DC-05-01:最前線の指揮官

治癒師と魔剣・本文

 その日の深夜には、イレムは単身で最前線の野営地に姿を見せていた。転移魔法を駆使しての移動であり、かなりの強行軍ではあるはずなのだが、それでもイレムにはまだ余裕があった。

 陣地のある小高い丘に登れば、真北にディケンズ辺境伯の出城が見えている。ディケンズ辺境伯の居城まではまだ相当な距離があるが、敵方もこの出城を要所と考えているらしく、戦力の層はかなりの分厚さとなっていた。

「こりゃぁ、何の冗談だい、バーツ大佐」

 イレムは隣に並ぶ負傷した指揮官を見る。バーツ大佐はこの前線基地の総司令官である。バーツは頭に包帯を巻き、左腕を吊っていた。右手には即席の杖があり、それでなんとか身体を支えている状態だ。もはや戦闘に耐えられる状態ではないのは明らかだった。

「冗談もなにも、ここはただの地獄ですよ、イレム准将」

 バーツはがっしりした体躯を揺らしながらそう言ってのける。負傷こそしてはいたが、まだ目は死んではいない。この指揮官だから、ここまで持ちこたえられたのだとイレムは悟る。

 ディケンズ辺境伯の出城の前には敵の前衛部隊が陣取っているが、その数は少なく見ても約一万。対する鎮圧部隊は、バーツによれば四千にも満たない。そして無傷な者は千人にも満たないとか。

「本来なら後送するべき負傷兵も一千を超えますが、彼らはまだここにいてくれています」
「俺の部隊が一万、こっちに向かってる」
「ありがたい、と言っておきましょうか」

 バーツは鷹を髣髴ほうふつとさせる鋭い目で、ディケンズ辺境伯の出城のシルエットをにらむ。

「虎の子の神帝師団アイディーを投入せざるを得ないところまで戦局を悪化させた責任は、私にあります」
「苦戦要因はだろ」
「ええ。もはや異形の博覧会の会場ですよ」
「なら仕方ないさ。あの化け物をどうにかできる人間のほうが少ない。あなたの経歴に傷はつかない」
「はは、私の経歴ですか。そんなものどうでもいいのですよ、准将。ただ犠牲となった兵士の家族に申し訳が立たないと思っています。無駄に損耗させてしまっているのが現状です」
「逃げろって言うわけには行かない立場なのは理解している」

 イレムは頷いた。

神帝師団アイディー派遣が遅すぎたんだ。それにこれは戦力の逐次投入の招いたありふれた結果だ。現場指揮官としてはできることは少ない。それにバーツ大佐、あなたほどの指揮官でこれなら、他の誰がやったってこれより良い状況にはできなかっただろう」
「であればまだ良いのですが」

 そこでバーツは遠くを見るように目を細めた。

「見えますか?」
「……でかい犬みたいなのが二匹いるな。か」
「ええ。とにかくが出てくると我々にはすべがない。敵陣に夜襲をかけようにも、常時何匹かがうろついているので、それもできず」
「今まで奴らにはどう対処していたんだ?」
「とにかく距離をとって時間を稼ぎました」

 バーツは苦笑しながら言った。

「やつらは自然発生するわけではないのです。であればどこかに操っている者がいるはず。そして操れる時間は無限ではない。今までの感覚だと、一刻ほどでは姿を消します」
「なるほど。それがわかっただけでも素晴らしい戦果だ」

 となると、召喚術師を倒せばいいというわけだな――イレムは顎に手をやって考える。しかしそれは一人や二人ではないはずだ。アイレス魔導皇国が関与しているという噂が真実になったと考えても良いだろう。

「アイレスの介入が疑われた時点で、元老院は俺を派遣するべきだったな。そうすれば数千の犠牲もなかったことにできただろうに」
「過ぎたことを言っても始まりますまい。神帝師団アイディーたるあなたが来られたのです。存分に暴れていただければ、兵士たちの士気も上がりましょう」
「言われるまでもない。必要以上に暴れてやるさ」

 イレムは感情を込めずに言う。今は冷静であるべきだと考えたからだ。バーツは空を見上げて憂鬱な息を吐いた。

「夜は気が滅入めいります。日中に死んだ同僚たちが蘇るからです」
「死霊術……?」
「そうです。今日も一戦ありましたから、もう半刻もすれば見ることができるでしょう」
「卑劣な連中だ」

 冷静に吐き捨てるイレム。確かに、周囲の魔力の濃度が上がってきているのが伝わってきている。

「バーツ大佐、その怪我では何かとさわるだろう。エウドの街に神殿騎士たちが大勢来ている。一度さがって治療を受けられてはどうだろう」
「できませんな。部下を見捨てるわけにはいきません」
「しかし」
「誰もがこのから逃げ出したくてたまらない。負傷兵が残ってくれているのもあります。その中で私一人がおめおめと下がれますか」

 バーツの視線が鋭い。遠くの篝火かがりびを受けて爛々らんらんと輝いていた。イレムは「なるほどね」と肩をすくめて天をあおぐ。燦然さんぜんたる天の川が天頂を貫いていた。

「だが、大佐に死なれると俺の評価が下がってしまう。だから死なないことだけは約束してくれ」
「おまかせを。それは得意中の得意です」

 バーツは凄味すごみのある笑みを浮かべた。

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