最前線に行くとするか――イレムは思案の末にそう言った。
「今から?」
「ああ。まずは最前線で部隊と合流する。ファイラス、お前も来い」
「この街にはまだ大勢の重傷者がいる」
ファイラスの言葉に、イレムは首を振った。
「最前線の方をこそ推して知るべし、だぞ。今お前を欲しているのはあっちの方だ」
「しかし、この街にも今まさに死を前にした兵士が大勢いる! 見捨てるわけにはいかない。今こうしている間にだって!」
「俺の指揮下の兵士、約一万がこっちに向っている。二週間で先発隊が到着するだろう。この街はあいつらがなんとかする」
「二週間も手を施せなければ――」
「ファイラス、地獄はどっちだ」
神殿の方に歩き始めたファイラスを追いかけ、イレムが低い声で訊いた。
「いいか、ファイラス。これはごっこ遊びなんかじゃねぇ。これは戦争だ。冷静に、冷徹に、状況判断を積み上げていくものが戦争だ。そして俺もお前も切り札なんだ」
「切り札なんかじゃ」
「うっせぇ。聖騎士候補が切り札じゃなくてなんだってんだ」
イレムの後を追うように、兵士や街の人々がついてくる。気付けば大きな人の波ができていた。イレムは彼らに聞こえるのを承知の上で、ファイラスの説得を試みている。
「俺は一人。お前も一人。だから俺たちは選ばなきゃならねぇ。最前線で今まさに地獄の渦中にいる味方を、ほんの少しでも救うことを選ぶか。それとも後方のこの街で今まさに苦しんでいる人間を助けてやることを選ぶか。どっちもはできねぇし、どっちかを選べばもう片方を見捨てたと言われても言い訳できねぇ」
「後送された負傷者を助ける。神殿騎士として派遣された名目もそれだ。俺たちが最前線でできることは限られている」
ファイラスの言葉にイレムは足を止める。
「治癒師としてはそうかもしれんな。まさにお前らしい優等生な回答だ。だが。聖騎士ならどうするかな?」
「俺は聖騎士では――」
「遅かれ早かれそうなる。今がどんな立場だろうが、俺には関心がねぇよ」
イレムの翡翠色の瞳がファイラスを射抜いている。
「お前の部下たちにも治癒師はいるだろう。最前線に来るのはお前だけでいい」
「ファイラス様が行くのなら私も行きます!」
それまで黙っていたケーナが両手を握りしめて宣言した。有無を言わせぬ迫力だったが、ファイラスは頑固に首を振る。
「そんな危険なところに君を連れては行けない」
「危険なところだからこそ、ファイラス様を一人では行かせない」
ケーナは上目遣いにそう訴えた。それを見てイレムは笑う。
「相変わらずタフだなぁ、ケーナちゃん。ケーナちゃんはどう思うよ。ファイラスの最前線行きは反対かい?」
「私の意見なんてどうでもいいと思いますよ」
ケーナは臆せずそう言った。イレムはニヤリと笑みを見せる。
「だそうだぞ、ファイラス。この色男め」
「そもそも――」
ファイラスはイレムに背を向けたまま言った。
「俺なんかが行ったところで事態は好転しないぞ」
「やってみてもいねぇのに勝手なこと抜かしてんじゃねぇよ、ファイラス」
イレムは腕を組む。重甲冑を着ているとは思えないほどの飄々とした足取りで、ファイラスの隣を歩いている。
「お前にはさ、戦う力がある。今、最前線では味方の、ごく普通の兄ちゃん、おっさん、あるいは姉ちゃん方が必死になって戦っている。おそらく最前線はこの街の最終防衛ラインといったところだろう。崩壊したらこの街も終わる。だから退くことはできない。その中で恐怖に怯えながら戦っている」
あんな肉の塊みたいな異形がゴロゴロいるらしいじゃねぇか――イレムは一瞬だけ表情を険しくした。
「何の希望もない毎日に疲れ切ってることは想像に難くねぇだろ。そこに神帝師団の俺と、聖騎士候補筆頭のお前が現れてみろ。そして俺が敵を倒し、お前が味方を癒やす。それを見せられてみろ。前線兵士たちの絶望が少しはマシになる。違うか」
「それは、そうだが」
ファイラスは振り返る。イレムと視線がぶつかる。
「……俺はこの街を見捨てられない」
「なら最前線は見捨てるという判断をしたということになる。いいのか」
「俺は治癒師だ。聖騎士以前に。目の前で苦しむ人を救わないわけにはいかない」
ファイラスの言葉を受けて、イレムは頭を掻いた。
「お前の頑固さには恐れ入る。お前の言いたいこともわかるさ。だが、お前は最前線に来るべきだ。無期限にここにとどまって良いなんてことはない。怪我の治療もそりゃ大事だ。だが、怪我をしてここに送られ、お前に癒やされ、再び地獄に送り込まれる。そんな命をすり潰すためだけのスパイラル、そんなんでいいのか?」
詰め寄られてファイラスは言葉に詰まる。イレムはケーナを見る。
「ケーナちゃんを理由にはすんなよ?」
「私なら大丈夫です!」
ケーナは鼻息荒く、食い気味に言った。
「地獄だろうとなんだろうと、私はファイラス様の腰巾着!」
「なんかそれ意味が違うよ、ケーナちゃん」
「そうなんですか?」
ケーナはケロっとした顔で首を傾げた。
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