DC-13-01:殺意の予感

治癒師と魔剣・本文

 蝿の巨人との戦いで負傷した兵士を一通り治療し終わる頃には、さしものファイラスも疲労困憊だった。連日の戦闘と治療に駆け回っていた疲れも出たらしい。慣れない殲撃や、慣れない戦闘用魔法を使ったりしたこともまた、その要因だっただろう。今のファイラスは、もはや立ち上がるのも億劫だと感じていた。

 地面に座り込んで動けなくなったファイラスの顔の横に、後ろからタオルが差し出されてくる。手に取るとそれは程よく冷たかった。

「お疲れ様です、ファイラス様」

 タオルの主はケーナだ。ファイラスは頷いた。ありがとうと伝えようとしたが、声すら出せない。ケーナは微笑むとファイラスの背中に手を当てる。

「少しは効果があればいいんですけど」

 当てられた掌から、鎧越しにでもはっきり判るほどの温かさが伝わってくる。一時的に疲労を軽減する魔法だが、あくまで一時しのぎだ。効果が続く内にテントで休めということだとファイラスは理解して立ち上がる。

「急がないと効果が切れちゃいます」
「手を貸してくれ」
「よろこんで」

 ケーナはファイラスを支えてテントの方まで同行する。ファイラスは膝から力が抜けないように、懸命に集中しなければならなかった。思った以上に限界に近づいていたらしい。

「さ、着きましたよ」

 ケーナはテントの中までファイラスを連れて行き、地面に毛布を敷いただけの即席寝所に横たわらせる。

「すまん」 
「添い寝します?」
「面白いジョークだ」
「ジョークじゃありません」

 ケーナはむすっとした表情を見せる。

「ケーナ、イレムはどうしているか知っているか?」
「おやすみです。さすがのイレム様でも疲れるなんてことがあるんですね」
「そりゃあるだろう」

 ファイラスはぼんやりしてきた意識に、どうにかして抵抗を試みる。だが、無駄だった。

 数秒とたない内に、ファイラスは寝息を立てていた。

「かわいいんだ」

 ケーナはファイラスの頬に触れる。伝わってくる体温は、ケーナにとってはこの上ない安らぎだった。あの日、ファイラスに出会っていなければ、今日はなかった。もっとも――。

 ――お前はもはやヒトにあらず。

 うるさい!

 ケーナの内なる声はもはやはっきりと意志を伝えてくる。禍々しい意志だ。殺戮を求め、へと導こうとする。ケーナの意志が一瞬でも折れれば、ケーナはこの声に支配されてしまうだろう――ケーナはそう直感していた。

 ――敵が来るぞ、ケーナ。魔導師どもが本陣を襲うつもりらしい。

 その声に、ケーナは立ち上がる。イレムもファイラスも、今は休んでいてほしい。となれば自分が動くのが良いだろう。今ならファイラスに自分の姿を見られることもない。一瞬で片付ければ良いのだ。

「ファイラス様」

 添い寝、したかったな。

 ケーナは小さく溜息をついてファイラスを振り返り、そのままそっと外に出た。

 そのまま声が導く方向へと歩いていく。帝国軍の本陣はもともとボロボロだ。見張りが随所にいるにはいたが、彼らの警戒対象はにのみ向けられており、神殿騎士であるケーナに対しては、声を掛けてくる者こそいたが、誰も不信感を抱かなかった。

 ケーナはゆっくりと本陣の南側へと移動する。このあたりは兵士もおらず、篝火かがりびの光もほとんど届かない。ケーナはランタンを持っていたが、おもむろにその火を吹き消した。周囲はほとんど完全な闇となる。空には分厚い雲がかかっており、星も月も見えない。

 ゆるりと生ぬるい風が吹く。血と腐った肉の臭いが混じった醜悪な風だ。

「思い出すなぁ、あの臭い建物」

 ケーナは剣をゆっくりと抜いた。

疾風の刃テレヴィス

 刃がほのかに輝き始める。斬撃の速度と重量を増加させる付与魔法だ。華奢なケーナにとって、武装した敵を狩るのには必須とも言える魔法の一つだ。

「一人残らず片付ける」

 その時、ケーナの目前の闇が動いた。

 まずは狼の異形……か。

 魔導師――召喚術師も出張ってきたというわけか。他はともかく、異形を使役できる魔導師はここで始末しておかなければ面倒だ。ある意味手間が省けたとも言える。

 ケーナは狼の異形に、切っ先を向けた。

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