#06-01: 重ねる想い、精霊の応え

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 タナさんは部屋に戻るなり気を失った。本当に糸の切れた操り人形のように、くずれた。倒れたタナさんは、「ごめん」と譫言うわごとのように何度も呟いていた。幸いにしてリヴィが飛び起きてくれたので、俺はタナさんをベッドに移動させることができた。

「ママ、顔が真っ青やないか……」

 ランプの炎の中でもわかるその土気色の顔。

「それにえらい熱がありよる……」

 リヴィは呆然と俺を見た。俺には「ああ」という他ない。リヴィは手際よく手ぬぐいを用意して、タナさんの顔を拭いた。そして部屋から出ていくとバケツに水を汲んで戻ってきた。

「なんか思い出す。あの時もこんなやった」
「あの時?」

 俺はリヴィにベッドサイドチェアに座らされた。邪魔だと暗に言われた気がする。

「話したやろ? うちに好きな子がおって、その子が病気で死んでしもたって話」
「ああ」
「それ、思い出してしもた。けっこうトラウマになってんねんな」

 リヴィの真剣な横顔が見える。その右手が、まるで壊れ物を扱うようにタナさんの頭を撫でている。

「ママ。大丈夫やからな。絶対、大丈夫やからな」

 呪いの返し。それが今タナさんをむしばんでいる。そしてタナさんはそれに対して必死に抵抗し、リヴィもその死の影を遠ざけようとしている。だけど――。

「パパには難しいかもしれへんけど、やってもらわなならんことがあるで」
「それは?」
「ママに話しかけ続けるんや、パパ。今、ママはたった一人や。たった一人で悪夢の中におる。過去に何があったかはウチ知らんねんけど、普通の生き方じゃなかったことくらいはわかる。たった一人で、もがいてもがいて生きてきたのもわかる」
「リヴィ……」
「うちかて十六や。人並みの想像力はあるつもりや」

 リヴィの青い瞳ブルーオパールが俺を射抜いている。

「パパ、聞かれて恥ずかしいことやって言うなら、ウチは何も聞かん。聞いてもすぐ忘れたるさかい。今はな、とにかくママに、ママのためだけの言葉をかけるんや」
「リヴィ……」
「ウチは、もう後悔したくないんよ。もうな、失いたくないんよ。イヤや、ママが苦しむのを見るのもイヤや。誰かが泣くのはもうイヤや。ウチかて泣きたくない。ウチが涙流すんは、嬉しい時だけや。ウチはそう決めとる」

 リヴィの必死の訴えに、俺は頷いた。そして立ち上がってタナさんの右手を握った。掌まで、まるで燃えているかのように熱い。

「ママ、心配せんでええよ。パパがおるさかいな。わかるか? パパが手ぇ握ってくれてるんやで」

 誰がどう見ても異常な、タナさんの様子。ありえない高熱、震え、譫言うわごと。歯を食いしばっては息を詰まらせ、悶えるように身じろぎする。

「タナさん……」

 俺の声はかすれている。だけど、続く言葉が出てこない。リヴィはタナさんの額の汗を拭きながら、黙って俺の言葉を促している。

「タナさんは――」

 俺はその震える華奢な手を握り直す。

「俺をどこまでも追いかけてくるんだろう?」

 どうしよう――俺は焦っていた。タナさんの命の炎が、消えようとしている。こんなにもあっけなく。

「タナさん。俺、許さないからな。勝手に呪いを受けて、一人で全部引き受けようとして、そして俺に、この俺にこんなに心配させて」

 タナさんが手を握り返してきた――気がする。

「俺だって泥水すするような生き方をしてきた。もう何も得られないだろうって。そう思って生きてきた。そこで出会っちまったんだよ、タナさんに」

 タナさんの顔は相変わらず苦しそうで。脂汗が浮いていて。そして掌は熱くて。俺の言葉なんて届いてないかもしれない。

「パパ、無駄やない。無駄なことなんてないで。ママは必ず目を覚ます。絶対に元気になる。呪いなんて簡単に跳ね返す。せやけどな、パパにもちゃんと出来ることがあるんや。もしな、無駄や思うて何もせんでいたら、パパはこれから一生後悔するで」

 リヴィの硬い声。俺は唇を噛む。そして吐き出した。

「ぬか喜び、させんじゃねぇぞ、タナさん」

 それは偽らざる思いだった。

「せっかく出会えたのに。やっと、出会えたのに。もう何も手に入らないって諦めていたところに、とんでもない宝物が降ってきたってのに。それをようやく手に入れたのに。タナさん、なぁ? その矢先に消えるつもりなのかよ。そんなの、酷すぎるだろ。あんまりじゃないか!」

 それが俺の罪ゆえなのか。それはわからない。だけど、それにしたってあんまりだ。

「タナさん、俺、タナさんが元気になるまでは言わないからな。絶対に言わない」

 あの言葉は、それまでだ。俺はそう吐き捨てる。

「パパ」

 俺の後ろからウェラの声がした。驚いて振り返ると、ウェラは微笑んだ。

「水の精霊さんの力を借りるね。たぶん、それでママは少し楽になると思うよ」
「あ、ああ……」

 ウェラはそう言うと、躊躇ためらいなくカードを一枚取り出した。

「精霊さん、力を貸して」
『無論――』

 現れたのは女性の姿をした精霊だった。全身が半透明――水の精霊だろうか。

『対価は要らぬ、世界の子よ』
「え、でも……」
『我ら精霊にも、精霊の考え方がある』

 水の精霊はそう言うと、俺の隣に並び、タナさんの額に触れた。何が起きたのかはわからないが、タナさんの表情が少しやわらいだ気がした。

『我々にはヒトの生命を操ることはできぬ。ただ、世界の子よ、お前がそこまでい願うこのヒトの命には、それだけの価値があるのだろう』
「ママは……ウェラの世界一大事な人なんだ。あ、パパもね」

 ついでのように付け足されたが、今はそれでいい。

『我々精霊には、ヒトとヒトの間の情はわからぬ。なれど、世界の子よ、我々はお前を悲しませたくはない。故に、手を貸すのだ』
「ありがとう、精霊さん……」
『我々に出来ることは僅かなれど、心配は要らぬ。魔女の、我々もその一部を引き受けよう』
「えっ?」

 俺たちは同時に声を出す。水の精霊は無表情だったが、少し微笑んでいるように見えなくもない。

『されどこれは生命の倫理を歪めることにもなる。それで、男よ。特別に私と会話する権限を与えよう』

 水の精霊は俺を見た。冷徹とも言えるその表情は俺の仮面ペルソナなんてとうに暴いているに違いない。

『この世のことわりを歪めることになったとしても、その結果、罪咎ざいきゅうの負債が増えることになるとしても、仮に、お前の命が代償になるとしても、この魔女を救いたいか』
「あたりまえだ」

 自然とそう言っていた。

「俺の罪が増えようが、命が削られようが、どうだっていい」
『お前の過去はゆるされない』
「知っている」

 俺は首を振る。そんな事、知っている。

「たとえ負債を払いきれなくても。その結果地獄に落ちるにしても。俺は、彼女を助けたい」
『よかろう。その覚悟、しかと受け取った』

 水の精霊は再びタナさんの顔に触れる。

『世界の子よ』
「なぁに?」

 ウェラが俺の隣で首を傾げていた。

『良きえにしを結んだな』
「うんっ」

 水の精霊は、そう返事してはにかむウェラの頭に手を置いた。

『お前たちの目的は知っている。案ずるな。我々はいつでもお前の味方だ、世界の子よ』
「ありがとう、精霊さん」

 ウェラはそう言ってまた微笑んだ。それは少し大人びた、憂いのある微笑みだった。

『我々に出来るのはここまでだ。我らは、即ち世界。故にことわりを曲げることはできぬ。これが最大限の譲歩だ』
「だいじょうぶ、ありがとう」

 ウェラがそう言うと、水の精霊はふわりと消えた。

「精霊さん、本当にカード要らなかったのかな……」
「ありがたくとっておいたらええよ」

 リヴィが言った。

「精霊さんたちには精霊さんたちの考えがある言うてたやろ。ウェラに恩を着せたつもりでおるで」
「精霊さん、そういうことするかなぁ」

 娘二人がそういう会話をしている隙に、俺はタナさんの頬に触れてみた。

「熱が下がってる……?」

 まだ完全だとは言えないが、さっきまでのお湯が沸きそうな程の状態とは雲泥の差だった。このくらいの熱なら、俺だってたまには出す。

「ほんまや、これなら大丈夫や」

 リヴィもタナさんの額に触れて、明るい表情を見せた。

「パパの叫びが効いたんかな?」
「精霊だろ」

 俺は少し気恥ずかしくなる。しかし、ウェラはそれには否定的だった。

「精霊さん、パパと直接話してたでしょ。パパ、魔力とかないのに」
「権限がどうとか?」
「うん。精霊さんって、魔力を使って喋るから、魔力がない人とは基本的に会話しないんだって、お母さんが言ってたよ。お母さんも魔力はなかったから」

 そういうものだったのか。

「なのに、パパと喋った。それは――」
「パパの想いに打たれたっちゅーことやろか?」
「わかんないけど」

 ウェラはソファに腰を下ろして小さくあくびをした。

「ママはもう大丈夫。ゆっくり休ませてあげたら、いつものママに……戻る……よ」

 ぱたり、と、ウェラがソファに倒れた。一瞬焦ったが、すぐにただ眠っただけだとわかって胸を撫で下ろす。そんなウェラの身体に、リヴィが薄手の毛布をかけてやっていた。俺は完全に出遅れていた。

「さ、パパ」

 振り返ったリヴィが目を細める。

「ママの隣で、寝てあげてな。あ、でも、今ははだめやで」
「するかよ」

 俺は思わず笑ってしまう。リヴィも「にひひっ」と笑い、そして自分のソファに横になった。

「パパ、ちょっとだけ言わしてもろて、ええ?」
「ああ」
「ウチな、パパのこと、大好きやで」
「なんだよ、あらたまって」
「今、嬉しかった?」
「あ、うん。そりゃぁ」
「せやろ?」

 リヴィはまた目を細める。

「何回言われても嬉しいやろ?」
「そ、そうだな」
「想いを口にして、伝えて、受け取ってもらって。そういうのを何回も何回も繰り返すんや」
「何回も?」
「せや。何回も、何十回も、何百回もや。自分にも他人にもな、嫌になるくらい、うんざりするくらい想いを伝えなならんねや。特にな、好きや、愛しとる、その言葉は何万回伝えたってええんや」

 十六歳とは思えないその表情と言葉に、俺は完全に囚われている。

「想いをな、何億回伝えあったところで、いつかお別れの時は来る。せやろ? その時にな、お互いにきっと後悔するんや。もっと想いを伝えておけばよかったなぁって。せやけどな、一回しか好きや言わんかったのと、一億回好きやって言えたんとでは、持ってる思い出の数が違うんや。どんだけがんばっても、お別れの時の後悔はゼロにはならへん。せやけど、嬉しい思い出は増やせるんや。せやから、パパはママにたくさん好きって言うてや」
「リヴィ……」
「ウチもな、嬉しい。パパとママが笑いおうとるのを見るのが嬉しい。好きや好きや愛しとるー言いまくって、惚気のろけまくっとる姿を思い浮かべるだけで、ウチは嬉しいんや。せやから、ウチらに遠慮とかくだらんこと考えんと、めちゃめちゃイチャついてたらええよ」
「ばか」

 俺は思わずそう言って笑う。リヴィも笑っていた。

「パパはな、今んとこウチが世界で一番大好きな男の人や」
「あ……ありがとう」
「なぁ、この際やから一つ約束してもろてええ?」
「なんだ?」
「パパがウチにとって世界で二番目の人になったら、パパに泣いてもらいたいんや」
「……泣くかもしれない」

 うん。本当に。

「おおきに。それでええよ」

 リヴィはそう言って目を閉じた。

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