#04-08: 魔女の印

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 さて。

 俺は役人と兵士に取り囲まれ――もとい、護られている異端審問官を見た。カディルとか言ったな。広場の周囲には人々が集まりつつあった。野次馬根性ご苦労さまという気持ちはあったが、今はそうでなくては困る。一人でも多くの人間に、見届けさせなければならない。

 俺は剣を杖にした状態のまま、異端審問官に身体を向けた。

「カディル審問官!」

 自分でも驚いてしまうような声量が出た。群衆の耳にも届いたに違いない。

「宣言せよ! ユラシアの名誉は回復されたと!」
「ま、魔女だったではないか!」
「お前があの子を魔女にした!」

 俺の糾弾に、しかし簡単には屈さないカディル審問官。腹立たしいことだ。

「クァドラという悪にまんまと乗せられ、罪なき娘を魔女とした。認めろ、異端審問はそれそのものが誤りだったと!」
「それはできん!」

 カディル審問官が喚く。この期に及んで――。

「それは無理だよ、エリさん」

 タナさんが俺の肩に軽く触れた。

「異端審問はね、もはや王国中で行われているのさ。残念な話だけどね、もうユラシアみたいな子は、無数に生み出されちまってるのさ」
「だが……それでは」
「考えてもごらん、エリさん。今更ね、異端審問自体が誤りだっただなんて認めてごらんよ。人々の怒り――いや、鬱憤はどこへ向かう?」
「でも、それじゃ」
「エリさん」

 熱くなりつつあった俺を、タナさんはなだめてくる。

「魔女を狩っていたのはね、異端審問官なんかじゃないんだ。そこらへんにいる人々さ。ここにいる野次馬たちの中にも魔女を積極的に探そうと――正義の名のもとに行動した人間がいるはずさ。そんな人々にとって、魔女だのなんだのなんてなのさ。だから、狩る対象なんて、なんだっていいんだ」

 魔女狩りを指導していた人間が、今度は狩られる側に回る。ただそれだけだと。でも俺は納得できないでいる。

「ユラシアの名誉は回復してやりたいとは思う。けどね、エリさん。少なくともあの子は、自分の名誉と引き換えにしてクァドラを裁いた。復讐と言っちまえばそうだけど、あの子はね、より多くの人々を救うために、自分の魂を悪魔に売ったんだ」
「それをあの子が負わなきゃならなかった理由はなんだ? どうしてあの子が犠牲にならなきゃならなかった?」
「そんなことはわかりゃしないさ、誰にもね」

 タナさんはそう言って、へたり込んでいるカディル審問官の目の前でしゃがみこんだ。その右手には、いつの間にかナイフが握られていた。カディル審問官は震え上がっているように見えた。そして、役人も兵士も、それを止めようとはしない。

「俺は、納得できないでいるよ、タナさん」
「ああ、そうだね。アタシだって……納得なんてできやしない。でもね、今、アタシたちがさ、この異端審問官のエリート様相手にさを晴らしたってさ、何にもならない。何にもならないくせに、アタシたちの罪咎ざいきゅうが一つ積み上がる。バカバカしいとは思わないかい?」

 タナさんは俺を振り返り、ニヤッと笑った。美しくすさんだその微笑は、俺の口を封じるのに十分だった。タナさんにはタナさんの考えがあるのだと、俺は理解した。

 タナさんは再びカディル審問官に向き直ると、目にも留まらぬスピードで、ナイフを突き下ろした。それはカディル審問官の左手の甲を貫通していた。

「う、うわぁっ!?」

 悲鳴を聞きながら、タナさんは躊躇なくナイフを引き戻す。傷口からドバドバと血が流れ始める。

「血、血が! こ、この魔女め……! 私にこのような……!」
「そうさ、今のアタシは魔女さ。そして今、アンタが味わっているのは、罪なき娘たちが味わってきた痛みの、ほんのごく一部さ。爪を剥ぎ、皮を剥ぎ、関節を一つ一つ落としていっても飽きたりやしないけどねぇ!?」

 タナさんの背中から漂うオーラが凄まじい。リヴィとウェラは俺にしがみついている。

「でも、今はこのだけで勘弁してあげるかねぇ?」

 魔女の印――か。俺は唾を飲んだ。

「これであんたはもう、全ての魔女から丸見えさ。常に世界中の魔女から観測される対象になったのさ。おめでとう、異端審問官。これから一生、魔女の気紛きまぐれに怯えて生きるがいいさ」
「そ、そんな……」
「さぁ、アタシに命乞いをしな。無様に、頭を下げるのさ。人々の前でね」
「それはできない!」
「なら、今すぐ死ぬかい? 放っておいたら、その傷からの出血で死ぬかもしれないよ?」

 タナさんは立ち上がって煽る。異端審問官は血を流しながら、腰を抜かしている。

「私が頭を下げたなどと知れ渡っては、教会の権威も地に落ちる」
「で?」

 タナさんの短い問い。たったの一音であるにも関わらず、それはカディル審問官を震え上がらせるには十分だった。

「パパ、パパ」

 リヴィが俺の右手を引っ張る。

「ママ、商人あきんどやな」
「あんな怖い商人がいたら、俺は思わず店中のものを買い占めるね」
「ウチならすっ飛んで逃げるわ。あ、パパは逃げられへんねんな」

 腰がね――と、肩を竦める。

 そうこうしている間に、異端審問官は何やら喚きつつも、タナさんにいくつかのをした。滞在中の俺たちの安全の保証、最上級の宿と食事の手配がまず確約され、次には街を出る際の馬車や王国騎士の手配までも約束させていた。

「き、騎士は到着まで数日はかかる」

 一週間程度はこの街に滞在することになるかな。冬が来るまでには決着を付けたいところだが、王国騎士の護衛がつくというなら、それに勝ることはない。

「さ、さぁ、印を消してくれ」
「いやだね」

 タナさんはあっさりと約束を反故ほごにした。その時のカディル審問官の絶望的な表情は、一生忘れられないだろう。

「あんたには、キッチリと利息を払って貰わなきゃならないからねぇ」
「は、話が違う……!」
「お役人」

 タナさんは初老の役人に顔を向ける。

「アタシ、魔女の印を消してやるなんて言ったかい?」
「さぁ?」

 役人は大げさに両手を広げた。役人の兵士たちも「聞いたか?」「いや」などと言っている。

「少なくとも私どもは、聞いてはおりませんなぁ」
「今された約束は、異端審問官が自発的に申し出たものかい?」
「そう聞こえましたなぁ」

 役人は淡々と言う。表情のない声だった。

「クァドラという黒幕を倒し、真の魔女狩りを達成したアタシたちへのご褒美ってことでいいんだよねぇ? カディル審問官?」

 なるほど、そういうわけか。俺はようやく合点した。

「そして異端審問官として悟るわけだ、あんたは。魔女探しは人々には任せておけない。自分が先頭に立ってコツコツ探していくしかないと」
「いやそれは、あの」
「おやおや?」

 タナさんがナイフを抜いてくるりと回す。

「もう一つくらい印をつけても良いのだけれど」
「わ、わかった。そうだ、そのとおりだ。だから――」
「アタシらがこの街を無事に出られたら、消しといてやるさ」

 タナさんは静かに、しかし、底知れぬ迫力でもって言った。

「ところでさぁ、審問官」
「な、なんだ、まだあるのか……」

 絶望的な表情のまま、カディル審問官が喉を鳴らす。

「宿には温泉がついていると嬉しいねぇ」

 タナさんは冗談とも本気ともつかない声音で、そう言った。

 温泉……あればいいな。

 俺はちょっとだけ期待したのだった。

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