待ってください――ケーナが前に出た。
「イレム様、ファイラス様、下がってください。彼の狙いは私です」
「しかし、ケーナちゃん」
「お願いします、離れてください」
ケーナの有無を言わせぬ言葉に、イレムは頷いた。そしてファイラスを引き摺るようにして距離を取る。
「ファイラス、見ておけ。あれが今のケーナだ」
「あいつは、どうしちまったんだ。魔剣って……」
「認めろ、いい加減に。認められなくても、認めろ。現実ってやつをさ」
呆然とするファイラスに見せつけるかのように、ケーナはグラヴァードに斬りかかった。電光石火の打ち込みである。だが、グラヴァードは指先の一つも動かさずに、魔法障壁の力でその一撃を弾き返した。だが、魔法障壁に暗黒の刃が直撃したその瞬間、夜闇より濃く黒いオーラが周囲を覆い尽くした。
「なんだ、これは……」
「力が奪われるな」
ファイラスの呟きにイレムは律儀に応じる。二人を襲っているのは、とんでもない虚脱感だ。生命力すら奪われているように、二人は感じていた。
「ケーナ、俺にその剣を託せ」
「できない話」
ケーナの答えはにべもない。そう言っている間にも、殲撃を交えた斬撃が繰り出されている。だが、度重なる攻撃を受けてもなお、グラヴァードの防御は崩れない。
「さもなくば、君はそのすべてを喪失する」
「どういう意味?」
ケーナは攻撃の手を止めない。グラヴァードの魔法障壁は徐々に弱まってきていたが、それでもなお鉄壁の防御力を維持していた。
「あの日」
グラヴァードは魔法障壁を張り直す。ケーナにしてみれば、また最初からということだ。ケーナは攻撃の手を休める。さすがに息が上がっていた。肩が激しく上下動を繰り返している。
グラヴァードはその氷のような瞳でケーナを見た。
「あの日、君は間違いなく死んだ」
「死んでなどいない。私は――」
ケーナの否定をグラヴァードは受け流す。
「君は体よく実験に使われたんだ、何年もかけて」
バレス高司祭かと、ファイラスは掠れた声を発する。グラヴァードは曖昧な表情で首を振る。
「この話は国家規模。あんな小物一人がどうのという次元の話ではなかろうな」
「どういうことだ」
ファイラスの問いにイレムは肩を竦める。
「元老院と聖神殿、二つの伏魔殿が手を組んだってことだろ」
「そういうことだ。権力者はいつでもそれ以上の力を求める」
グラヴァードはファイラスを見、そしてまだ剣を構えているケーナに視線を移す。ケーナの戦意はほとんどなくなっていた。勝てないことを否応なしに見せつけられたからだ。ケーナは譫言のように言った。
「魔神ウルテラの力を、彼らは求めている……」
「そう。この戦を仕組んだ連中は、結局のところ尽く皆、魔神ウルテラの力を都合よく使いたいと思惑を巡らせている」
「魔神ウルテラの力なんて、制御できるはずがない」
ケーナは自らの内から溢れ出そうになるどす黒い力を、どうにかこうにか押さえつけながら呻いた。グラヴァードは頷く。
「だが、人とは斯くなるもの。分不相応な力を希求し続けるものだ」
「なぜあなたは止めない、グラヴァード」
「止める?」
ケーナの問いかけに、グラヴァードは少し笑った。
「人々を救うためか? それとも、未曾有の破壊を、大災害を食い止めるためか?」
「魔神ウルテラが復活を遂げたら、多くの人が死ぬことは間違いないんでしょう? なら、あなたは……魔剣を手に入れて何をするというの?」
ケーナの問いに、グラヴァードは「何も」と即答する。
「何も?」
「ああ。だからこそ、俺はその剣を確保しなければならない」
「意味がわからない」
ケーナは暗黒の剣を構え直した。グラヴァードは「やれやれ」と白銀の剣を抜いた。
「少なくとも俺がその剣を持てば、彼らはその力を行使出来ない」
「だが」
イレムが動いた。
「お前の力に魔剣と妖剣が加われば、もはや誰もお前を止められまい」
「それは、そうだな」
グラヴァードは目を細める。それだけでイレムは動きを封じられた。
「俺は力付くで魔剣を奪い去ることもできる。君たちでは俺には絶対に勝てない。だが、そうすることは俺の本意ではない」
「虐殺者グラヴァードがよくも言う」
「つまらんな」
グラヴァードは首を振った。
「十万の死を防ぐために千を犠牲にしただけだ、俺が。それの何が罪咎か」
グラヴァードは世界の敵とすら呼ばれている殺戮者だ。そんなことは誰もが知っている。そしてグラヴァードにはその噂を真実とすることのできるだけの力が備わっていた。
臆面もなく言い放ったグラヴァードに対し、ファイラスが毅然とした声で尋ねた。
「犠牲となった千人に、お前はなんと言い訳をする、グラヴァード!」
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