イレムの大剣が残像を引く。紅のマントが翻る。
「ファイラス様、あれは」
「殲撃の一つ。習得できる人間は少ない」
すっかり見物人となってしまった二人である。異形も攻撃をイレムに集中せざるを得ないようで、ファイラスたちへの攻撃はピタリと止まった。
「さっきのファイラス様の技も?」
「あれは一番下位の技だ」
「それでもすごかったですけど」
ファイラスとケーナはジリジリと後退する。イレムの邪魔になるのを避けるためだ。
イレムの斬撃を受けても、異形はなかなか倒れなかったが、それでも少なくないダメージを受けていた。
「斬!」
殲撃・斬。さきほどファイラスが使った「破」が打撃なら、「斬」は文字通りの斬撃だ。直撃を受けた肉の塊は上部三分の一程を喪失する。しかし、それによって移動も攻撃もスピードを上げる。
「なるほどね」
イレムは何事かを納得し、剣を両手で構え直す。異形は丸太のような触手を打ち下ろす。地面が粉砕され、人間がすっぽり埋まってしまうほどの深さの穴が開く。
「イレム様!?」
「心配する必要はない」
ファイラスは落ち着いていた。
「でも――」
ケーナの言葉が終わる前に、雷が落ちたかのような衝撃と轟音が周囲を薙ぎ払う。ケーナはたまらず耳を抑えて蹲る。ファイラスはケーナを守るように立っている。
「今のって」
「撃という技だ」
ファイラスは土煙の向こうにはためく赤いマントを見る。肉の塊はその殆どを粉砕されていた。だが――。
「破片一個一個が生きてるみたい……」
「落ち着いてる場合じゃないぞ」
ファイラスは剣を振るって飛んできた肉片を叩き落とす。地面に落ちるなり爆発して、石畳に拳大の穴を開けた。
「イレム! 事態が悪化している!」
「悪ぃ、悪ぃ」
イレムが姿を消す。浮遊爆弾と化した肉片が次々と粉砕されていく。
「どういう技!?」
「もはやわからん」
ケーナの至極もっともな疑問に、ファイラスも至極常識的な回答をする。
だが明らかに肉片は一瞬ごとに数を減らし、遠巻きにしていた神殿騎士や兵士たちに被害が出ることはなかった。
「どういう技だよ、それは」
「主人公には相応のスキルってやつがあんの」
イレムは突然ファイラスの前に姿を見せると、兜の面頬を上げてケーナに向けてウィンクする。
「……遊んでる場合か」
「遊ぶ余裕がない主人公の物語なんざ、誰も見たかねぇよ」
イレムはケーナの方を見たまま、左手を後ろに突き出した。突き出されてきた触手を魔法障壁のようなもので弾き返していた。
「さぁて、そろそろ終劇といこうか」
イレムは体勢を低くして、剣を後ろに引いた。ジリっと音を立てて石畳が抉れ始める。剣から放出される魔力が桁違いに増幅されたのをファイラスたちは感知する。三日分離れた場所にいたとしても、この異常な魔力は検知できただろう。巨大な爆発でも起きたのではないかというほどの魔力の放出だ。魔法の素質を持つ者のほとんどが朦朧状態に陥ったほどだ――ファイラスたちも例外ではなかった。
「殲撃、奥義!」
どん、と、物理的な衝撃波が周囲のあらゆるものを打ちのめす。ファイラスもケーナも後ろに吹っ飛ばされた。
「わきゃっ!?」
「ケーナ、大丈夫か」
「お尻にアザができたかも……」
見てもらえます? と、ケーナは小さく言ったが、ファイラスは仏頂面で「ばか」と言った。冗談が通じない男である。
そんな気の抜けたやり取りをしている二人を、再び衝撃波が襲う。大の男が軽くひっくり返されるほどの暴風に、ケーナはもちろん、ファイラスもまた地面を転がされた。
「加減しろよ!」
「主人公はいつだって熱血で全力。美しいだろ?」
イレムは大剣を収めながら、ファイラスたちのところへ戻ってきた。赤いマントには解れの一つもなく、白銀の鎧には傷の一つもない。豪奢な兜の羽飾りは、そよ風に揺らいでいた。まるで何事もなかったかのような佇まいのイレムを見て、ケーナは目を輝かせている。
「イレム様、本当に強かったんですね!」
「ぶっちゃけ神帝師団の中では中の上ってところだけどな」
イレムは兜を脱いだ。明るい茶髪が風になびく。翡翠色の瞳を曇らせて、異形の残骸を片付け始める負傷兵たちを見て言った。
「もう危険はないと思うが、十分気をつけてくれ」
イレムの言葉に、兵士たちは敬礼で応じる。
俺たち見捨てられたわけじゃなかったんだな――そんな言葉が兵士たちから聞こえてくる。
「なるほど」
ファイラスは肩を竦めた。
「このために殲撃の最高位の技なんかを」
「そそ。パフォーマンスは大事だろ」
イレムは軽い調子で頷いた。
「ま、この俺が来たからには、事態は必ず好転するさ。元老院もそれを期待している」
「だったらもう一人くらい送っても良いのでは」
ケーナが常識的なことを口にする。イレムは苦笑しながらケーナの頭を撫でる。ケーナは猫のように目を細めた。イレムは言う。
「こいつぁ政治の都合ってやつなのよ、ケーナ」
「つまんないのー」
「まあ、そう言うなよ」
イレムは少し思案顔になった。
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