動揺したのは騎士ばかりではない。ファイラスもまた、不意に高まった魔力の濃度にあてられて、集中を乱されていた。そして立ち直ったのは騎士の方が早かった。大剣を拾い上げると、そのままファイラスを横薙ぎにしようとする。
「!?」
大剣の刃が直撃する寸前、その刀身が砂と化した。ファイラスは山ほどの砂埃を被ったが、被害はそれだけだった。
「どういうことだ……!?」
騎士は狼狽して尻もちをついて後ずさる。彼はこれがファイラスの仕業だと思いこんでいた。
周囲の戦いも急速に収まってきていた。集団の長である騎士がほとんど無力化されたからだ。だが、それでも数名は徹底抗戦を続けていて、神殿騎士たち――そしてケーナも、ややもすれば防戦に追い込まれそうになっていた。
「戦いをやめさせろ」
ファイラスは騎士に言ったが、騎士は「無駄だ」と再びにべもない。
「さっきも言った通り、俺たちは誰も絞首刑にはなりたくないし、あの地獄にも戻りたくない」
「いつかは捕まるんだぞ」
「さぁね。そのいつかは来ないかもしれない。だが、絞首刑も地獄も、すぐそこにある」
絶望なのだとファイラスは理解する。この兵士たちは絶望に取り憑かれているのだと。しかし、それに対してかけられる言葉をファイラスは持たない。
「これ以上抵抗するなら、ここで死ぬぞ」
「負ければな」
「お前は負けた」
「俺たちはまだ負けてない」
騎士の言葉にファイラスは背筋が凍る。
「ケーナ!」
殺気だ。木々の間から明確な殺気が放たれている。
矢が放たれる。それはまっすぐに戦闘中のケーナに目掛けて飛んでいく。
だが、当たらなかった。正確にはケーナが剣で弾いていた。
「任せる!」
ケーナはそばにいた神殿騎士にそう言い置くと、ファイラスの脇を駆け抜けて茂みに飛び込んだ。
「……ケーナ?」
見たことのないほどの俊敏な身のこなしに、ファイラスはしばし呆然とする。騎士は舌打ちした。数秒の後、茂みから絶叫が上がる。血飛沫の吹き上がる音も聞こえた。
「危ない危ない……」
返り血で真っ赤に染まったケーナが深い茂みから出てくる。手には弓があった。奪い取ったものだろう。ケーナは躊躇なく矢を番え、先程まで自身が戦っていた兵士に狙いを定める。
「尖爆」
「ッ!?」
ケーナの口から出た魔法の名前にファイラスは驚愕する。
誰に学んだんだ、そんなもの!
これは明らかな対人攻撃魔法だ。ファイラスが使う魔法は、そのほとんどが対不死怪物用に開発された魔法で、戦闘ではそれを対人用に応用して使っているに過ぎない。しかし、尖爆は殺人のためだけに開発された軍用の攻撃魔法だ。
尖爆の魔力によって加速された矢は、狙い過たず兵士のこめかみに突き刺さり――爆ぜた。その頭蓋骨が凶器になるほどに鋭く砕けて飛散する。敵の兵士の数名がその直撃を食らって悶絶している。しかし、近くにいた神殿騎士たちはその影響を受けていなかった。
「まさか、破片まで制御した……!?」
頭部のない兵士は激しく血液を噴き上げている。そのあまりに凄惨な光景に、劣勢だった兵士たちはたちまち戦意を挫かれた。
仕方ないでしょ――ケーナはファイラスの視線に気付かないふりをしながら、心の中で呟いた。
逃げられる者は逃走を試み始める。
「追いますか?」
腕を負傷した神殿騎士の一人がファイラスに尋ねる。ファイラスは一瞬考えた末に、首を振った。
「この状況で逃げ散っても、助かる保証はないな」
「ですね」
返り血を拭きながら、今度はケーナが同意する。そして騎士を見下ろして言った。
「この騎士がいれば十分でしょう。敵の負傷者はいかがします?」
「見捨ててはおけないな」
「ファイラス様ならそう言うと思っていましたが、私は反対です」
「しかし」
「神殿騎士たちも多くが負傷しました。脱走兵の治療までする余力は、我々にはありません」
毅然とした様子のケーナに、ファイラスは唸る。全ての手持ち武器を喪失した騎士は、地面に座ったまま沈黙している。ファイラスは騎士を見下ろして、「いや」と首を振る。
「最低限の治療はする。こんなところで見殺しには出来ない」
「どのみち、彼らに未来はありません」
ケーナの言葉にファイラスは頷く。
「だとしても。生殺与奪の権はもはや俺たちにはない。俺たちは十分殺した」
ケーナに頭部を砕かれた兵士は、まだ立っていた。その周囲にも何人もの死体、そして重傷者が転がっていた。
「まず神殿騎士の治療を最優先。脱走兵たちはその後だ」
「りょーかい」
ケーナは肩を竦めて応じた。かなり不服そうな仕草だった。
「でもファイラス様。一つ言わせてください」
「奴らに殺された仲間もいる、だな」
「ええ。そうとわかっていても、助けますか?」
ケーナの鋭い問いかけに、しかし、ファイラスは頷く。
「憎しみの連鎖があるとしたら、それを断ち切れるのは俺たちだけだ」
それは私たちを買い被りすぎですよ、ファイラス様――ケーナは目を閉じて頭を振った。
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