その翌日、ファイラスたちは早々に出発した。夜間には幸いにして襲撃はなかった。だが、神殿騎士たちの疲労やストレスは、初戦でもはやピークを迎えていた。この先どんな障害が待ち受けているのかと想像すれば、その状態もやむを得ない。ファイラスは出現した林を前に少し唸る。
「ここからなら半刻もあれば抜けられる小さな森だったな」
「ですね」
ケーナは地図を確認しながら頷く。
「ですが」
ケーナは視線を鋭くする。ファイラスもう頷いた。森の中の気配が澱んでいる。何か明らかに良くないものの気配だ。
「またもや待ち伏せか」
「どうします? 迂回するにしても……」
「いや、そっちは谷だ。道が狭い」
相手の数は分からないが、狭い一本道に降りるのは得策ではないと判断するファイラス。ケーナも同意する。
「山側のルートは時間がかかりすぎますし」
「突破するしかないな」
ファイラスは警戒態勢をとるように指示し、先頭を進む。神殿騎士たちは黙って後をついてくる。
晩夏とは思えないほどの灼熱の陽光が、青空を割るようにして降り注いでくる。手のひらが緊張と暑さで湿ってくる――ファイラスは何度か手を握り直して再び手綱を握る。
いつ仕掛けてくる?
ファイラスは不意打ちに備えて意識を集中する。思いの外、殺気の出どころが多い。十や二十ではない。時々聞こえる金属音からして、武装兵士であることは間違いない。しかし、ファイラスたちは引き返せない。
ファイラスたちが森に完全に侵入したところで状況は動く。ファイラスの目の前に、大柄の騎士が現れた。帝国兵団――正規兵の装備を身に着けている。顔面を覆う兜を被っているので表情は見えない。甲冑もいわば重甲冑と分類される重厚なものだ。並の武器では歯が立たないだろう。
「馬車を捨てて立ち去れ、神殿騎士。そうするというのなら手荒なことはしない」
「できない相談だ。騎士のくせに山賊にでもなったのか」
ファイラスは長剣を抜く。騎士も背中に背負っていた重量大剣を抜く。
「ここから先は地獄だ。大人しく引き返した方が身のためだ。だが俺たちも生きるためにはさしあたりの物資が必要だ。そいつを分けてもらえば、そうだな、なんなら途中まで護衛してやったっていい」
「意味がわからない。戦場はいつだって地獄だろう」
「本当の地獄を知らんからそう言える」
騎士は切っ先をファイラスに向けた。ファイラスはいつでも魔法の盾を発動できるように身構える。
「俺たちは脱走兵だ。あんな地獄で殺されるのはまっぴらごめんだ」
「脱走兵だと? ということは、お前たちは討伐軍側か」
「そうだ」
頷く騎士。
「あんな化け物相手に戦うヤツはどうかしている」
「だが、前線では他の兵士やバーツ大佐が戦っている。お前たちだけ逃げてきたというわけだな」
「どう見たって勝てる訳のない相手に、突撃を繰り返すなんてのは趣味じゃない。上官の見栄のために玉砕するなんてのは、部下の命を預かる者として容認できない」
騎士の声の温度が少し上がった。
「しかし、お前たちは騎士だろう。命令違反や脱走がどういう意味なのか――」
「わかっていたとしても、死んだら意味がない」
騎士は剣を振る。風圧が馬上のファイラスの顔にも届く。
「俺を卑怯者と謗るか? それもいいだろう。もしこの先に行くことが出来たら、俺の忠告に従わなかったことを一生後悔することになるだろう。最後通告だ。馬車を置いて立ち去れ。俺たちとてヴラド・エールの神殿騎士を相手になどしたくはないのだ」
大剣を構える騎士。
ファイラスは馬から飛び降り、長剣を両手で構えた。
「ファイラス様」
隣に並ぶケーナが言う。
「数は敵の方が多い。不利です」
「だが、突破しないことには」
「……わかりました」
ケーナも長剣を抜いた。
「ファイラス様はあの騎士だけに注力を」
「わかっている。ケーナは」
「逃げ回りますから、ご安心ください」
「くれぐれも」
「はい」
ケーナはそう言うとファイラスの後ろに下がる。ファイラスはそれを見届けて、剣を構え直す。
「脱走兵、降伏するのはお前たちだ」
「その選択肢はない」
「お互いにな」
相容れない。
ファイラスは奥歯を噛み締め、剣に魔力を送り込んだ。
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