「魔女のオラトリオ」関連短編――。
マグダレーナは身体を拭いて着替えを済ますと、「さて、ターニャ」と声をかける。
「ここまで聞いたんだ。アタシを見限ったって構いやしないよ。殺したっていい」
「いえ」
ターニャは首を振る。
「わたしは先生がこれ以上人を殺さないようにします」
「それは出来ない相談さね」
「いいえ。それができないって言うのなら、いますぐわたしを殺してください」
「わけもないさね」
マグダレーナは先程使ったナイフを手にとった。ターニャは一歩も引かずに、マグダレーナの目を見つめている。二人はしばし無言で見つめあった。
「あんた、アタシがあんたを殺せないと思っているのかい」
「思ってます。先生はわたしを殺さない」
「そんなことはない!」
マグダレーナはターニャの襟首を掴み上げ、ナイフを振り上げた。が、ターニャは毅然とした表情でマグダレーナを見つめている。黒褐色の瞳が、マグダレーナの白皙の肌を反射している。
「ターニャ、あんた、死ぬのが怖くないのかい」
「わたし、死にたくないです。だから、わかる。いま、わたしは命の危険を感じていないんです」
ターニャはほんの僅かに口角を上げた。マグダレーナはしばらく硬直していたが、やがてナイフを取り落した。そしてそのまま、ターニャを抱きしめる。
「あんたみたいな子が、なんで魔女なんかになっちまったんだろうね。あんたみたいな子が、どうしてあんな村に生まれちまったんだろうね」
「先生はあの村のことは」
「偶然知ったんだよ。でも、勘違いしないでおくれ。別にそんな村だからどうこうしようとしたわけじゃない。手近な獲物だと思ったからそうした――」
「わたしは母さんの言葉を守れた。生きてって、その言葉を守れた」
ターニャはマグダレーナの背中に腕を回して抱きしめる。マグダレーナは唇を噛みしめる。
「アタシは、恐ろしい魔女さ」
「だからなんだって言うんですか」
ターニャは囁く。
「わたしもたくさん殺しました。先生もたくさん殺してしまった。だから罪は消えない。どうやったって奪った命は戻らない。懺悔にも後悔にも意味なんてない」
「だからもう後戻りは」
「止まりましょう、先生」
「できない。だって、あの子を」
「わたしでは、代わりになれませんか」
ターニャの言葉に、マグダレーナは微笑んで首を振る。
「あんたはアタシの娘だと思ってる。だけど、あんたが今のアタシにとってどれほどかけがえのないものだったとしても、あの子にはなれない」
「……わかりました」
静かに頷くターニャに、マグダレーナは虚を突かれた。ターニャはマグダレーナを強く抱きしめて、その身体を離す。
「それならわたし、先生の罪を見ます。目をそらさない。耳をふさがない。返り血を一緒に浴びます。いいですよね」
「そんなこと」
「わたしの決意です。先生はずっと一人で苦しんできたんでしょう?」
「これからもそうする!」
「させません!」
ターニャは強い口調で言う。
「わたし、先生にたくさん教えてもらいました。だからこんなにたくさん喋れるようになった。考えられるようになった。そして今、こうして先生と争っています。そこには絶対に意味があるってわたしは思っています」
「身から出た錆?」
「わたしは、錆なんですか?」
「……いや」
マグダレーナはわざとらしく溜息を吐いた。
「まったく、ここに来たばっかりのあんたのほうが素直で可愛かったよ」
「先生のせいでこうなったんです」
ターニャはそう言ってややぎこちなく微笑んだ。その懸命の微笑に、マグダレーナは肩を竦める。
「わかったわかった。負けた、負けたよ、ターニャ」
「じゃ、わたし、荷物まとめますね」
ターニャはそう言うと、またやや強張った微笑を見せて、室内をうろつき始める。
「それもこれも、縁、なのかねぇ」
良いも縁、悪いも縁。
そんなことを思った瞬間に、マグダレーナの意識の中に一人の女性が浮かび上がってきた。今から十年、あるいは二十年後のターニャだろうか。背の高い金髪の男と一緒にいるその姿は――。
「魔女もまた、悪いことばかりじゃない、か」
マグダレーナの視界が歪む。
――?
アタシ、泣いてる、のか?
慌てたマグダレーナは、咳払いを一つしながらターニャに背を向ける。
しかしターニャはマグダレーナの涙に気付いていた。そしてマグダレーナが背を向けたのと同時に、彼女もまた声を殺して嗚咽したのだった。
――暗黒の魔女は、彼岸の色に染まる・完――
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