その静かな問いかけに、ケーナはしばらく答えようとしなかった。ただじっとイレムを見て、まるで彫像のように固まっていた。
「ケーナ?」
事情を知らないファイラスが怪訝な声を発すると、ケーナはようやくファイラスに顔を向けた。凍てついた石像のように冷たい顔を、炎の影が揺らしている。その揺らめきは、ケーナの表情を怒りとも悲しみともつかぬものに彩っていた。
「イレム様の推測は、恐らく、正しい」
「なんだって?」
聞き取れなかったファイラスが問い返したその刹那、ケーナは剣を抜いて身体を半回転させた。ファイラスの目の前、ケーナの背後。そこに白髪の青年が現れたのだ。ケーナは迷いなくその身体を両断しようと、剣を振るっていた。
ファイラスも、そしてイレムさえも動けなかった。それだけの速度でケーナは動いていた。そしてその手にした剣には鋼の刃がなかった。代わりに暗黒色のぬめる剣状のものが生じていた。
その刃は青年の身体を切れなかった。正確には届いていなかった。青年の身に纏った鎧のほんの僅か手前で、ピタリと動きを止められていた。ケーナは青年を睨み、青年は涼しい顔でケーナを見下ろしている。
「なるほど」
青年は呟いた。そこには焦りも緊張もない。その目がイレムを捉える。イレムは剣に手を掛けていた。
「さすがは無制御。ウルテラの干渉も跳ね除けるか」
「クールに振る舞いやがって。お前、何者だ」
イレムは動けない自分に気がつく。魔神の干渉によるものもある。だが、それ以上に、イレムは目の前のこの白髪の青年に気圧されていた。圧倒されていたのだ。
こいつには、勝てねぇ――イレムは瞬時にそう悟る。明らかな恐怖が、イレムの内側を蝕んでいる。
「お前の名前は」
「俺の名に何の価値がある」
「俺が訊いている。答えろ」
「ふむ――」
白髪の青年は、なおも自分を分断しようとしているケーナの剣を見下ろしながら、「なるほど」と頷いた。
「俺の名前は、グラヴァード」
「……あのグラヴァードか」
イレムの言葉に、グラヴァードの目が細められる。
「君たちのことは知っている。実に錚々たる顔ぶれだな」
「そりゃ、どうも」
イレムもなんとか剣を抜くことに成功する。しかし、グラヴァードは剣を抜くどころか悠然と腕を組んでいた。
「神帝師団、聖騎士、そして魔剣ウル……か」
グラヴァードは全く身動き出来ていないファイラスを見る。
「ニ年前にこの娘に何が起きたのか。聖騎士、君は見たはずだ」
ファイラスの脳内に、見たことのない景色が流れ込んでくる。血まみれのケーナ、生み出される剣、そしてケーナの内側に吸い込まれていく凶々しい刃……。それら全ては断片的なものだったが、妄想というにはやけに生々しかった。
「なんだ……これは」
「塗り潰された君の記憶だ。ニ年前に君が見た本当の景色だ」
「誰がそんな」
「思い当たる者がいないわけではないだろう、君には」
グラヴァードはようやく剣を引いたケーナを見て、また目を細めた。そこには感情のようなものは見えない。まるで人形のように、冷たい微笑を見せている。
戦意を喪失したケーナに代わり、イレムが前に出た。
「しかし、いずれにせよさ、グラヴァード」
イレムの声にはこれ以上ないほどの殺気が含まれていた。ファイラスですら怖気を感じたほどだ。
「俺はお前を見てしまった以上、お前を放ってはおけない」
「勝てぬよ、神帝師団の騎士」
グラヴァードの青い瞳が鈍く輝く。しかしそこには何の意志も窺えない。それゆえに、イレムは攻め手を欠いた。手の内が全く読めない。そしてまたイレムはわかっている。今仕掛けたら、確実に返り討ちに遭うことを。
じりじりとした時間が過ぎる。
そして先に痺れを切らしたのはイレムだった。
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