ファイラスは隔離病棟の入り口に見知った馬車が止まっているのを確認した。完全に息が上がっていたが構ってはいられない。今この建物の中で、なにか良からぬことが起きている――ファイラスは確信していた。
「おっと、今は通行止めですよ」
バレス高司祭の腰巾着の片割れが入り口の扉の前に立っている。
「どけ!」
「お控えください、ファイラス神官」
「ケーナに何をしている!」
「私からはなんとも?」
挑発的な神官を、ファイラスは殴りかける。だが寸でのところで理性が勝った。腰巾着は勝ち誇ったように唇を歪めて笑っている。
「とりあえず儀式が終わるまでは誰も入れるなとね、言われていましてね」
「何の儀式だ」
「さぁ、私は何も知りませんので」
挑発的に言う腰巾着。
「それにファイラス神官。バレス高司祭は、クォーテル聖司祭の承認を受けて動いています。一介の神官が口を出して良い案件ではないでしょうよ」
クォーテルの名を出されてしまっては、ファイラスは何もできない。神殿は完全なる縦社会。聖騎士の有力候補であるファイラスにしても、今の肩書は「神官」にすぎない。ここで上に歯向かっても良いことは何も起きない。
「ケーナはどうなる」
「だから私は何も――」
「運がよければ助かるだろう」
その時、扉があいてバレス高司祭と腰巾着のもう一方が出てきた。
「バレス高司祭、ケーナに何を」
「君が苦戦していると聞いてな。ちょっとした手助けをしたまで。どのみちあの娘は最初からいてもいなくても同じ存在。運が良ければ病も癒えるだろう」
「あれは呪いで……!」
「君でも解けなかった呪いには、それなりの対処が必要というわけだよ、ファイラス神官」
バレスは威圧的な声で言った。しかしファイラスは一歩も引かない。
「あなたはあの呪いの正体がわかっているというのですか」
「であるとして、どうする?」
「知っていることをすべて教えてください」
「対価があれば考えるが、君ごとき人間に、私に差し出せる対価があるとは思えん。答えは、否、だ」
「なぜ!」
ファイラスはバレスを睨む。バレスはそんなファイラスを無感情に見返す。
「君ごときが関与できる次元の話ではないからだよ、ファイラス君。私たちは世界を救いたいのだ」
「世界を……?」
「そのためにはあの娘を生贄にするのが最も手っ取り早い。だが私はそうはしていない。生き残る可能性を残している。だからこそ、ニ年も無駄にしたわけだがね」
バレスはそう言って扉の方を顎でしゃくった。
「今の君がこんな無駄な問答をしていられる余裕があるのには驚きだが。儀式は終わった。もう行って良いぞ、ファイラス神官」
バレスはそう言ってファイラスの肩に手を置いて馬車に乗って去っていった。
ファイラスは無意識に肩を払うと、弾かれたように建物内に入る。光の魔法を使うまでもなく、室内は明るかった。何十本もの蝋燭が火を灯していたからだ。円形に並べられた蝋燭の中央にケーナが横たわっていたが、その状態は明らかに異常だった。ファイラスは邪魔な蝋燭を蹴り飛ばし、ケーナに駆け寄った。
「ケーナ! 大丈夫か、返事しろ!」
ケーナの身体は灼熱だった。あまりの熱さに、一度触れた手を引っ込めたほどだ。開かれた目はうつろで、痙攣も止まらない。
「ケーナ!」
ファイラスは回復魔法を行使しようとして気がつく。
この部屋の中で魔法は使えないことに。
魔力が強すぎるのだ、この部屋の中は。今まで感じたことのないほどの密度の魔力で、この部屋はみっしりと満たされている。こんな中で下手な魔法を使えば、魔力の暴走を引き起こしかねない。そうなれば建物ごと吹き飛ぶ可能性だってある。
どうしたらいい。どうすればいい。
ファイラスはケーナを抱きかかえながら、その痙攣を少しでも和らげられないかと抱きしめながら、考える。
「あ……あ……あ……!」
ケーナの譫言が室内に虚しく響く。
「ケーナ、意識をしっかり持て。俺がいるぞ、帰ってきたぞ」
「痛い……胸、痛い……」
ケーナの手が空中をひっかいている。ファイラスはその手を握る。
「とりあえずこの部屋から出るしかない」
魔法が使えないのでは打つ手がない。
ファイラスはケーナを横抱きにして扉の方へと向かおうとする。
だが、足が動かなかった。
「……!?」
何かがファイラスの動きを封じていた。ケーナをここから連れ出させはしない、そんな意志をファイラスは感じ取っていた。禍々しい何かの意志だ。明らかに良くないもの、そして強大な力。そのようなものを痛いほどに感じる。
「ケーナを、どうするつもりだ!」
ファイラスは叫んでいた。
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