カヤリの報告を聞きつつ、グラヴァードは天高く流れる星の大河を見上げている。バルコニーに吹き付けてくる風は真夜中の今、少々冷たい。先日エリシェルと一戦交えた城ではなく、ディケンズ辺境伯の本城の一室だ。特殊な結界を張られたこの部屋には、誰も気付かない。
「バレスが魔剣ウルを持ち出した、と」
グラヴァードの問いかけに、カヤリは「はい」と肯いた。
「魔剣はすでに、何者かに寄生させられているかと思われます」
「寄生、か。言い得て妙だな」
グラヴァードの評価にも、カヤリは少し曇った表情を変えない。
「それで、カヤリ。その何者かというのは?」
「それはまだはっきりとは」
珍しく言葉を濁すカヤリに、グラヴァードは「構わない」とだけ言って沈黙した。月の見えない紺色の空を見上げてから、ゆっくりと室内のカヤリに向き直った。
「バレスも見苦しい真似をする」
「権力争いに、あの聖騎士候補が邪魔だとは感じているようです」
「だろうな」
グラヴァードはソファに腰を下ろし、カヤリを見上げる。
「君の目から見てどうだ。その聖騎士候補は」
「あのファイラスという男は、バレス高司祭の政敵のクォーテル聖司祭の懐刀だというのは公然の事実。また、神帝師団の次期団長候補とは幼馴染にして現在も親交があります。それに、現副団長であるゼドレカ伯爵が剣技の師です。そして国家最高位の錬金術師とも繋がりがあるようです。政治的背景だけを見ても、聖騎士に任ぜられるのは時間の問題でしょう」
「ふむ」
グラヴァードは腕を組んで、右手の人差し指と中指で交互に二の腕を叩いた。思案するときの癖だ。
「君の目から見たそのファイラスという男は? 若いながら治癒師として名高いそうだが」
「はい」
カヤリは半ば食い気味に応じる。
「あの男は剣士としても一流といって差し支えはないかもしれません。が、それ以上に私が恐ろしく感じたのは、その治癒能力です。エウドでの活動を観察しましたが、私は古今あの男以上の治癒師を知りません。魔力に関しても治癒方面に限定的ながら、ほぼ無尽蔵と言っても差し支えないのではないかと」
「珍しいな」
グラヴァードは目を開けてカヤリの光る瞳を見つめた。
「君がそこまで評価する人材とは」
「戦闘中に使っていた魔法は正直言えば二流。魔力も特筆すべきものとは思えませんでした。しかし、それが、治癒となると全く。魔力の質からして違いました。本当のことを言えば、怖気すら感じました」
「そんなことがあるんだな」
グラヴァードほどの力があっても、魔力の質は変えられない。魔力は純然たる力であって、そのベクトルを決めるのが魔法であるとグラヴァードは理解していた。しかし、今のカヤリの報告が真であるならば、魔力というものそのものにある程度の指向性があるということになる。
「才能、かもしれんな」
「限定的ながら、その方向にありえないほど特化している、という?」
「そうだ」
グラヴァードの断定に納得するカヤリ。カヤリにとってグラヴァードはいつでも正しい。だが、その正しさをより強固なものにするために、カヤリは疑義を呈することもある。
「ファイラスという男についてはわかった。君がそこまで言うのならそうなのだろう」
グラヴァードはゆっくりと立ち上がると、カヤリの肩を軽く叩いた。
「妖剣テラと魔剣ウルは引かれ合う運命にある。そして二振りが揃えば、魔神ウルテラが蘇る。今、ヤツを顕現させるわけにはいかない」
「魔剣と……妖剣。我々に管理できるでしょうか」
「わからん」
グラヴァードは首を振る。
「魔剣と妖剣。一方だけでも抑え込むのは至難だ。まして二振りともとなれば、俺たちだけでは足りないかもしれん」
「ならばいかがしますか」
「だからエリシェルの説得を試みたかったわけだが」
「あの、お伺いしたかったのですが、それはなぜなのですか?」
「ああ」
説明してなかったか、と、グラヴァードはその白い前髪を軽く弄った。
「魔剣、妖剣、それぞれに魅入られた張本人の意志には、剣どもは従わねばならぬと思ってな」
「推測、ですか」
「いや、ある程度は確信だ。君という前例がある」
「それは……」
カヤリは目を伏せる。睫毛の奥から青白い光が漏れる。
「しかし、エリシェルの頭の硬さには恐れ入った。彼はもう救えない。そして彼はそれを甘受するのだという」
「愚か、とは、笑えません」
カヤリが小さく唇を噛む。グラヴァードは微笑し、「それで、だ」とカヤリを見下ろす。
「魔剣ウル。アレはどうなっていると君は見ている?」
「四年前に封印が破られ、二年前から移動を開始した、というところは突き止めました」
「さすが、君の四次元検知能力は頼りになるな」
「恐れ入ります」
カヤリは無表情に応じる。グラヴァードはさらに無感情な声で尋ねた。
「君はどうするつもりだ?」
「私では魔剣に魅入られるのが関の山」
「やれない、と? 君は大魔導だぞ」
「……私は、しかし」
カヤリの沈黙に、グラヴァードは表情を和らげる。
「私たちの推測が真実であるなら、魔剣ウルの宿主は掃討されなければならないと思います。しかし、私は」
「聖騎士が怖い、か?」
「いえ。しかし、私は――」
カヤリらしからぬ反応に、グラヴァードは「はは」と小さく笑う。
「だがな、いずれにしてもその時は来るんだ、カヤリ」
「それは、そうかもしれませんが」
カヤリには諾々と首肯することはできなかった。
「俺は君を信頼している、カヤリ。好きなようにやってみろ」
「好きなように、ですか」
「そのためにはまず、君自身の意志を君は知らねばならないだろう」
グラヴァードはそう言うと、再びバルコニーに出て行った。
「私、は……」
カヤリは何かを言おうとして、やめた。そしてふわりと姿を消した。
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