#06-02: 呪われし都市

腰痛剣士と肩凝り魔女・本文

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 それからほぼ三日間が経過したが、タナさんはほとんど寝たきりだった。時々意識が戻ることはあったが、たいていは朦朧としていて会話にはならなかった。旅館の従業員も看病を手伝ってくれた。医師については都市の被害が大き過ぎたために、ここまで手が回らない――と、あの役人が伝えに来た。

「申し訳有りません」
「頭を下げないでいただきたい」

 俺は別室で役人と向き合って座っている。俺はハーブティ、役人はあの憎き黒い飲み物を飲んでいた。

「今は執政官、あなたも多忙なはず。都市の被害はいかほど?」
「判明しているだけで、死者三千」

 負傷者はその数倍ですかな、と、役人は無表情に言った。

「ところで執政官。俺はあなたの名前を聞いていない」
「本名も明かさぬ旅の者に、私の名前を知らせる必要もありますまい?」
「俺は――」
「いえ。ただの意地悪ですよ、

 役人は悠然とした態度を崩さない。タダモノではないなと改めて思う。

「あなたと出会ったのはかれこれ二十数年ぶり。懐かしい話です」
「二十数年……? というと、俺がキンケル伯爵領このへんに留学してた時あたりか?」
「左様」

 頷く役人。

「変わられましたな、殿
「……思い出したぞ!」

 俺の記憶がその「殿下」という発音を受けて活性化した。瞬間的に頭の中の時間が巻き戻り、十六歳の頃の俺に戻る。この役人は、当時は教師だった。二十一年も昔の事だから、当然この役人も若かった。

「あの頃の殿下は、飢えた獅子のようにギラギラしておられた」
「それは、そうだな。クライン

 俺はわざと「先生」と強調してみせたが、クラインは涼しい顔で受け流した。

「私はもう教師ではありませぬ。しかし、あの殿下がと思うと、胸が熱くなりますな」
「俺は腰が痛いだけだ」
「それは実に災難ですなぁ」

 笑うクライン。その遠慮がちな笑顔も、昔のままだ。彼は手に負えなかった俺を本気で黙らせた、唯一の人物でもある。なぜかはわからないが、当時の俺もこの人間に逆らってはいけないと本能で悟っていたのかもしれない。

「今となっちゃ、この腰痛にも感謝しているくらいだ」
「それはあの方――タナ様との関係が?」
「おおありさ。彼女に出会ってなければ、俺は今頃、ただの温泉巡りのおっさんだ」
「ははは。しかし、まさか殿下が生きておられたとは」
「……この件は、秘密にしておいてもらいたい」
「もちろん」

 クラインはカップを置きながら頷いた。

「我々とてまさか殿かくまっていたなどというは着せられたくありませんからな」
「その回りくどさも健在じゃぁないか、クライン先生」
「ははは!」

 クラインはひとしきり笑ってから、カップを空にする。俺はハーブティの香りを一嗅ぎしてから訊いた。

「先生はこの都市でもお偉いさんなんだろ? いいのか、こんなところで油を売っていて」
「トップに立つ者が現場に出ると、ろくなことがありません。この前は異端審問官がいたから前に出たに過ぎませんよ」
「結果として、俺たちは助かった」
「偶然ですよ、殿下」

 肩をすくめ合う俺たち。この辺りの息が合うというか。だんだん思い出してきた。

「我々執政官の仕事は、部下も含めて、人々の生活をいかに楽にするか、便利にするか。それに腐心することです。いわんや、戦争、内乱はもってのほか

 クラインの視線が俺に突き刺さる。

「今回は教会に屈してしまったのが痛恨……。我々執政官の失策ゆえの大損害です。あの娘、ユラシアには――」
「だがこの都市では、もう魔女狩りは起きなくなるだろう?」
「約束しましょう。評議会の意見は未だ二分しておりますが」
「あんな事があったのに、まだ魔女狩りを?」
「恐れているのです、みな、等しく」

 首を振るクライン。

「私もまた、魔女は怖い。教会は魔女を悪と断じていますし、我々もそう教わってきた。しかし、彼らは同時に、裏の機関では魔法の研究も行っています」
「魔法って……魔導師とかいう?」
「左様」

 クラインは苦々しい表情でうなずいた。

「あいつら、教会に目の敵にされてるんじゃ?」
というやつですよ。私も彼らの裏の繋がりを、この立場になるまでは知らなかった。彼らは魔女という強大な力を恐れ、同時にその便利な部分だけを教会のために利己的に使おうとしているのです」
「そのための魔女狩りだと?」
「そうです。研究と間引まびきの両方を実現するため。彼らは恣意しい的に魔女の実数を操作しようとしています」
「それは……」

 絶句する俺に、クラインはゆっくりと告げた。

「殿下が思う以上に、教会という組織は強大なのです」
「そんなの、魔女より厄介じゃないか」
「それが人のごうですよ、殿下。ヴァルナティの言葉より教会が作り出されてから早一千年。教会という組織には、人々のありとあらゆる業が凝縮されている。払拭ふっしょくには何百年とかかることでしょう。誰かがやる気になったとしても」
「そして魔女狩りも終わらない、と」
「教会は、教会への不満が生まれれば、その目を外に向けさせる」

 クラインは溜息をく。

「罪とか悪とか、その手の抽象的な言葉で織ったドレスを誰かに着せて、言いなりの羊たちにつぶてを投げさせる。教会は斯様かようにして権勢を保ってきた」
「つまり――」

 俺は一呼吸置く。

「魔女がいなくなるのは……不都合、と」
「左様。そして、魔女が恐ろしい存在であることも不可欠なのです、殿下」

 その時、ドアがノックされた。顔をのぞかせたのはタナさんだった。

「タナさん! 大丈夫なのか!?」
「ああ、よく寝たよ」

 タナさんはニッと口角を上げる。どうやらかなり調子は回復したようだ。

「タナ様、ちょうどよいところへ」

 クラインが頭を下げる。タナさんは俺の隣にやってきて、「ふぅ」と腰を下ろした、まだひょいひょい動き回れるほどの元気はないようだ。

「で、魔女がどうのって聞こえたけど、何の話をしてたんだい、殿
「やめてくれよ、殿下は」
「はは、どうだっていいさね」

 タナさんは笑う。声の張りはイマイチだったが、それでも元気になりつつあるのは疑いようもなかった。俺はクラインとの会話の内容をかいつまんで伝える。するとタナさんは、例の苦くて黒い飲み物をドアの外の従業員に頼みつつ、目を細めて言った。

「で、この都市にまつわる魔女の話だろ、エリさん?」
「この都市にまつわる魔女?」
「さすがのご慧眼けいがん

 クラインは小さく頭を下げた。この男の正体がわかって、その結果として、胡散臭さが増した。

「左様、その件をお伝えしに来た次第です」
「いいのかい、そんなことをアタシたち部外者に」
「はは、ただの権力の乱用ですよ」

 クラインは笑う。俺は苦笑せざるを得ない。

「この都市は、そもそもがなのです」
「慰霊碑? 都市そのものが?」
「肯定です。人の営みによって、その安寧によって、その魔女は封じられてきたのです」
「ちょっと待てよ?」

 俺はタナさんを見る。

「タナさん、知ってたのか?」
「知ってたわけじゃないさ。アタシもね、この都市で感じてた気配はクァドラのモノだと思っていたのさ、最初は。ところが、だ。こうして目が覚めてみても、空気がなんかスッキリとしてない。だから、カマをかけてみたのさ」
「ははは、かないませんな」

 笑いつつ、またカップを置くクライン。

「魔女、ドミニア」

 そして立ち上がって短くそう言った。俺は聞いたことがないが、タナさんはピンときたようだ。

「ドミニアといえば、エリザが探していたっていう伝説の魔女じゃないのさ……」
「そう、二百年前に倒された魔女です。エリザ女公爵が起こした三つの内戦は、全てその髑髏どくろを求めてのものだったという説もあります」
「魔女の髑髏……」

 ぞっとしない。俺はハーブティのカップを持ち上げたまま硬直していたようだ。俺の手に、タナさんの手が重なって、俺はそれに気が付いた。タナさんは静かな口調で確認する。

「そして将来そういう魔女が出てくると知っていた教会は、その亡骸を極秘に葬った。それがこの城塞都市というわけだね?」
「左様。そして魔女の襲来に備えるために、高度に城塞化したのです」
「なるほど」

 そういう理由だったのかと俺は納得する。クラインは大袈裟に息を吐いた。

「もっとも、こんなものはの前では歯が立たないことが先日露呈したところですが」
「そりゃそうさね」

 タナさんは首を振る。

「どころか、クァドラの出した被害は、この都市の封印を弱めたはずだよ」

 タナさんは言いつつ、立っているクラインを見上げた。そして唇を歪める。

「なるほどね。アタシたちに討伐しろってことかい」
「ちょっと待って、タナさん。俺、全然状況読めてない」
「頼むよ、

 タナさんは肩を竦める。

「つまり、エリさん。このお役人さんはあんたの正体を知っているわけ。で、あんたは過去に傷を持ってるよね。そこに来てユラシア、クァドラとの一件。アタシたちの関与した事件の、魔女ドミニアの封印が解けかけてる」
「ああ……」

 なるほど。と、呟きながら、俺はこの胡散臭い中年役人を睨んだ。

「本当に変わってないな、クライン先生」
「人はそう簡単には変わらないものですよ、殿下」

 ……逃げ道はなさそうだ。

「お役人。ドミニアを調伏ちょうぶくできたら、アタシたちに何をしてくれる? まさか、正体は黙っておいてやる、だけじゃないよね」
「キンケル伯爵領内での絶対的な安全を保障しましょう」

 そりゃまた大きく出たなと俺は驚く。だが、タナさんは懐疑的だった。

「お役人さんにそんな力があるのかい?」
「それがなければ、このようなことは言いませんな」
「……てことだけど、エリさん、信用できるのかい?」
「嘘は言わない男だということは知っている」

 確かに嘘は言わない。だから、それだけに面倒な手合なんだ、このクラインという男は。タナさんは「ふぅん」と息を吐き、しばらく考えた。俺は「あっ」と声を出して訊いた。

「封印しなおすわけにはいかないのか?」
斯様かようなことを教会がするとお思いですか、殿下」

 ――魔女が恐ろしい存在であることも不可欠。

 となれば、今回のこの騒ぎは、魔女の脅威を喧伝けんでんするための、格好の材料になるはずだ。役は大方あのカディルとかいう異端審問官だろう――哀れなことに。

「まさか!」
「そう」

 俺の声にクラインは頷いた。

「教会はこうなることを知っていたのです」
「そういうことかい……」

 タナさんの目が鋭く光った。

「大魔女エリザの復活を利用したと」
「でしょうな。とはいえ、これは私の推測の域を出ませんが」

 魔女ドミニアを倒さなければ、この都市が滅び教会が笑う。魔女ドミニアを倒せば、将来に渡る脅威が取り除けたと教会が笑う。つまり、何をどう転がしても教会が喜ぶわけだ。そして何をどうやったところで、魔女狩りの大義名分はますます強くなっていく。魔女狩りというのは、人民支配の手段でもある。権力に歯向かったら、魔女狩りの名の下で始末されてしまうのだから。

「くそ」

 俺は立ち上がった。ズキリと腰が痛んだが、まだ大丈夫だ。タナさんも立ち上がって、そっと俺を支えてくれる。病人に支えられるとは情けない。

「お役人。依頼は理解したよ。だけどねぇ、それでホイホイと言うことを聞くのもシャクな話さ。わかってくれるだろう?」
「それはもう十分に」
「ならさ、ちょいとあの異端審問官を呼びつけておくれよ。あんたの名前で公式に。ユラシア事件の当事者の前に馳せ参じろって」
「執政官の名目で、ですか?」
「そう。評議会のお歴々が黙っちゃいないかい?」
「黙らせましょう」

 確かに、クライン相手ならば誰もが黙るだろう。反発したところで手痛い反撃を食らうだけだからだ。おそらく評議会の面々も何度も煮え湯を飲まされてきたのだろうなと想像する。

「では、私は一旦戻ります。程なくしてカディル審問官がやってくるでしょう」

 そう言ってクラインは颯爽と出て行った。

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