#05-01: くつろぎの時

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 異端審問官カディルは、よほどタナさんが怖かったらしい。混乱冷めやらぬこの都市に於いて、驚くべき手際で宿やらなにやらを手配した。もちろん、実際に動いたのはあの初老の役人たちであったわけだが、それでも「異端審問官名義」でそれが行われたことに、大いに意味があった。

 都市一番の高級旅館の最上級の部屋で、諸々手続きが終わるのを待っていた俺たちの所にやって来たカディル審問官は、まるでご褒美をねだる子犬のようにも見えた。……完全にタナさんに手懐けられているようだ。カディル審問官は、そのうえ、俺たちに新たな衣服やら、追加の路銀やらまで用意してくれた。

 カディル審問官は、「他に御用はございませんか」とさえ言った。タナさんは「あとはアタシたちの安全確保さね」と腕と足を組んで口にする。なるほど、タナさんは魔女である。

 カディル審問官が出て行った後、俺たちはめいめいにぼんやりして時間を過ごす。さすがにユラシアの件は身体にも精神にも来た。一言で言えば、とても疲れた。

 ソファに沈み込んで目を閉じていた俺の隣に、いつの間にかリヴィが座っていた。

「どうした?」
「なぁなぁ、パパ。この匂いって」
「ん?」

 その時、ドアが開いて旅館の従業員が姿を見せた。食事の準備ができたのだという。そして、ドアが開いた瞬間に、俺はリヴィの言葉の意味を悟った。

「ピザか?」
「ピザやな?」
「あ、はい」

 俺たちの勢いに押されて頷く従業員。するとリヴィのテンションが目に見えて上がった。どこにそんな元気が残っていたのかと思うほどの上昇っぷりである。

「パパ、ピザやって!」
「さっきも食べたじゃないか」
「まだまだ行けるで」

 案内されてしばらく歩いた先にあった食堂には、所狭しと料理が並べられていた。どうやら俺たちの貸し切りらしいのだが、それにしては量が多すぎた。

「これ、本当に俺たちのためだけの?」
「左様にございます。カディル様よりご依頼があり……」
「もったいないじゃないのさ」

 タナさんがリヴィたちにサラダを取り分けながら言った。

「今はアタシたちの食事より、街の復興が先じゃないかい?」
「まぁまぁ、タナさん。おかげでリヴィが遠慮なく食えるんだ。いいじゃないか」
「確かに、これはリヴィがいくら食べても食べ切れないねぇ」
「ちょっ、パパ、ママ。それ、ウチが大食らいみたいに聞こえるやないか」

 リヴィはもう食卓に座ってピザにがっついている。俺とタナさんは顔を見合わせて「やれやれ」と首を振った。そして同時に言う。「大食らいじゃないか」――と。

 リヴィは「にひひ」と笑いながら、またピザとの格闘を再開する。ウェラは部屋の端に並べられていた色とりどりのケーキに目を奪われている。

「ねぇねぇ、ママ! このきれいなのなに? たべものなの?」
「ああ、それはねぇ、ケーキっていうんだ。ケーキを作る職人がいるんだねぇ、この旅館にはさ」

 タナさんはそう言って従業員を振り返る。従業員は気持ち胸を張って頷いた。

「当旅館自慢のケーキです。お好きなだけお召し上がりください」
「だってさ、ウェラ」
 
 タナさんはそう言ってウェラのそばに歩いていく。その立ち姿に、俺はかすかな違和感を覚える。

「本当は野菜だなんだと言いたい所だけど、今日は頑張ったからね、好きに食べていいよ」

 そういうタナさんの声には違和感はない。ただ、その横顔には、よく見るとどこか気怠さがある。思い当たるフシはある――もちろん、クァドラとの一戦である。

「食べるのがもったいないけど……食べたい」

 ウェラは意を決したように、小さなケーキを三つほど皿に乗せて、リヴィの隣の椅子に腰を下ろした。ウェラはひらひらとした小児用のドレスを身に着けていて、可愛いことこの上ない。タナさんを見ると、彼女もまた目を細めてウェラを見ていた。

「さて、アタシらは大人のお食事といこうかねぇ」
「ああ」

 タナさんはリヴィの真向かいに座り、俺はその右側に。つまり、ウェラと向き合うように座った。タナさんは給仕の女性から何やら黒い飲み物をもらっていた。なんでもナントカという豆を炒ったものをドリップしたもの……らしいが、正直何のことだかさっぱりわからない。ただ、香りはとても良い。俺は飲み慣れたハーブティをもらおうと思っていたのだが、その香りに負けて、タナさんと同じものを頼んでみた。

「苦いよ?」

 タナさんが俺に向けて言う。

「え? それ、苦いの?」
「ああ、とてもね」
「ええ……」

 思わず変な声が出る。こんなにいい香りがするのに苦いとか。苦いものなんて、焦げた肉と煎じ薬くらいしか口にしたことがない気がする。俺は少しがっかりしつつ、その飲み物がやってくるまでの間の時間をリヴィの観察で潰す。リヴィの食べっぷりは本当に豪快で、見ていて思わず笑ってしまうほどだ。今食べなかったら死ぬと言わんばかりのスピードである。

「もっと味わったらいいのに」
「何言うとるんや、パパ。ウチ、めっちゃ味わっとるで!」
「あのさ、リヴィ」
「なんや?」
「竜族ってみんなそないに……じゃない、そんなに食べるのか?」
「んんん? そないなことないで。ウチ、いまめっちゃ育ち盛りやからな!」

 リヴィは「わはは」と豪快に笑った。思わず俺はタナさんと同時に吹き出す。

「確かに、そういう時期さね。好きなだけお食べ、リヴィ」
「おおきに。旅はまだまだ続くんやし、食いだめしとかんとな!」

 そんなリヴィの隣で、ウェラがケーキを恐る恐る口に入れ、そして「ぱぁぁぁっ!」と効果音でもついたかのような笑顔を見せた。

「なにこれー! すごい、すごいー!」

 語彙力が消失しているウェラ。その隣でリヴィがツッコミを入れる。

「すごいだけじゃ、ようわからんで、お・ね・え・ちゃん」
「え、だってほら、リヴィも食べてよ」

 ウェラは皿をリヴィに突き出す。手羽先に取り掛かっていたリヴィは、「おう?」と手を拭いて、それを口に入れた。

「な、なんや、これ! 甘いけど甘くない、でも程よくマッタリとした後味があって、外はパリッとしてんのに中はふわふわ、一瞬イチゴや思ったらさくらんぼの香りがしてくるで!?」

 この上なく正確な食レポに、俺とタナさんはまた笑った。ウェラは「そうそう、それ! それだよぉ」とか言っている。要するに「美味しい」ということだろう。

 賑やかな娘二人の反応に、給仕たちの表情も緩んでいる。日中のあの騒ぎで心中穏やかではない者もいるに違いないのだが、それでも彼ら、彼女らの表情は柔らかかった。その中の一人がケーキを三つ、新たに運んできた。

「パパとママは食べないの?」

 ウェラがキラキラした表情で訊いてくる。よほど美味しかったのだろう。

「アタシはコイツだけで十分」

 タナさんはあの黒い飲み物の入ったカップを軽く持ち上げて言った。

「ママもちゃんと食べなあかんで?」
「アタシはね、燃費がいいのさ。育ち盛りでもないしねぇ」

 それにしたってタナさんって少食だよなと思う。ミディアムレアのステーキを口に運びつつ。

 そこに給仕があの黒い飲み物を持ってやって来た。俺のカップの内側が、白から黒に染まっていく。

「うへ、苦っ。なんだこれ」
「だから言っただろ。苦いって。だけどそれがいいのさ」

 やたらと香りの良い、苦い泥水――俺の感想である。食レポとしては落第かもしれないが、とにかく苦いのだから仕方ない。これの苦さをステーキソースで中和するという、なんだか不毛な食べ方になってしまう。

「あははは!」

 タナさんは俺の肩を叩きながら明るく笑う。

「その顔! エリさん、三枚目が四枚目になっちまうよ」
「四枚目ってなんだよ」

 俺はいささか憤然として応じる。そしてなんだか馬鹿にされた感じがしたので、意地でも飲み切ると決めて、カップを煽る。

 ところが、だ。空になったカップをソーサーに置いた直後に、あろうことか注ぎ足されてしまった。俺は思わずその男性の給仕を見たが、給仕は「何か?」みたいな顔をして去っていってしまった。それを見てタナさんがまた笑う。

「二杯目、がんばっておくれ」
「マジかよ……」
「こんな上等な豆、めったに当たらないよ。味わって飲みなよ、エリさん」
「苦いよ、これ、ほんと……」

 もりもり食べているリヴィと、キラキラしながらケーキを頬張るウェラを前に、俺だけが泣きそうだ。タナさんは助けてくれそうにないし。

 それにしても、今日のタナさんはよく笑う。その笑顔のためなら、この飲み物の苦さなんて、代償としては安いくらいだ――などと思って油断していたら、結果として四杯も飲まされてしまった。そして最後まで、俺はこの味に慣れることができなかった。俺の腹はこの黒くて苦い何かで隙間なく満たされている。黒い海の中で、ステーキたちが泳いでいることだろう。

「ふぇぇ、おなかいっぱいー」
「ウェラは食べ過ぎや」
「リヴィに言われたくないよぉ」

 目をこすりながらウェラが言う。それもそうだ。リヴィ、君はいったい何人分食べたのかね……。まぁ、俺の財布から支払うわけじゃないからいいのだが。

「せや! 温泉入らな!」

 リヴィは「ごちそうさまでした」と手を合わせて、すっくと立ち上がった。アレだけ食べた後なのに、全くもって身が軽い。

「あ、ウェラも行くぅ」
「じゃぁ、ウチら温泉入ってくるで。パパとママは後で一緒に、やろ?」

 にひっと笑いながらリヴィが言う。タナさんは「ウフフ」と笑う。

「それもいいねぇ」
「いいの?」

 俺が訊くと、タナさんは「ダメなはずがあるかい」とちょっと怒ったような口ぶりになった。こういう時はタナさんを尊重するに限る。

「にひひ! ええなぁ、ええなぁ、仲良しやなぁ!」

 リヴィはそう言いながら、ウェラと手を繋いで食堂から出て行った。給仕の一人が案内役としてついて行った。何かが起きるような心配はしなくていいだろう。

「何を心配してるのさ、エリさん。あの子たちは百人力さね。実働戦力外のあんたが心配することじゃないさね」
「タナさん、時々きついこと言うよね」
「愛情の裏返し。いつでもデレデレしてたらあんたも調子狂うだろ」
「そ、それはそうかもしれない」

 俺はきっとそういうタイプだ。女性と深い付き合いをしたことがないからイマイチわかってはいないが、タナさんが言うからにはそうに違いない。

「それはそうと、タナさん。身体、痛いんだろ」
「さすがは騎士だねぇ。どうしてそう思ったんだい?」
「顔色が悪い。歩くときの重心がブレブレ。右手の薬指と小指が少し震えてる。あと、まばたきが明らかに多い」
「まいったね」

 タナさんは髪をかきあげた。その際、少し顔を歪めた。

「頭痛もあるだろ?」
「うん、あるよ」

 タナさんは痛みを隠すのをやめた。

「それって、魔法のせいか?」
「魔法は使ってないよ、アタシは。あれはユラシアが自らを代償として放った力。アタシはその触媒になっただけなんだよ。アタシを通じてなかったら、ユラシアの力がダイレクトに放出されてたら、この街全体が無事では済まなかったさ」
「そんなに……?」
「ユラシアには、幸か不幸か、力のある悪魔が宿っていたみたいでさ。アタシが噛まなかったらみんなまとめてキレイな消し炭になっちまうところだったんだよ」
「まさか、その力の反動……?」
「そういうこと。魔力の影響ももちろんあるけれどねぇ」

 タナさんはテーブルに手をついて、ゆっくりと立ち上がった。

「やれやれ、本当に全身が砕けちまいそうさね」
「これ、すごいな」

 俺も立ち上がると、タナさんの肩に触れてみた。首から肩にかけて、もはや石のように硬い。こんな状態で身動きできるなんて、いっそ尊敬に値する。

 給仕の一人が扉を開けて、俺たちに頭を下げる。俺たちは「ごちそうさま」と声をかけて食堂から出る。一人が案内に付いてこようとしたが、俺たちは遠慮した。

 そして二人で仄かに明るい廊下を歩く。

「あんたの掌は本当に気持ちいいねぇ」

 寄り添ってくるタナさんである。

「本当は剣なんて持つべきではない男の手だ」
「タナさん……俺さ」
「男のことはお見通し、さ」

 タナさんは囁く。俺は言葉を続けられない。ゆっくりと歩いて、俺たちはさっきまでいた部屋に戻ってきた。

 そこで気がついた。

「ベッドが一つ……」
「今気付いたのかい」

 大きなソファが二つ、キングサイズのベッドが一つ。

「リヴィとウェラがベッド……かな?」
「何言ってるんだい。アタシとあんただよ」
「え……?」
「え、じゃない」

 タナさんはピシャリと言う。

「さて」

 タナさんはベッドに腰掛けた。そして俺を引き寄せる。

「……っ!」

 腰に痛み――とか言っていられる状況ではなかった。これ、傍目はために見たら、俺がタナさんを押し倒したように見えるじゃないか。

 傍目、なんてありはしないのだが。

「ははっ! イイトシして、何をキョドってるんだよ、エリさん」
「……まずは肩でも揉もう」

 そう提案すると、タナさんは俺の下でうっすらと微笑ほほえんだのだった。

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