁を抜けた先は、ハエの飛び交う地獄絵図だった。街のいたるところに兵士が転がっていた。歩いている兵士も無傷なものは皆無だ。エウドの住人たちの目にも生気がない。誰もが疲れ切っていた。聞こえるのは呻き声ばかりだったが、時々意味の分からない絶叫が混入した。
「ケーナ、治療だ」
「その前に状況確認をしましょう」
ケーナは素早く馬から降りると、近くに座り込んでいた負傷兵に何事か尋ねる。すると兵士はよろよろと立ち上がり、案内を申し出た。
「大丈夫?」
「俺はまだマシな方だから」
まだ若いその兵士は左腕を失っていた。本来ならとっくに後送されているほどの傷だったが、兵士は「帰るなんて無理だ」と首を振った。ファイラスが何故かと尋ねるも、兵士は頑として答えなかった。
「ここが病院。だけど身体より精神をぶっこわしちまった連中が押し込められている」
街の中心部に近いところにある大きな建物はヴラド・エールの小さな神殿に併設されていた。神殿の前には多くの兵士が集まっていた。その中心にいるのはヴラド・エールの神官だ。案内の兵士がファイラスに「ガーラ神官です」と告げる。
「わかった。ありがとう。後は彼と話をする」
「あの、神官様」
若い兵士はおずおずと言う。
「前線では今も多くの兵士が殺されているんだ。ここにいる俺たちは運がいい。だけどそれも時間の問題だ」
「……そこまでひどいのか」
「ひどいなんてもんじゃない」
憤りを含む兵士の言葉に、ファイラスは眉根を寄せる。
「ここに来る前に、俺たちも不死怪物や異形の襲撃を受けた」
「ここに来る前に、ですか」
兵士の顔に絶望が浮かぶ。
「じゃぁ、俺たち、やっぱり帰れないじゃないか」
「心配するな」
ファイラスは言う。
「ヴラド・エール神殿は見捨てない」
「そうですよ」
ケーナが援護する。
「この方は、聖騎士候補の筆頭なんですから」
「ケーナ、それは」
「事実ですもん」
ケーナは言う。若い兵士の顔に生気が戻る。
「聖騎士……!」
「しっ、秘密ですよ」
ケーナがその指を兵士の唇に当てた。若い兵士は動揺して言葉を飲み込む。ファイラスは兵士の目を見て告げる。
「神帝師団も要請した。元老院もみすみすディケンズ領を失わせはしない」
「ア、神帝師団! 本当ですか!」
「ああ。だから今しばらく耐えてくれ」
ファイラスがそう言った時、ファイラスたち神殿騎士に気が付いたガーラ神官が近づいてきた。ファイラスと同じくらいか、少し若い男だ。焦げ茶色の癖毛の持ち主で、青みがかった灰色の瞳は理知的だ。全体におとなしめの印象の青年だった。
「ファイラス神官ですね。お待ちしておりました」
「色々あって遅くなりました」
ファイラスは小さく頭を下げかけたが、それはガーラに止められる。
「聖騎士候補たるあなたが軽々しく頭を下げてはなりません」
「仮にそうだとしても、であるならなお、然るべき時には頭を下げるべきでしょう」
ファイラスは生真面目に言う。ファイラスの後ろではケーナや他の神殿騎士たちがやや呆れ顔をしている。ファイラスの頑固さと生真面目さは彼らの酒の肴である。
「ガーラ神官、時間が惜しい。負傷者たちの手当を手伝いたい。どれくらいいるのでしょうか?」
「ざっくり言えば、助かる者が五百名、助からない者が二千名」
なんて数だ、と、神殿騎士たちがどよめく。
「また、心を破壊された者が二百名」
「それは……恐怖で、ですか?」
ファイラスの問いに頷くガーラ。
「ほら、今も聞こえますよね。叫び声が。あれは身体の傷ではなく、心の傷に苦しむ者の声です」
「……俺たちにはそれは治せない」
「ええ。ですから、身体の傷を負った兵士たちをお願いします。今まで街の人々と私でやっていましたが、限界です」
「わかりました」
ファイラスはすぐに神殿騎士たちに声をかける。そしてガーラの協力を得て、街の各所を分担した。その後で一息つく間もなくガーラの案内で病院の建物に入る。
「最前線では異形が跋扈していると聞きましたが」
「私も兵士から聞いただけですが、それはそれは凄絶な状況らしいです」
病院には鼻が曲がりそうなほどの悪臭が満ちていた。血と吐瀉物と肉の腐る臭いだ。
「神官補もいない小さな街ゆえ、掃除も追いつかなくて。申し訳ありません」
「いままで良く耐えてくださいました」
ケーナがファイラスより先に言った。ガーラは言葉をつまらせて涙ぐむ。ファイラスが言う。
「神殿騎士の半分はこちらに残します」
「しかし、最前線は……」
「ここが壊滅するほうが被害は甚大でしょう。兵士たちが逃げ帰る場所が残っていることは、重要です」
「ありがとうござ――」
その時、神殿騎士の一人が息を切らせて現れた。
「どうした!」
ただならぬ気配にファイラスが声を張る。神殿騎士は呼吸を整える間も惜しんで叫んだ。
「異形です!」
と――。
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